たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

四国旅(4/12) 沈下橋→高知城

2019年05月14日 | 

 続き

中津渓谷で仁淀ブルーを堪能した私達が次に目指したのは越知(おち)町です

R33を佐川方面に向かい途中、左折した18号線は仁淀川沿いに延びており

随所に沈下橋が架けられていると言うところに注目しました

さっそく現れた「浅尾の沈下橋」

川の水は、あくまでも澄み空の青さを映してブルーを際立たせておりました

棚田風景はもう当たり前の景色になりました

もし此処に道の駅でも在ったならば一泊して

厳しさと長閑さが同居する生活を肌で感じてみたい、そんな想いに駆られる村落です

 

18号線は次第に道幅が狭まり、これが生活道路とは俄かに信じられない様な山道が延々と続く中

『ここからxxxm区間、車の擦れ違いは出来ません』

狭い道は登山口へ行くのに慣れてはいますが、こんな看板は見た事が有りません

斜面に作られた道ですので当然、右側は崖になっており、もし対向車が来たならば

バックするのも一苦労する事でしょう  どうか車が着ません様にと祈る気持ちで何とかクリア

やがて閉塞感から解放されると前方に集落が見えて参りました

其処に架かる橋が「片岡沈下橋」

ここでは当たり前の景色なのでしょうが沈下橋と言う言葉さえ聞かない群馬の人間に

この景色を目の前にして恥ずかしながらも子供の様に心の弾むのを抑えられませんでした

その橋を若い女性ドライバーが平然とした表情で渡って行きました

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やって来ました  ここは高知市内

路面電車が走ってる・・・先ほどの沈下橋と言い又もや私をワクワクさせる風景

まるで山の中からやって来た(実際そうなのですが)お上りさん宜しく視点が定まりません

 

 

  

僅かに残されたお堀から歩を進めれば堂々とした構えの大手門の向こうには天守閣が

 優美な姿を見せておりますした

高知城藩主・山内一豊が慶長6(1601)年から10年の歳月を要して築いたと言う高知城です

日本国内で天守と大手門が江戸時代当時のまま現存するのは高知城のみなのだとか

(左)山内一豊像  (右)内助の功で一躍、名を轟かす千代像)

 

    

 

    

右の写真の雄さんが立つ右には上段の間が在りますが(写真失敗)質素な造り の中に

落ち着きのある間取りでした

左の欄間は斬新と言いますかシンプルと言いますかそんななデザインですが

土佐の甚五郎と名高い武市仁七作の土佐の荒波を表現したものだそうです

右はお堀の水連の葉陰でう水鳥なのでしょうね、こうした欄間飾りが幾つか下に並べられておりました

    

 

 天守閣からの眺めです

上の写真左→奥の門は黒鉄門は儀式の際に藩主が出入りする為の門

右の写真→青銅のシャチホコ、鋭さが感じられます

下の写真→詰門で本丸と二の丸を繋ぐ役目を果たしており「橋廊下」とも呼ばれ

2階には家老、中老などの詰所として用いられていた様です

帰りは乾櫓跡方面を散策する事に致しました

すると、これは一体?

 

 石垣に飛び出しているもの

これは「石樋」なのだそうです

土佐は雨が多いため此処で排水をしていた様です

どの様に流れるのかは実際、雨が降ってみないと分かりませんよね

野面積の石垣は一見、雑の様に見えますが非常に頑丈な築き方なのだそうです

     

城内に展示されていた完器の数々

時代を遡り当時に想いを馳せて追手門を潜れば掘りの中に一輪だけ咲いていた水蓮が印象的でした 

 

 

 

 

コメント (12)
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