たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

(7)最終章 鹿島槍ヶ岳~蓮華岳

2021年07月10日 | 心に残る思い出の山

続き(雪渓)

針ノ木峠(2536m)~大沢小屋(1680m)~扇沢(1425m) → 標高差(1111m)

いよいよこれで終わりかと思うと中々腰が上がらない。しかしそう感傷的ばかりになってはいられない。気持ちを切り替えアイゼンを装着し谷底めがけて駆け下った。

この雪渓は針ノ木峠から大沢小屋上部まで続く (標高差856m)

 

 

激流を飛び越える場面も

雪渓が終わると笹交じりの鬱蒼とした森の中、今までの明るさと涼風が一気に奪われて汗がジトッと出る。上で見られなかったクガイソウ、イワオトギリ、シモツケソウ、オニシモツケ、ニッコウキスゲや株立ちの立派なブナを見ながらやがて大沢小屋に着いた。

 

(写真が残っておりませんでしたので現在の大沢小屋の写真をネットよりお借りしました)

“山を想えば人恋し 人を想えば山恋し”で知られる百瀬慎太郎氏ゆかりの小屋である(針の木小屋、大沢小屋を開設した人物)。

雄さん「ビール下さい」

小屋主「外に冷えてるから自分で持って来い」

客  「ぼーふらが湧いている様な所に入ってますよ」

私  「掛けそばが美味しそう。  二つ下さい」

         蕎麦が出来上がって 

小屋主「その客! 蕎麦を運ぶから食べ終わったのならお盆を早く返せ」・・・その客とは静岡から来たというご夫婦で「帰り蕎麦を食べに寄ります」と言って針の木・蓮華をピストンし約束通り小屋へ寄った客だ。中へ入るなり「何だ、本当に来たのか」が第一声だったとか。

小屋主「出来たぞー!ネギ多目 蕎麦少な目」・・・勿論テーブルまで運んでくれない。そして私達が美味しそうに食べている様子を見て「もっと不味そうに食え。そうすりゃ通りかかった人が注文しなくなるから」

そう言いながらも「ここの蕎麦は上手いだろ!前の小屋主の時にはガムを噛んでいる様な蕎麦でとても食えた物じゃなかった」と本音もチラッと。

と言ったかなり個性の強いヒゲのオヤジさんだ。私はこういうの嫌いではないが玄関近くに座っていた4人の登山者は唖然としていた。

机上に谷川岳の吾策新道を作った高波吾策著「谷川岳のヒゲ大将」とサインされた本が有ったので「この方、御主人に似てますがお父さんですか?」と尋ねると「俺はそんないい男じゃねぇ、高校時代、山へのきっかけを作ってくれた人物だ」と言った。

そこへ針の木小屋の主がヘリでの荷揚げ作業のため下りてきた。私達に気付くと「今年は遅咲きの花と早咲きの花が一斉に開花したので何時になく花が多かった。貴方たちは運が良かった」と言い奥でヒゲのオヤジさんと暫く話すと扇沢に向けて下って行った。

雨が少し降り出して皆が扇沢に向かった後、ヒゲのオヤジさん、私達の所へ来て吾策氏と知り合った時の事やレトルト食品ばかりの小屋食の事(俺の所は美味くないかもしれないが全部手作りである事)、小屋のスタッフの気の利かなさetc・・・あれじゃストレスが溜まって仕方がないと今の山小屋事情を止む事なくと語る。 「ただ柏原さんの所で使っているパキスタン人は大したものだ。さすが俺もあの男には叶わない」とヒゲの奥で笑った。

雄さんも共感するところが有って話が弾みオヤジさんももう少し話していたい様子だったが先ほどから降り始めた雨が気になって帰り支度を始めると、わざわざ外まで出て見送ってくれた。「また、おいでよ。気を付けてな!」と掛けてくれた言葉が嬉しかった。

大沢小屋からは途中、濃いナデシコが一輪咲いていた大きな河原を横切り登山口まで40分。オオウバユリ、白花&黄花クモマニガナ、タムシバ、黄花ホトトギスが咲く山道だった。登山口から更に20分歩いて扇沢へ。

4日間、汗にまみれながら目いっぱい行動した後の心地よい疲労が全身を包み込んでいた。

(1)~(7)まで長くなってしまいましたがお付き合い本当に有難うござました。感謝しております。