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第2章 民戦後世界のうねり:植民地時代の終焉とブロック化する世界(1)
039.対照的なフランスと英国の植民地支配(1/3)
第一次世界大戦時のサイクス・ピコ秘密協定により、フランスはトルコ南部からシリア全域、さらにイラク北部及びレバノンを勢力圏に収め、英国はイラク南部、ヨルダン、サウジアラビア北辺及びクウェイトを勢力下においた。両国はそれぞれの地域に宗主国として君臨した。
しかし第二次世界大戦を境に各地で独立の機運が高まった。この時、フランスと英国が認めた各国の独立後の政治体制は対照的なものであった。レバノンとシリアはフランスが第二次大戦でドイツに占領され海外植民地まで手が回らなくなった間隙を縫って1941年に共和国として独立を宣言した。これに対して英国はフセイン・マクマホン書簡の約束に従いヨルダンとイラクを王国、しかも預言者ムハンマドにつながるハシミテ家の子孫を国王とする王制国家として独立させた。
フランスは共和制国家を樹立させ、英国は王制国家として独立させたことは興味深い事実である。一つの理由は両国自身の政治体制にあると考えられる。両国は共に議会制民主主義国家であるが、英国はその正式国家名「United Kingdom(連合王国、略称UK)」が示す通り王制(もちろん立憲君主制の)国家である。従ってヨルダンとイラクを王制国家として独立させることに抵抗はなかったと思われる。
(続く)
荒葉 一也
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