たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

紀伊半島の旅(その8) 安珍清姫の舞台・道成寺から日の岬へ

2016年04月07日 | 
続き


ここは道成寺

能や歌舞伎、文楽、長唄で知られる安珍と清姫の物語で知られる寺ですね

この安珍と清姫の物語

室町時代、猿楽の観世小次郎信光が鐘巻を切り詰め

再構成したと言われる女の執念を描いた作品で有る事は、あら筋は省いても皆さん、ご存知ですよね

勿論、物語の世界ですから実際に有った事では有りませんが

それを、踏まえつつも人間(私)とは可笑しなもので

あたかもここに安珍と清姫が実在していた世界を作り上げようとしてしまうものです




寺と言いますと七不思議が付きものの様です

この階段がその不思議の一つ

62段の石段は参謀者の為に上り下りが見た目、楽なように遠近法を用いたカラクリが仕組まれています






この寺は天台宗、第五番札所で大宝元年(701)に天皇の命により紀道成が建立されたものだそうです

国宝で有る千手観世音菩薩は33年に一度の御開帳の時でしか姿を現しませんが

写真の千手観音は本尊ではなくお前立の仏像で国宝の秘仏はこの奥に大切に安置されているのだとか

これは七不思議の二つ目




この三重の塔が不思議の三つ目




女の一念 岩をも通す

出ましたよ

女性は一見 か弱くも執念深さを奥に秘めている・・・裏切られた時の恨みは恐ろしいのだよ

名誉の為に・・・私は当てはまりません

四つ目の不思議でした




その鐘が有ったのが五つ目の不思議、この場所でした

焼け跡に植えられた桜は「入相桜→いりあいざくら」で初代の桜が台風で倒れたあと

根もとから自生した2代目なのだそうです




これも不思議と言うのでしょうか

でも・・・六つ目の不思議なんです


この像は念仏堂に安置されている阿弥陀如来です

やけに髪が長いぞ!

まるでアフロヘア―だねぇ

実は長い瞑想を続けたため伸び放題になったんですって

リアルな演出です事ね

最後七つ目の不思議に気付かなかったのは夜に判明するんですって・・・でもねぇ




時刻は昼時になりました

食堂を探して歩いていますと手編みで帽子を編んでいる(売り物)奥様

孫が帽子が欲しいと言っていたのを思いだし一つ購入

暇に任せて編んでいるからと500円のところ450円にして下さいました

そして入ったのは「あんちん」という食堂

写真の女将さん、80歳を超えているのに手際よく店を仕切っています

「食事も美味しかったし女将さんの所作が気持ち良かった」と帰り際、雄さんが言いますと

「嬉しい事を言ってくれるじゃ有りませんか」と満面の笑みで見送ってくれました

  



次に私達が訪れたのは日の岬です

この灯台は内田稲人(ホトトギス派の俳人)が戦後の物資不足、

妻や三女の死亡にもめげず守って来たという灯台です

ここには「妻、長女 三女の千鳥 飛んで来よ」という高浜虚子の歌碑が寂しく建っておりました




近くの小高い場所にクヌッセンの遺徳を偲んで建てられた胸像が有りました

命がけで日本人を救助しようとして命を落としたデンマークの機関長です

此処へ来るまで私の知らなかった歴史でした

  

脇に階段が有り登り口に「アメリカ村資料館」の立札が立っています

上に行ってみますと長い事閉ざされた遊園地と資料館が寂しく放置されていました

何時頃まで稼働していたのか・・・鉄は錆び何処か哀れな遊具でした


丘に点在する家々がアメリカ村

このユニークな名前のアメリカ村に関しては旅に出る前に興味を惹かれ下調べ済みです

ここ三原村三尾の村民が漁業の争いに負けて海での生業が難しくなり

生きる為に国外脱出を考えたのだそうです(アメリカ村と言っても実際はカナダへの移住)

現在も村民の30%が移民し此処に建てられているのは移民帰りの人達で

建物や生活様式は洋式で話す言葉も英語と日本語ゴチャマゼだと言いますから面白いですよね






半島を出る前に潮吹き岩が有ると言うので

来る時に見逃した看板に注意しながら・・・有りました

舗装路から右側が切れたった道を下りて行きますと岩礁の間から吹き出す潮

と言いましても今日は凪いだ海でしたので1mほどの高さがやっと

荒れた日、限定の潮吹き岩なんですね


R42に出、南高梅の里を通り次の目的地へと走ります

続く

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コメント (8)
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