石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(22)

2020-01-13 | 今日のニュース

(英語版)
(アラビア語版)

第2章:戦後世界のうねり:植民地時代の終焉とブロック化する世界

荒葉 一也
E-mail: areha_kazuya@jcom.home.ne.jp

8.ゲリラになるか?難民になるか? 彷徨えるパレスチナ人

 1964年の設立当初からしばらくの間PLOは穏健な政治闘争でパレスチナ人の民族自決権回復と離散したパレスチナ難民の帰還運動を行っていた。しかし期待していた近隣アラブ諸国の為政者たちの支援は口先ばかりであり、1967年の第三次中東戦争(別名6日間戦争)で為政者たちの鼻っ柱は見事にへし折られた。PLOの領土奪回の夢はさらに遠のき、それどころか百万人の新たなパレスチナ難民がヨルダンに流れ込んだのである。パレスチナ人たちはアラブの同胞に失望し、PLOは過激なゲリラ闘争組織に変身していく。

PLOを構成する数多の組織の中で頭角を現したのがファタハであった。ファタハは反イスラエルのゲリラ組織を結成、イスラエルとヨルダンの国境でイスラエル軍を撃退するなど戦果をあげた。1969年2月、PLO第2代議長にファタハのアラファトが就任した。エジプトのナセル大統領は彼に「パレスチナの指導者」というお墨付きを与え、これによりPLOは実質的なパレスチナ亡命政府となった。

PLOの中にはファタハの穏健路線に満足しないパレスチナ解放人民戦線(PFLP)などの急進派もいた。PFLPはマルクス・レーニン主義を掲げ「テロに訴えてでもパレスチナに世界の耳目を集める」ことを目指しヨルダン国内からイスラエルに出撃した。当初はヨルダン政府自身も攻撃部隊を送り込んだが、その都度イスラエルの手痛い反撃を受けた。イスラエルに対する戦闘に勝ち目がないことを悟ったフセイン国王は米国に仲介を依頼、イスラエルとの和平と言う現実外交に舵を切り替えようとした。PLOはこれを裏切り行為ととらえ、ハシミテ王家を転覆しヨルダンに共和国を建設することを目論んだ。PLOはヨルダン国内では王家転覆、国外ではイスラエル打倒を目指し内外のテロ活動を活発化させた。

このころからすでにPLOとその傘下のPFLPによる過激なテロ活動はヨルダンの一般国民のみならずパレスチナ人の間にも拒否反応が生まれていた。そして1970年9月にPFLPが5機の民間旅客機を同時ハイジャックする事件を起こすに及んで、堪忍袋の緒が切れたヨルダン国王フセインは遂にPLO排除に乗り出し、ここに「黒い9月」と呼ばれるヨルダン内戦が発生する。大衆の支持を失ったPLOは内戦に敗れ本拠をベイルートに移すこととなる。

PLOはベイルートに移転した後もイスラエルに対するゲリラ攻撃をやめなかったが、イスラエルからはそれを上回る反撃を受けたためパレスチナ難民があふれ、レバノン南部に大きなパレスチナ難民キャンプが生まれることになる。焦ったパレスチナ過激派は自分たちの運動に同調する海外の過激派組織を呼び込み、自らは海外のユダヤ人を、そして思想に共鳴する外国組織をイスラエル国内に送り込むテロ活動を展開した。

その結果1972年に二つの大きな事件が発生する。5月にテルアビブ空港で日本赤軍が自動小銃を乱射して26人を殺戮した。テロリストが無差別に一般市民を襲撃したこと、および犯人の一人が手りゅう弾で自爆したことはそれまでのイスラム・テロでは考えられなかったことである。イスラームに限らずキリスト教、ユダヤ教などの一神教は自殺を認めていない。人間の命は神(またはアラー)の手にゆだねられており、自分勝手に死ぬことは許されないからである。ところが東洋から来た日本人は自らが信じる高邁な理想に殉じることを潔しとしている。自爆した犯人の頭の中には2年前の三島由紀夫自刃事件のことがあったのかもしれない。数十年後に多発する自爆テロの先駆けとも言える衝撃的な事件であった。

さらに8月にはオリンピック開催中のミュンヘンの選手村でイスラエル人選手9名が殺害された。襲撃グループは「黒い9月」と呼ばれるパレスチナ過激派組織であった。しかしこれによってPLOはイスラエルに追い詰められ、複雑な国内事情を抱え内戦状態にあったレバノンの国内事情も重なり、PLOは1982年、ベイルートからチュニジアに落ち延びることになる。

落ち延びたのはPLOという組織だけではない。ヨルダンに避難したパレスチナ人の個人々々も同様である。しかし避難先のヨルダンは貧しく、とても安住の地と言える場所ではなかった。ある者は豊かな生活を求めて更なる移住を目指す。そのころ丁度クウェイトやイラクで石油開発ブームが始まろうとしていた。彼らは出稼ぎ者として産油国に押しかけた。こうしてパレスチナ人の選択肢は二つに分かれた。PLOと行動を共にしてゲリラ戦闘員になるか、さもなくば家族を連れて異国を渡り歩くか、のいずれかであった。

第一次中東戦争(イスラエル独立戦争)でヨルダン川西岸のトゥルカルムからヨルダンに難を逃れた教師のシャティーラ一家と医師のアル・ヤーシン一家は今度も行動を共にして第二次中東戦争(スエズ戦争)が勃発した1956年、クウェイトに移った。豊かな石油収入で国造りを目指すクウェイトは教育と医療に力を入れ高給を餌に多数のアラブ人を招き寄せたからである。

パレスチナ人は二千年の昔のユダヤの民のごとくディアスポラ(離散)の民となった。

(続く)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スペインなど南欧3カ国が揃って格上げ:世界主要国のソブリン格付け(2020年1月現在) (3完)

2020-01-13 | その他

(注)本レポートは「マイライブラリー」で一括してご覧いただけます。

http://mylibrary.maeda1.jp/0492SovereignRating2020Jan.pdf

 

3.2017年1月以降の格付け推移
  ここでは2017年1月以降現在までの欧米・アジア主要国及びGCC6か国のソブリン格付けの推移を検証する。

(1) 欧米・アジア主要国の格付け推移
(図http://menadabase.maeda1.jp/2-G-3-01.pdf参照)
2017年1月以降のドイツ、米国、英国、中国、日本、インド、ロシア、ブラジル、ギリシャ9か国の格付けの推移は以下の通りである。

ドイツは過去3年間常に最高のトリプルAの格付けを維持している。米国はドイツより1ランク低いAA+を、また英国はさらに1ランク低い格付けAAを過去3年間続けている。中国及び日本はドイツ、米国、英国に比べさらに低い格付けである。中国は2017年上期まではAA-であったが、2017年下期に下方修正され現在は日本と同じA+である。

新興経済国BRICsを構成しているブラジル、ロシア、インド及び中国のうち、2017年1月現在は、中国がAA-と最も高く、日本(A+)より上位であった。インドは投資適格では最も低いBBB-であり、ロシアとブラジルは投資不適格のBB+及びBBであった。その後、ブラジルの経済が悪化、2018年上半期にはBB-に格下げされた一方、ロシアは同期間中にインドと同じ投資適格最低ランクのBBB-に格上げされた。インドは過去3年間BBB-で格付け変動は無かった。

欧州金融危機の引き金となったギリシャの2017年1月時点の格付けはB-であった。S&Pの定義では格付けBは「現時点では債務を履行する能力を有しているが、「BB」に格付けされた発行体よりも脆弱である。事業環境、財務状況、または経済状況が悪化した場合には債務を履行する能力や意思が損なわれ易い」とある。このようにギリシャは危機的状況にあったが、その後EU、IMF等の勧告に沿って経済改革を進めた結果、2018年上半期に格付けはB+にアップし、さらに昨年下期にはBB-に格上げされ急速に改善している。

(トップを続けるアブダビとクウェイト、見劣りするオマーンとバハレーン!)
(2)GCC6カ国の格付け推移
(図http://menadabase.maeda1.jp/2-G-3-02.pdf参照)
 GCC6か国(UAE、クウェイト、カタール、サウジアラビア、オマーン及びバハレーン)の過去3カ年のソブリン格付けの推移を見ると、まず2017年1月時点ではUAE、クウェイト及びカタールの3か国の格付けが最も高くAAであった。サウジアラビアはこれら3カ国より4ランク低いA-であり、オマーンは投資適格で最も低いBBB-であった。有力な産油(ガス)国が多いGCCの中で石油生産量がわずかなバハレーンのソブリン格付けは非投資適格のBB-にとどまっていた。

 経済力の弱いオマーンとバハレーンはその後下落傾向が止まらず、オマーンは2017年上半期から翌年上半期の間に投資不適格のBBまで転落した。またバハレーンも2017年下半期にBB-からB+に格下げされている。カタールは、2016年にイスラム過激派支援を理由にサウジアラビアおよびUAEから国交を断絶され、S&Pは2017年上半期に格付けをAA-に格下げして現在に至っている。

UAE(アブダビ)とクウェイトは過去3年を通じてAA格付けを維持し、またサウジアラビアも両国とは4ランクの格差はあるものの現在までA-格付けを維持している。

 このようにGCC6カ国の中ではUAE及びクウェイトが安定して高い格付けを維持し、カタールがこれら2カ国に一歩遅れ、少し離れてサウジアラビアがやや低い投資適格の格付けにとどまっている状況である。これら4カ国に対してオマーンとバハレーンは投資不適格のランクに落ちた後もそのまま回復の兆しが見えず他の4カ国との格差は広がったままである。

以上

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
 前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
   Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
   E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする