続き(蓮華岳へ)
ザレた斜面に入るとコマクサが姿を見せ始め進む程にその量を増し山道の両側が薄紅色に染まった。今年はコマクサの当たり年と小屋の方が行っていたが、その言葉に偽りなくそれはそれは見事なものだった。
(元の写真に描き加えてスケールの大きさを出してみました)
コマクサの花園の中を気分も良く歩いていくと間もなく山頂の一角に達し注連縄の張られた若王子神社の奥社から僅かで三角点の立つ山頂に着いた。小屋から休み休み丁度一時間の道のりだ。岩の影に腰を下ろせばそこは無風地帯。一歩一歩自分の足で歩いてきた稜線を眺めながら、もう今日が最終日と思うと良くやった!と思う反面、何とも言えぬ寂しさが込み上げてきた。
アレはもしかして荒船山じゃない? 爺ヶ岳の右 雲海の彼方にあの特徴あるテーブルマウンテンが見える。根張りの有る浅間山も実に印象的だ。
一つ気になるのは背後の景色、船窪小屋へ急下降する登山道が一筋、南に伸び大町は眼下に箱庭となって見下ろせるものの槍方面は相変わらず雲が纏わりついて離れない。そう急ぐわけでは無いので粘りに粘ってみたが状況に変わりなくむしろ次第に悪い方に傾きつつあった。
そうこうしている内に針の木雪渓に垂れ込めていたガスが上昇を始め私達が通ってきた峰々や稜線すべてを瞬く間に呑み込んでしまった。それを機にザックを背負い蓮華岳を辞する事にした。とうとう槍は姿を見せなかった。しかしこれ程のコマクサの群落に出会え心は満ち足りていた。
針ノ木峠に戻ると男子学生が大勢休んでいた。「高校生?」と聞くと「はい、高校の山岳部です」とキビキビした声が返る。山岳に力を入れているのか、山に魅せられる学生が多いのか課外教室と見紛う人数だった。
この針の木峠は日本で2番目に高い峠で戦国時代から塩や魚を移入する交通路として利用されていた。織田信長の属将である富山城主・佐々成政が秀吉から逃れ家康の元へ助けを請うため山越えした峠でもあるが結局、相手にされず再びこの峠を経て富山へ帰ったという事だ・・・(歴史に強い雄さんはこんな時とても役に立つ)
下山は針の木峠で右折し雪渓を下降すれば大沢小屋を経てこの山旅もいよいよお終いだ。何処を見回しても乳白色の世界、記念の写真を撮り下山を開始した。(続きますので本日もコメント欄はお休みします)