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(アラビア語版)
(目次)
第5章:二つのこよみ(西暦とヒジュラ暦)(22)
136歴史に取り残されるパレスチナ問題(4/4)
ヨルダン川西岸やガザ地区に住むパレスチナ人たちは先の見えない状況に置かれた。それでも彼らはイスラエルに対する抵抗運動を止めなかった。わずかな武器弾薬のほかに何も持たないパレスチナ人たちが抵抗の証に手にしたのは「石つぶて」であった。彼らはデモ鎮圧を図るイスラエル兵士と戦車に向かって石を投げて抵抗の意思を示したのである。それは「牛車に歯向かう蟷螂(カマキリ)」のたとえ通り絶望的な抵抗運動であったが彼らに残された手段はそれしかなかった。それが1987年に始まった「(第一次)インティファーダ」である。石つぶてで圧制者に抵抗するパレスチナ人と、これに最新兵器で立ち向かうイスラエルの争いは国際世論の目を引き、イスラエル非難の声があがった。
ノルウェーが調停に乗り出し1993年、イスラエルとPLOはオスロ合意を締結、両者が相互を承認するという歴史的な成果を上げた。これにより翌1994年、PLOのアラファトおよびイスラエルのペレスとラビンはノーベル平和賞を受賞するのである。ただし結論から先に言えば、翌年右翼のユダヤ人によりラビンが暗殺され両者の平和は結局幻に終わるのである。それは1978年にエジプトのサダトとイスラエルのベギンがノーベル平和賞を受賞したとき、3年後にサダトが暗殺された事件の再現であった。「ノーベル平和賞」は中東和平に関する限り、恒久的な平和がもたらされたからではなく、世界の人々、特にヨーロッパの知識人たちの中東の平和に対する期待感によるものでしかなかったのである。
(続く)
荒葉 一也
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