援軍得て奮闘すれども-------
本部への働きかけが功を奏して日本人一名が増員され大手商社I社からO氏が派遣されてきた。実家が山陰の造り酒屋の長男で東京の有名私大を卒業後、海外雄飛の夢を抱いて商社に就職した由。バリバリの中堅商社マンが中東のサウジアラビアへ、しかも自社とは無縁の組織に出向と言う形で派遣されるのは多分異例の人事であったろうと思う。ただ当時I社は業績不振で合理化に迫られていたため、優秀な中堅も外部に出向させたと言うことであろう。
リヤド事務所の業務はサウジアラビアの政府機関や民間企業経営者の懐に飛び込み或いは日本からの訪問者のアテンド業務など営業センスが欠かせない。筆者のこれまでの仕事は内部管理業務が多く営業やお付き合いは余り得意ではなく日本人一人だけの事務所で右往左往していたのが実情であった。そこに営業センス抜群で人当たりも申し分ない人物が援軍として送り込まれてきたので大助かりであった。
それからは日本人二人でサウジアラビア国内を駆け巡り、以前にもまして日本とサウジアラビアの合弁事業を目指して活動した。しかし努力がすぐに報われるほど現実は甘くなかった。両国が合弁事業を作ろうと言うのは、(1)若者の失業問題に悩むサウジアラビアで、(2)雇用の創出につながる合弁事業を設立することがサウジアラビアの国益につながり、(3)さらにそのことによりサウジアラビアが日本に対して石油を安定的に供給すること、なかでも2000年以降もアラビア石油の操業を保証することにつながれば日本の国益になる、と言う三段論法の中核に位置づけられていたのである。
当時のサウジアラビアではソニー、トヨタなど日本製品に対する信頼感は抜群であり日本の技術力が高く評価されていた。従って現地企業を訪問すると大歓迎されサウジ市場に出回っていない日本製品の販売代理店になりたいという要望が殺到した。中には日本製品のカタログを手に事務所に押し掛けてきて日本のメーカーとの仲を取り持ってくれと頼む業者もいた。しかし彼らの望みは単なる商品取引だけの場合が多く、合弁事業を立ち上げて現地生産までを目的とする当方の立場と異なるケースが多かった。
東京の本部ではサウジアラビアに進出する意欲のある日本企業を開拓してくれた。国際的に通用し、しかも国内の市場占有率が100%近い技術や製品を持つ中小メーカーは石油で潤うアラブに強い興味を示した。ただ殆どの場合利幅の高い高額商品の売り込みであったり、或いは開発中の先端技術を商業化するために資金を提供してくれるパトロン(ベンチャー企業のエンジェル)を金満国のサウジアラビアに求めると言う類の話が多く、一足飛びに現地で合弁事業を作るということにはならない。こちらはアラビア石油の利権延長にプラスとなるような即効性を求めており、将来の夢物語には付き合いきれない。
できれば名の通った日本の大企業に進出してほしいのだが彼らの目には人口2,500万人のサウジアラビアは市場として小さく、製造技術の素地が無いため合弁事業を立ち上げるメリットを見い出せない。例えばサウジアラビアでは日本の自動車が最も売れており、そのため相手側から部品工場を作ってほしいと言う強い要望があった。アルミホイール・メーカーの技術者がサウジアラビアに来て各地の候補企業を視察したものの金型を正確に補修できる現地業者が見つからない。鋳造製品の品質の命は金型であり、金型そのものは日本から持ち込むとしてもそれを現地で補修できる業者がいなければ円滑な操業は難しい。結局合弁事業は時期尚早として見送られた。実はこの話にはもう一つ相手側のエピソードもあったのである。それは同国の消費者が街の部品小売店で商品を買う場合「メード・イン・ジャパン」の刻印を求めているのであり、いかに日本の技術であっても「メード・イン・サウジアラビア」では購買意欲をそそらないらしい。サウジアラビアの消費者自身は国産品を信用していなかったのである。
このような中で前任者から引き継いだエビの養殖、アバヤ(女性用ガウン)、薬品製造などが漸くの事で実現した。しかしいずれも小粒で雇用創出と言う点では到底サウジアラビア政府を満足させることはできなかった。また日本側企業も利益を上げることができずいずれも数年を経ずして撤退した。サウジアラビア赴任中の3年間の仕事の顛末については退職後の2008年に新潮社から出版した新書「アラアブの大富豪」の中でも触れたが、ともかく悪戦苦闘の連続であった。
このようなリヤド赴任中の1998年、55歳の定年を迎えた。当時会社は55歳定年制で、その後60歳まで雇用を継続すると言う内規により身分はそのまま一旦退職金が支給されることになった。ただ筆者の場合30歳過ぎてからの中途採用であったため当然のことながら金額は大幅に少ない。因みに前の会社を辞めた時は自主退職扱いのため退職金と言えるほどの額は出ていない。退職金に関する限り終身雇用制の日本では転職が不利なことは明らかである。そのことは四半世紀前にアラビア石油に転職するときから覚悟していたことであり、後悔するような問題ではなかった。アラビア石油の給与が世間並みであり、またカフジ、マレーシアのボルネオそして今回のリヤド勤務と過去10年余にわたる海外勤務がいずれも世間で言う猩獗(しょうけつ)の地であり若干の割増給与が支給されたこともあり、年金を含めると何とか退職後の生活設計の見通しがあったことが定年の安堵感となっていた(その後、年金支給年齢が繰り下がったことは計算外であったが)。
(続く)
(追記)本シリーズ(1)~(20)は下記で一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0278BankaAoc.pdf
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