石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

ニュースピックアップ:世界のメディアから(11月23日)

2016-11-23 | 今日のニュース

・プーチン・ロシア大統領、増産凍結の姿勢。「OPECが期待することは何でもやる」

・イラク石油相「OPEC総会で対案示す」。生産削減拒否の中で気になる発言

・カザフスタンのカシャガン油田、10ねイン以上の遅れで商業生産開始

・楽観的な原油市場、50ドル目前:Brent $49.23、WTI$48.58

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(47)

2016-11-23 | 中東諸国の動向

 

第6章:現代イスラームテロの系譜

 

4.悪の枢軸イラクとの戦争(2003年)

 911同時多発テロで暮れた翌2002年1月、ブッシュ米国大統領は一般教書演説でイラン、イラク及び北朝鮮を「ならず者国家」(テロ支援国家)と名指しで批判し、これら3か国をひとまとめにして「悪の枢軸」と呼んだ。

 

 「ならず者」、「悪の枢軸」という言葉は実にわかりやすい言葉である。テキサス出身のブッシュ大統領は正義の味方西部劇の保安官気取りであった。世界最強の国家元首の言動としては一寸軽はずみな感が否めないが、米国市民にとっては耳に響きの良い言葉なのであろう。そのことは今年(2016年)のトランプ共和党大統領候補の言動を見ればよくわかる。とにかく米国の一般市民にとっては今も昔も米国は神(God)の正義をかざし悪を懲らしめる世界の保安官なのである。

 

 ブッシュ大統領の戦略思想はブッシュ・ドクトリンと名付けられた。その思想の根幹にあるのが、テロリスト及び大量破壊兵器を拡散させかねない「ならず者国家」に対峙し、必要に応じて先制的自衛権を行使する、ということである。彼は『世界は米国側につくか、テロ側につくかのいずれかだ!』と叫んだのであった。

 

 彼の思想は近代米国社会の底流に脈々と流れる新保守主義(Neo Conservative、いわゆるネオコン)そのものである。ネオコンは政治思想家フクヤマの理論を実践に移した政策集団と言えよう。彼らネオコンはアフガニスタン戦争では当面の敵ソ連を撃破するためイスラム勢力と手を組み、イランン・イラク戦争ではイランを打ち破るためスンニ派のフセイン・イラク政権を支援した。

 

 そして1991年の湾岸戦争ではブッシュ(父)米国大統領が躊躇することなく軍事行動を起こし、イラク軍をクウェイトから撃退した。しかし当時、軍事行動の目的はクウェイト解放のみ、という国連決議の制約のためバクダッドを目前にしてブッシュ(父)大統領は連合軍の引き揚げを命じた。フセイン政権はかろうじて生き延び、その後国内の実権を握り続け、シーア派、クルド族など対立する勢力を弾圧しつつ富国強兵を図り、恐怖政治を続けたのであった。

 

 息子のブッシュ大統領が持ち出したのがフセイン政権の大量破壊兵器隠匿及び国際テロ組織アル・カイダとの結託の疑惑であった。ブッシュ・ドクトリンを掲げて、米国は国連でイラクに対する軍事制裁を説き続けた。安全保障理事会ではロシア、中国に加えフランスも反対、米国に同調したのは英国のみであったが、それでもブッシュはネオ・コンの強硬姿勢を崩さなかった。彼にとってフセイン政権打倒はイラクを民主主義国家に変えるという湾岸戦争で果たし得なかった父親の夢を実現することだった。

  

 こうして2003年3月、米国はイギリス、オーストラリアなど数か国と有志連合を組み、「イラクの自由作戦」の名のもとにイラクに攻め込んだ。戦いに臨む米軍には伝統に輝く二つの勇ましいスローガンがあった。第二次世界大戦そして湾岸戦争に続いて対イラク戦争でもこの掛け声が唱えられた。「ショー・ザ・フラッグ(Show the Flag)」と「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(Boots on the ground)」の二つのスローガンである。

 

 これらを直訳すれば「ショー・ザ・フラッグ」は「旗(幟)色を鮮明に」、「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」は「戦場に軍靴の音高く」ということになる。二つを合わせて意訳するなら「軍旗を押し立て前線に乗り込む」ということにでもなるのであろう。つまりそこにあるのは「敵か味方かはっきりさせろ」ということであり、そして「ともかく戦場で敵と直接対峙しろ。臆病者になるな」と叱咤激励するのである。テキサス出身のカウボーイの末裔ブッシュ大統領は、かつてインディアン(差別用語だとして現在では「ネイティブ・アメリカン」と称されているが)を蹴散らした騎兵隊長の気分だったと考えればわかりやすい。

 

 兵士を鼓舞するこのようなスローガンが無くても圧倒的な物量を誇る有志連合の前にイラク軍は衆寡敵せずである。戦闘は早々と決着がつき、ブッシュ大統領は2か月後にはペルシャ(アラビア)湾に浮かぶ原子力空母「アブラハム・リンカーン」の艦上で「大規模戦闘終結宣言」を行ったのである。

 

 しかしよく知られているとおり戦争後の調査でイラクに大量破壊兵器など存在しなかったことがわかり、イラク戦争の開戦理由が否定された。さらにフセインをとらえ死刑に処した後もイラクの治安は回復するどころかむしろ宗派対立、部族対立が表面化し治安の悪化が常態化した。ようやく2011年にオバマ大統領によりイラク戦争終結宣言が出て米軍は全面撤退したのである。しかし本当のところは戦争が終結したから軍が撤退したのではなく、軍を全面撤退させるために戦争の終結を宣言したという方が正しいのであろう。

 

 米軍の撤退を見計らったかのようにシリアからイラク北部にかけて「IS (イスラム国)」が侵入して来るのである。

 

(続く)

 

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

       荒葉一也

       E-mail; areha_kazuya@jcom.home.ne.jp

       携帯; 090-91の57-3642

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする