写真は温病学と傷寒論の中国書籍の数々。(2012年、日本のとある書店にて撮影。)日本では傷寒論を学ぶ医療関係者が圧倒的に多い。
【まとめ】
日本が鎖国のころに中国で興った温病学。江戸時代にも漢方をまじめに勉強する日本の医者はいたはずなのに、明治になって中国の情報が入ってきた後も、なぜ、温病学を無視したのでしょうか。
これは推測ですが、日本ではウイルス系の病気への対処は明治以降、主流となった西洋医学に完全におまかせするしかなかったのでしょう。というのも明治政府は一刻も早く西洋に追いつこうと、ご存じのように鹿鳴館で西洋ダンスを踊ったり、西洋の文化を入れたり知識を吸収するのに忙しく、「西洋最高、旧い日本よさようなら」とばかりに日本の伝統文化を破壊する政策をとりました。
そんな流れの中で、漢方医も禁止されたのです。
具体的には、西洋医学での医師免許しか認めませんでした。これでは漢方医が新しく発展する余裕は生まれようもありません。しかも西洋医学でのウイルス分野は当時、最先端の研究分野でした。
そのような歴史のなかで、日本では温病学は完全に欠落してしまったのでした。
現在、日本の漢方と中国の漢方の処方の大きな違いは、温病学の有無です。これが今またさかんになりつつある日本の東洋医学が、今ひとつ不完全な原因と指摘する日本の医学者もいるようです。
ともかく、葛根湯は(性質が中途半端ということもあり)江戸時代のまま、ほとんど進化しなかったために日本では習慣的に生き残り、温病学の発展と傷寒論の研究が進んだ中国ではほぼ絶滅してしまったのでした。
【3世紀に執筆された傷寒論の現在の出版状況】
ところで、いま、中国医学の本を多く扱う本屋に勤めています。棚には「傷寒」関係の本がずらりと並びます。なんと三国時代(紀元3世紀ごろ)に書かれた本だというのに、今なお中国では解説本の新刊が毎月のように出版され、中国でも日本でもよく売れています。日本で出版された傷寒の解説本も数多く、買い求める客がとぎれることはありません。
一方、「温病」のジャンルはというと、中国からの出版物は沢山あり、書棚にも置かれてはいるのですが、まず、日本では売れません。日本の出版社からもたまーに「温病」をテーマにした本が出されますが、すぐに絶版になり、入手不能となるのが現状です。
したがって、「温病」の本は日本の本屋では隅に追いやられております。
(この章おわり。来週から、また肩の力の抜けた「おいしいもの」をご紹介する予定です。)
*とある中国関係専門出版社の社長にお会いする機会がありました。
「じっとしておれん。いまこそ正しい知識だ。尖閣問題の本を年内に出版するぞー。」と雄叫びをあげておりました。
以前より『尖閣列島・釣魚島問題をどう見るか』(村田忠禧著、日本僑報社、2004年)など出版されていますが(現在、入手困難)、ここにきて、国交正常化40周年記念の出版物として前々から用意していた日中関係史関連ものが出されています。
『日中関係史1972-2012』(東大出版会、2012年9月)は近く中国語に翻訳した出版物も刊行されるとか。すっきりとした解決はなくとも冷静な相互理解を、まずは深めたいですね。