銀のスプーンをくわえた王子
利権契約により会社にはサウジアラビア政府から常時3人の非常勤取締役が送り込まれていた。石油省のテクノクラートであり、日本の商法で定められた年4回の取締役会に出席し、会社の状況ついて日本人取締役から報告を受け意見を述べた。しかしそれは概して形式的なものでありサウジ人取締役達が異議を挟むことは少なかった。
しかし1991年にサウジアラビア政府がアブドルアジズ・ビン・サルマンを取締役に送り込んできた時から様相が一変した。アブドルアジズは石油省の大臣補佐であったが、今までとは異なる大きな違いが一つあった。彼はサウド家の王子なのである。しかもすこぶるつきの毛並みの良い王子である。彼の父親サルマンは首都リヤドの州知事でありファハド国王(当時)の実弟だった。彼らはサウジアラビア初代国王の息子である。つまりアブドルアジズ王子は初代国王の孫であり王位継承権を持っていた。
ここで少し説明が必要であるが、初代国王はその生涯に多数の王妃を娶り(イスラムでは妻を4人まで持てることは良く知られているが、5人目以降は既にいる4人の妻の誰かを離婚してー「離婚する」と三度唱えるだけで離婚が成立するのであるー新しい妃を迎え入れた)、その結果36人もの息子を残したのである。その中にスデイリと言う名の王妃が生んだ7人の王子がおり、世に「スデイリ・セブン」と呼ばれた。彼らは優秀で兄弟の結束も固かったため他の異母兄弟たちを尻目に若い時から国家の要職を独占していった。長男のファハドは第5代国王に即位し、次男のスルタンは国防大臣、5男のナイフは内務大臣、そして6男のサルマンはリヤド州知事になった。
サルマンが州知事になったのは26歳の若さであった。リヤド州知事は日本で言えば東京都知事に相当する重要なポストであり並みの閣僚よりよほど地位が高い。サルマンの兄たちも30歳前後で大臣に就任している。スルタン、ナイフはその後アブダッラー現国王のもとで皇太子となったが、いずれも死去したため現在はサルマンが皇太子である。そのような訳でアブドルアジズ王子も石油省に入った後、一般のテクノクラート達を尻目に20代で石油大臣補佐にスピード出世をとげ、アラビア石油取締役になった時、彼はまだ31歳であった。アブドルアジズ王子は銀のスプーンをくわえて生まれ、王位継承権を持った正真正銘のエリートなのである。アラビア石油社長は当時61歳であり、他の取締役も50から60歳代であったから、取締役の中でアブドルアジズただ一人が異常に若かった。
但し銀のスプーンをくわえた王子は彼一人ではない。何しろ父親と同じ世代、つまり彼の伯叔父だけでも36人であり、その息子たち即ちアブドルアジズと同世代の王子である従兄弟の人数は200人以上に達するのである。そうなると王位継承権を持っているとは言え国王になることはまず高根の花であり、どれだけ高い官位(できれば大臣ポスト)を獲得するかが200人を超える同世代の王子たちの目標である。アブドルアジズよりも早く生まれた従兄弟たちはそれぞれの父親のコネで既に彼よりも高い官位を得た者も少なくない。登竜門は狭く競争は激しいのである。
彼がアラビア石油取締役に任命された時、彼の前に西暦2000年の利権契約更新と言う格好の課題がぶら下がっていた。アラビア石油にとってそれは困難な課題であったが、王子の立場から見れば大きなチャンスだった。サウジアラビア政府の代表としてこの問題を有利に解決すれば大臣ポストも夢物語ではないと彼が張り切ったのも当然であった。
彼はアラビア石油の取締役会で積極的に発言し、日本人の取締役たちにとっては極めて扱いにくい存在となった。既に1970年代のOPECによる石油産業国有化(サウジアラビアの場合は外国石油企業への事業参加)以降、サウジアラビア政府とアラビア石油の立場は完全に逆転しており、これに対して生産現場がカフジしかないアラビア石油は弱い立場に立たされていた。2000年に終結する利権契約に対して会社側はサウジアラビア政府に対抗する有効な手段がなかった。取締役会を傍聴した社員から聞くところではアブドルアジズ王子の発言に対して真っ向から反論する日本人取締役は殆どいなかったようである。日本人取締役達は負け犬根性の「ルサンチマン状態」(ニーチェの用語で弱者が強者に対する憎悪や復讐心を鬱積させていることー広辞苑より)に陥っていたと想像される。
アブドルアジズ王子はますます思い上がり、会社を相手にしてもらちが明かないと考えるようになった。彼は日本政府を直接交渉の場に引きずり出す作戦に出た。そしてとんでもない要求を持ち出したのである。
(続く)
(追記)本シリーズ(1)~(20)は下記で一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0278BankaAoc.pdf
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