たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

鯖街道の宿場町・熊川宿 (北陸・近畿の旅)

2019年12月12日 | 

7日目 (3)

 

ちょうど開催されていた小浜の食の祭りを覗いた後、私達は熊川宿へと車を走らせました

たまに家屋が点在する山間の道を約20分ほど走りますと右手に道の駅「若狭熊川宿」

そこが宿場への起点です

   

熊川は国境に隣接していたため往来手形の確認、人物改め、物資の課税などを行う番所が

小浜藩主・酒井忠勝の命により設けられておりました

明治3年、街道制度廃止と共に番所は役目を終了し、その後建物は民家として使われていたそうですが

近年、当時と同じ場所に復元され今は二人のお役人が観光客の見張り番を行っております

 

若狭から京都に向けて鯖が大量に運ばれる様になると、その道は「鯖街道」と称される様になり

そうして栄えたのがここ熊川宿であり

国の重要伝統的建造物群保存地区として今もその面影を留めております 

  

       嘗ての熊川村役場ですが現在は資料館                   白石神社へと続く道

江戸時代の旅人になった気分にさせられる街道ですね

 

 

前川とも熊川用水とも呼ばれるこの用水路は宿場の景観にしっくり馴染んでます

 

その前川に竹で作った芋洗い機が有りました

物珍しそうに見ている私達に向かいの店の御主人が

「この前川の水は昔、飲料にしていたのですよ、街道も広げたものですから車も通れる様になりました」

等々30分くらい話し込んで行ったでしょうか

 

そろそろ喉の渇きを覚えて入ったこの逸見勘兵衛のお店

下は呂が切って有りそこでコーヒーが頂けます

二階は宿泊も出来ると言う事でお手伝いの方が各部屋を案内して下さいました

   

壁に長操鍋について説明書きが張られておりました

長操先生とは先ほど町並みを歩いていた時にカメラに納めた松木庄左衛門の事で

若狭全域の農民の為に立ち上がり自らの命と引き換えに年貢の軽減を訴え若くして処刑された人物です

農民は長操先生を忘れまいと大豆の野菜汁を作りそれを長操鍋と名付け

今でも催しが開かれる度にこの長操鍋が振る舞うのだとか

   

「奥さん、これ何だか解ります?」と見せてくれたのがガラス製の器

勿論知ってますとも・・・皆さんはご存知ですか?

右の写真は宿泊者用の部屋  

低い天井に小ざっぱりしたお部屋ですが落ち着いた部屋です、こんな部屋が4部屋ありました

今度、泊りに来て下さいと名刺を渡されましたが又、來る事が有るだろうか・・・

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時間が早ければ寄ってみたかった琵琶湖を右に見てR365を走る辺りは蕎麦の名産地の様で

至る所にソバ畑が広がっています

丁度、開花時期、思わぬ里の美を堪能いたしました

左に伊吹山が見えて来ました

晴れてはいますが山に掛かる雲が気になります

ここから県道40号に入り今宵の宿泊場所、道の駅「伊吹の里」に着いたのが17時少し前

道の駅は今日の営業を閉じる頃で慌ただしく職員が片づけを始めておりました

私達は隣接する蕎麦何処「伊吹野のそば」で夕食をとり明日の登山に備え19時には就寝

車の音さえ聞こえない静かな夜でした