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http://mylibrary.maeda1.jp/ImfWeoOct2019.doc.pdf
5.世界および主要地域・国のGDP成長率の推移(2016~2020年)
(表http://menadabase.maeda1.jp/1-B-2-11.pdf 参照)
(図http://menadabase.maeda1.jp/2-B-2-05.pdf 参照)
(世界の平均成長率は3%台で推移、ASEAN5カ国は5%前後を維持!)
(1)世界および主要経済圏
2016年(実績)から2020年(予測)までの5年間の経済成長率の推移を見ると世界全体では3%台で推移しており今年の成長率は3.0%、来年は3.4%である。
経済圏別で見るとG7の成長率は2016年の1.5%が翌2017年には2.3%にアップしたが、その後は年々減速する傾向にあり、今年(2019年)及び来年は1.6%にとどまる見通しである。EUはG7より若干高めの成長率を維持しているが、G7と同様2017年の2.8%が5年間で最も高く、今年~来年は1.5~1.6%の低成長と見込まれている。
2016年に5.0%の成長率を達成したASEAN-5か国はその後も他の地域を大幅に上回る成長率を示し、今年及び来年は4.8%及び4.9%と予測されている。
(中国は減速気味で来年は5%台に!)
(2)世界と中東主要国
日本の成長率は2016年の0.6%が2017年には1.9%に上昇したが、2018年以降、2020年までは0.8%→0.9%→0.5%と1%以下の低い成長が続く見通しである。日本の成長率は以下に述べるインド、中国にははるかに及ばず、米国、ドイツなどと比べても見劣りする低い水準にとどまっている。
米国の経済は先進国の中でも特に好調であり5年間を通じてほぼ2%台の成長を維持している。2016年以降の各年の成長率は1.6%→2.4%→2.9%→2.4%→2.1%である。中国はインドよりは低いものの5年間を通じてかなり高い成長が続くと見られているが、その成長率は2017年の6.8%から年々低下し来年(2020年)は5.8%と予測されている。これに対してインドは5年間で8.2%(2016年) →7.2%(2017年) →6.8%(2018年) →6.1%(2019年) →7.0%(2020年)と中国の成長率を上回る高い成長率が続く見込みである。
GDPが中東最大のサウジアラビアは原油価格下落の影響を受けて2017年は▲0.7%のマイナス成長に陥ったが、翌2018年にはプラス成長に戻っている。同国のGDPは石油価格によって大きく変動し、5年間のGDP成長率は1.7%(2016年)→▲0.7%(2017年)→2.4%(2018年)→0.2%(2019年)→2.2%(2020年)とブレが大きいのが特徴である。
イランは2016年に12.5%の高い成長率を記録したが2018年は一転してマイナス成長に転落し(▲4.8%)、今年(▲9.5%)はさらに悪化している。石油輸出を含む米国の広範な経済制裁の影響が強く表れている。
(完)
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(英語版)
(アラビア語版)
第1章:民族主義と社会主義のうねり
6.イスラエル独立(その4):対英テロ活動を経てついに独立
テロ(リズム)とは「政治目的のために暴力あるいはその脅威に訴える行為」(広辞苑)である。一般市民が犠牲となるテロ行為は決して許されるべきものではない。しかし国家の独立を賭けた戦いにおいては必ずテロ行為が発生する。時の政府あるいは権力者はテロを秩序を乱す犯罪行為とみなす。これに対して反権力者側はテロ行為は目的達成のための正当な手段の一つだと主張する。両者の主張がかみ合うことは無い。
多くのテロ行為は治安を握る権力者によって鎮圧されるが、反乱側が権力を奪取し国家として独立が認められると立場が逆転し、それまでの反乱者たちのテロ行為は「愛国的な行為」とみなされる。そしてテロの実行者たちは「英雄」に祭り上げられ国際社会もそれを受け入れる。戦後世界は国民国家が基本単位であり、政治学者は国家だけが正当な暴力装置を持つことを許されていると説く。
イスラエル独立前後の事情もこの一つの例である。建国の地パレスチナは第一次大戦後、英国の委任統治領となったが、そこには先住民のアラブ人が住んでいた。ユダヤ人は当初「シオニズム運動」に駆られ、次いで「バルフォア宣言」に勇気を得て続々と移住してきた。新移住者は先ず自分たちの土地の取得を目指した。オスマン・トルコ時代からの不在地主たちは戦後の混乱に不安を覚え、またユダヤ人が目の前に積み上げる現金に目がくらんで次々と土地を手放した。土地の所有者となったユダヤ人たちは小作人のアラブ人を追い出し集団農場キブツを造り始めた。
アラブ人とユダヤ人の間で紛争が起こるのは当然の成り行きであった。委任統治を任された英国政府はユダヤ人移住者による土地の取得を制限することにより、ユダヤ人とアラブ人の紛を少しでもなくそうとした。するとユダヤ人の反抗の矛先は英国政府に向かった。ユダヤ人とアラブ人と英国政府の三つ巴の対立の中でテロ活動が頻発した。
ユダヤ人が英国に対して行った最大のテロ活動が1946年7月のキング・ダビデ・ホテル爆破事件である。この事件により一般宿泊者を含む91名が死亡した。実行犯は過激派シオニスト組織で集団農場キブツの自警団をルーツとするハガナーである。ハガナーは後にイスラエル国防軍の母体となる。第二次大戦後、ハガナーとその後に生まれた対アラブ強硬派の軍事組織イルグンによる独立テロ活動が激しさを増した。手に負えなくなった英国はついに1948年5月14日をもって委任統治を返上することを決めた。
独立の好機到来とばかりハガナーやイルグンなどは対英・対アラブのテロ活動を強化した。ハガナーの主要メンバーには後に首相となりノーベル平和賞を受賞するイツハク・レビン、隻眼の軍人として数々の武勇伝を持つモシェ・ダヤン等が、またイルグンにはこれも首相になったメナハム・ベギンがいた。
そしてユダヤ人たちは英国の委任統治終了の日に独立を宣言した。独立の指導者ベン・グリオンはこの日、「イスラエルの地はユダヤ人誕生の地である」と言う書き出しに始まる独立宣言を読み上げた。周辺アラブ諸国はイスラエルの独立を認めず軍事介入に踏み切る。これが第一次中東戦争である。
1949年3月、紅海につながるアカバ湾の最奥部にある港町エイラートも戦場となりイスラエル軍が占領した。この時イスラエル軍は近くのホテルのシーツに青いインクでにわかづくりの国旗を作り港に掲揚した。これが「インクの旗」と呼ばれるものであるが、その時の写真は第一次中東戦争を象徴するものとして今も語り継がれている。それはまさに太平洋戦争の激戦地硫黄島で米軍が掲げた星条旗の写真とうり二つである。こうしてイスラエルは地中海に加え紅海側にも出口を確保したのである。
同じ年エイラートの町の郊外のパレスチナ人農家ザハラ家に男の子が生まれている。この戦闘ではザハラ家は戦火を免れ細々とではあるが平穏な暮らしを続けることができた。しかしその平和な生活がいつまでも続くという保証はなかった。
(続く)
荒葉 一也
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