シャングリラの街。立派なホテル街の裏側に入ると、ゴミの山と、垂れ流された汚水がたまっていて、すごいにおいを出していた。そんな中、牛がそこから芽生えた雑草をもしゃもしゃと食べていた。乳牛の盛んな地で「緑濃き無公害の地でつくられた牛乳」とのふれこみの牛乳が昆明でも売られていたが、その牛乳がこれ、と唖然となった。
有名映画人が雲南に来たときの歓迎ぶりは、田舎にめったにこない有名人がきたときのようにじつに熱狂的だった。ときにそれが「かわいさあまって」となることも。
【真田広之もやってきた】
チベット自治区、シャングリラ。じつに神秘的なイメージを持つ名に改名されたこの地では、神秘の湖の撮影にのぞむ一行を今か今かと待っていた。
2004年4月、「さらばわが愛~覇王別姫」や「北京バイオリン」で知られる陳凱歌(チェン・カイコー)監督が真田広之らを引き連れて「プロミス~無極」の撮影のために雲南にやってきた。その一行が元謀での連日40度を超える過酷な撮影を終了し、いよいよシャングリラにやってくるというのだ。
撮影隊が着く直前から、私もシャングリラにきていた。バター茶を飲みながらふと、街を見渡すと、街一番のホテルには「歓迎 無極撮影隊一行」の横断幕がはためいている。シャングリラの地方紙には連日「何日後に到着!」の詳報が。だが、粘りに粘る監督のせいで、撮影は押しに押して、一週間たっても一行は現れることはなかった。
ようやく撮影スタッフの一部がやってきた。さっそく風景の撮影やセットづくりに取りかかった。すると新聞もうれしそうに「火の玉に追われたヤクの大集団が山上から草原へと駆け下りるシーン」を撮影するなどの詳細が語りだした。だが監督はあらわれない。
2週間、3週間と過ぎると新聞は「監督はシャングリラの荘厳な雰囲気にインスピレーションを受けた、と確かに言っていた。来るといってたよね」などとの弱気な記事に。やがて監督は誰にも知られることなく静かに現れ、2日間、ロケをすると、風のように去ってしまった。
「思っていたところと違った。荘厳ではなかった」との言葉を言い残して。その後も未練たらたらの記事は続くが、やがて、内モンゴル自治区にセットを設けて本格的に撮影に入ったと知ると、同年8月16日には「シャングリラの生態環境が撮影隊によって大きく損なわれた」という雲南省林業局の調査が公表された。翌年、映画が公開され、ヒットすると、2006年5月9日には雲南省建設部が「クルーはシャングリラの碧沽天池」を破壊した、との訴訟騒ぎにまで発展することになった。監督サイドは当然「そんな事実はない」と反論している。
その「神秘」さの実態が上の写真。街はどんどん拡大し、観光客は押し寄せ、空気は車の排ガスでくさく、水も排水でくさい。神秘を追究するにはあまりにかけはなれてしまったことに、街の上役は気づいていないのだろうか。
さて、そのうち、騒ぎはうやむやとなっていった。そして、「東洋のハリウッド」のプロデュース。なんとなく裏があるような気がして、素直には喜べないのである。
有名映画人が雲南に来たときの歓迎ぶりは、田舎にめったにこない有名人がきたときのようにじつに熱狂的だった。ときにそれが「かわいさあまって」となることも。
【真田広之もやってきた】
チベット自治区、シャングリラ。じつに神秘的なイメージを持つ名に改名されたこの地では、神秘の湖の撮影にのぞむ一行を今か今かと待っていた。
2004年4月、「さらばわが愛~覇王別姫」や「北京バイオリン」で知られる陳凱歌(チェン・カイコー)監督が真田広之らを引き連れて「プロミス~無極」の撮影のために雲南にやってきた。その一行が元謀での連日40度を超える過酷な撮影を終了し、いよいよシャングリラにやってくるというのだ。
撮影隊が着く直前から、私もシャングリラにきていた。バター茶を飲みながらふと、街を見渡すと、街一番のホテルには「歓迎 無極撮影隊一行」の横断幕がはためいている。シャングリラの地方紙には連日「何日後に到着!」の詳報が。だが、粘りに粘る監督のせいで、撮影は押しに押して、一週間たっても一行は現れることはなかった。
ようやく撮影スタッフの一部がやってきた。さっそく風景の撮影やセットづくりに取りかかった。すると新聞もうれしそうに「火の玉に追われたヤクの大集団が山上から草原へと駆け下りるシーン」を撮影するなどの詳細が語りだした。だが監督はあらわれない。
2週間、3週間と過ぎると新聞は「監督はシャングリラの荘厳な雰囲気にインスピレーションを受けた、と確かに言っていた。来るといってたよね」などとの弱気な記事に。やがて監督は誰にも知られることなく静かに現れ、2日間、ロケをすると、風のように去ってしまった。
「思っていたところと違った。荘厳ではなかった」との言葉を言い残して。その後も未練たらたらの記事は続くが、やがて、内モンゴル自治区にセットを設けて本格的に撮影に入ったと知ると、同年8月16日には「シャングリラの生態環境が撮影隊によって大きく損なわれた」という雲南省林業局の調査が公表された。翌年、映画が公開され、ヒットすると、2006年5月9日には雲南省建設部が「クルーはシャングリラの碧沽天池」を破壊した、との訴訟騒ぎにまで発展することになった。監督サイドは当然「そんな事実はない」と反論している。
その「神秘」さの実態が上の写真。街はどんどん拡大し、観光客は押し寄せ、空気は車の排ガスでくさく、水も排水でくさい。神秘を追究するにはあまりにかけはなれてしまったことに、街の上役は気づいていないのだろうか。
さて、そのうち、騒ぎはうやむやとなっていった。そして、「東洋のハリウッド」のプロデュース。なんとなく裏があるような気がして、素直には喜べないのである。