雲南、見たり聞いたり感じたり

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雲南のこんにゃく②

2012-03-04 10:07:38 | Weblog
写真は、昆明のお隣の町・宜良の市場にて。洗面器に無造作に置かれているが、こんにゃくはだいたい、500グラムか1キロの塊に切り分けて売られている。しかしこのあたりのこんにゃくが日本のものと違って黄色みがかって見えるのだが、いったい何が使われているのだろうか?
 こんにゃくの右後方の洗面器にはもやしが、左後方には空豆を脱色したような豆が入っている。いずれもいためものや、冷菜に使うとのことである。

【司馬遼太郎とこんにゃく】
 司馬遼太郎の『街道を行く 中国・蜀と雲南のみち』に「コンニャク問答」という一章がある。中国西南地域のこんにゃくを調査しようと奮闘していて興味深い。

 諸橋轍次の『大漢和辞典』の蒟蒻の項に紀元後300年前後を生きた山東省出身の儒学者・左思が書いた当時の超ベストセラー『三都賦』の中の「蜀都賦」に「蒟蒻」が出ていていることから司馬氏の論考は始まる。

 その注には蒟蒻の植物としての特徴をのべ、かつ蜀人はコンニャクの地下の球茎のほうを
「頭ノ大イナルハ斗ノ如シ。其ノ肌ハ正ニ白ク」とのべて

灰汁ヲ以ツテ煮レバ則チ凝成ス。・・・蜀人、焉(これ)ヲ珍ス。

 とあることから四川人は三国の蜀漢のころからコンニャクを珍味として食べていたと司馬氏は指摘する。さらに「苦酒ヲ以ツテ淹シ、コレ食ス」、つまり苦酒は酢なので、酢に漬けてこんにゃくを食べていたことから、「四川人はまことに小気味のいい味覚をもっていたといっていい。」と、解説している。

 そこまで文献を読み込んでいた司馬氏は「蒟蒻」という漢字を書いて、四川の人々に尋ねて回るのだが、誰も知らない、こういう文字も知らない、といわれて途方にくれてしまうのである。

 結局、通訳の方に、こんな形でこういう味でなどと具体的な説明を四川の人に述べてもらったところ「それは磨芋豆腐のことです。雪磨芋ともいいます。」と教えてもらい、食べる場所をアテンドしてもらって、食べにいく。結局、それほどまでの努力も実をむすぶことはなく、「こんにゃくの季節ではない」ということで見ることも食べることもできずにこんにゃく探索の旅は終了してしまうのであった。

 ちなみに「雪磨芋」は凍みこんにゃくのこと。その後、司馬氏が調べたところ、清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)のコンニャクの項に別名として「磨芋(みがきいも)」とあるのを発見。「室町期には禅僧の中国留学が流行し、宋語、元語がずいぶん日本語に入ってきたが、そのなかに「磨芋」という四川語もまぎれこんで入っていたのだろう」と推測している。
                                     (つづく)

*いつもお読みくださり、ありがとうございます。
 ほんと、このごろ、毎週書けない状態で・・・。次週は更新はおやすみとなります。
コメント
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