たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

北陸・近畿の旅 「明智光秀の城・福知山城」

2019年11月22日 | 

5日目 (1)

城崎温泉を発って内陸に入ると目的の場所へ着くまでは

商店街や人家の切れ目が無い群馬と違い殆ど山や田園地帯を縫うような道が続きました

そんな事で福知山に向かうために走った沿線に食堂は見当たらず

今夜こそ湯を沸かして緊急の為に持ってきた「うどん」を食べるしかないと思いながら

上夜久野のドライブイン(道の駅と勘違い)に車を停め何気なく目の隅に「長浜らーめん」の文字を発見

地獄で仏に会った様とはこんな事を言うのかもしれませんね

しかもメチャクチャ美味しいラーメンとギョーザだったのです

 

目覚めると外は雨でした

傘を差しての福知山城見学です

復元された内部見学には面白味は有りませんでしたが

無料駐車場から見上げた堂々とした構えは優美さが・・・

本日は不覚にも私のカメラのバッテリーが終わってしまったため雄さんに頑張って貰いました

 

   

家門である桔梗がやさしいですね

脇に光秀・人生の陽と陰を上手く現した句が読まれておりました

左の建物は銅門番所

以前は二の丸の登城口に在った様ですが天守閣の再建に伴い此処に移築されたものだそうです

 

 

 

桜門

 

豊磐の井

この井戸は何と50mの深さが有るそうです

説明書を読め城郭内部の井戸としては日本有数の深さを誇り

地下の水脈まで岩盤を掘り下げており今も清らかな水を湛えている」と有りました

 

      

           藩祖、朽木植綱公                  信長が認めた千国一の知将と言われた明智光秀公 

三日天下と言われた明智光秀につきましては歴史の時間、この肖像画と共に学びましたよね

でも知識の中だけに在った人物像をこうして目にしますと改めて感慨深いものを感じてしまいます

織田信長に仕え異例の出世をした光秀でしたが後一歩と言ったところで、あの有名な本能寺の変を起こし

後に山崎の戦いで秀吉に敗れ最後は逃走中、落ち武者狩りの農民に竹槍で非業の死を遂げた武将

何故、主君であった信長を討ったのでしょうか

この事は色々諸説ありで何が真実なのか不明ですが

私は人質に取られ磔刑に処せられた母親、お牧の方が深く関係しているのではないかと思っております

近くNHKで「麒麟が来る」のロケが始まる様ですが

そのお牧の方を石川さゆりさんが、どう演じるでしょうか

 

城内に在りますこの部屋は代31期竜王戦で羽生善治と八段の広瀬章人が熱戦を繰り広げた部屋です

勝負は広瀬に軍配が上がったのでしたよね

城から見た福知山城下

城下には暴れ川で有名な由良川と土師川が流れており城内のテレビ説明に寄りますと

この川が合流する地点で度々氾濫を起こし城下町に被害をもたらした為

流れを変える為ここに堤防を築き前面には衝撃を和らげる(今も明智藪として親しまれている)為に

治水に尽力を注いだ後が残されています

また、荒廃した河原に城下町を築いたり税金を免除したり等々善政を布いた領主として慕われ

町の御霊神社の宇賀御霊大神と共に祀られているとの事でした

 

 

 

 

 福知山城には、もう一つ興味深い物が有りますね

石垣に目を凝らしますと石積みの中に五輪塔や宝篋印塔、石仏、石臼、灯篭などが石材として

 多数利用されております  私達からしますと何と罰当たりなと思ってしまいますが

これらは、この地の旧勢力の象徴であった寺院を破壊し石垣に取り込む事で

支配を示そうとしたのだと解説者は言っておられました

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本来は光秀のゆかり或る場所を歩いてみたかったのですが生憎の雨で気持ちが削がれ

丹波篠山に車を向ける事になりました

(続く)