マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

亡き父を偲ぶ一日・・・『父の日』 そして 『いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか。』

2021-06-20 13:02:40 | 父と母のこと 兄弟のこと
6月20日。日曜日。晴れ。

今日は父の日。

   父の愛した・・・      『パリ』
 
                      我が家の『父の絵画コレクション』コーナーの一部

      私の父は家族を愛し、寡黙で、愛情深い人でした。
        又、 父はパリを愛しました。
   仕事柄、私が小学生になった頃から、外国出張の多い父でした。
        パリでは、一人で長期滞在をする父はアパートを借り、
        休日にはセーヌ川を、パリの街を散歩したようです。
   今になって考えれば・・・
   若い父が一人で、日本人もあまりいない頃、ヨーロッパで、カタールで、中東でと、
                        インド、パキスタン、アメリカ、等々、
   それぞれ習慣の違う世界に飛び込んで、交渉するのはどんなに大変なことだったでしょう。
   愚痴一ついうことのなかった父のご苦労を思うと、涙が出てくる。父は強しである。

   海外出張で英語の必要性や信仰の必要性を感じたであろう父は、
   兄たち三人が中学生になると、自分で英語を教えることはせず、イエズス会が開いた教会の英語日曜学校に通わせ、
   英語を教わりました。長兄は、英語に向いていたのでしょう、父親同様に、ドイツと日本を半々という仕事に就きました。
   次兄と三兄は、英語に興味を示さず、すぐにやめたようです。 中学になるときに、父の転勤で東京に移った私は、
   東京の住まいの近くの教会に連れて行かれましたが、日本人牧師さんの教会には英語の日曜学校はありませんでした。
   幸いに、教会の前に瀟洒な外人向けのホテルがあり、そこにいりびたり、今の私の英語の基礎が出来上がりました。
   長兄と私がキリスト教に近づいたのも、そんな父が配慮してくれた英語教室のお陰様でもありました。


 絵好きな父は、セーヌ川ほとりに集まる画家さんの描く『絵』をいくつか買って、日本に持ち帰りました。
 そして今は、我が家の和室の1コーナーを『父の絵画コレクション』として、父を偲んでいます。

    
『父の日』は、「お父さんに感謝する日」、「お父さんを敬愛する日」です。
その由来や起源は、『母の日』同様に、アメリカから始まったそうです。
アメリカのワシントン州のソノラ・ドッドさんのお父さんは、男手一つで、
ソノラを含む6人の子どもたちを育て上げました。
ソノラは、深い愛情を注いでくれる父をとても敬愛していました。

1909年5月。教会での母の日のお祝いに参加していたソノラさんは、
『母の日』は、その2年前の1907年に5月に一女性により提唱され、すでにアメリカ国内に広く浸透していました。
「なぜお父さんの日はないのだろう?」という疑問に思い当たります。

大好きなお父さんのために、母の日と同じように、『父の日』も作ろうと思い立ったソノラさんは、
教会牧師に『父の日』を作りたいと相談しました。
そして翌年1910年。6月の第3日曜日の6月19日。ソラノさんの父上の命日にちなんで 最初の『父の日』のお祝いが行われました。
その62年後1972年。『父の日』が正式にアメリカの『祝日』として認定されました。

今ではアメリカだけでなく、世界各国で父の日が広まっています。
日本の人々の間に広く知られ、お祝いされるようになったのは1980年(昭和41年)代です。
日本では、父の日は祝日ではありません。


       父の愛した・・・ 『書』
   
   父の書の掛け軸・・・ 『徳川家康の遺訓』 ・・・Myブログに時々の出場です

       父は『書』と『短歌』を愛しました。 
    又、引退後はご近所に配る『野菜作り』を楽しみました。


  私の小学時代は。休みの日には、裏山の六甲山に、私と二人でよく登りました。
      二人だけの山登りでは、沢山の話をしてくれました。
『父の話』は、生き字引のように、私の『道標』となりました。私はそんな父を敬愛しました。
私は、社宅の近くの芦屋の海でシジミ取りをして、『父の晩酌のつまみ』とするのが嬉しかった。


         今日は、父と私の昔の写真を飾りました。
     父の好きだった日本酒で、献杯をすることに致しましょう。
     大好きな父に感謝しながら、父を偲ぶことに致しましょう。
   私にはアメリカのソノラさんのように『偉大な事』はできませんが、
      父を尊敬し、偲ぶ気持ちは、ソノラさんに負けません。
    今ある私は、父とそして母の影響を受け、育てられた私なのです。
      『父の日』は、私には『祝日』です。 感謝!感謝!
        皆様にも、良い父の日となりますように!
       

そして。

今日は6月20日。年間第十二主日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、お救いください、あなたの民を。
 祝福してください、あなたの嗣業の民を。 とこしえに彼らを導き養ってください。』

       詩編 28章9節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『その日の夕方になって、
      イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。
     そこで、
   弟子たちは  群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。
          ほかの舟も一緒であった。

        激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、
    
          水浸しになるほどであった。
     しかし、イエスは艦の方で枕をして眠っておられた。

       弟子たちはイエスを起こして、
    「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」 と言った。

        イエスは起き上がって、
    
     風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」 と言われた。

       すると、風はやみ、すっかり凪になった。

        イエスは言われた。
      「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」
        弟子たちは非常に恐れて、
 「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。』 
        マルコによる福音書 4章35-41節   


別枠お勉強です。
  『聖マルコ』について知りたくなりまして・・・

今日の「荒波の海」について書いたマルコ福音書の著者。ペトロの弟子。バルナバの従兄弟。聖パウロの協力者。
イエスの在世中には、信徒にならなかったが、ペトロに導かれて入信したといわれる。
母マリアは、エルサレムに住み、相当の資産を持ち、その住居を信徒たちの集会に提供していた。
ある学者は、イエスの『最後の晩餐』も、五旬節の『聖霊降臨』のあった場所も、マルコの家という。
『ゲッセマニの園』は、マルコの父の所有であった。といわれる。
マルコは、従兄弟のバルナバがペトロとともにエルサレムからアンテオキに来たときは行動を共にし、
又、パウロの第一回伝道旅行に従いました。
パウロのローマでの獄中生活では、パウロと生活を共にし、パウロに仕えていた。
パウロやペトロの殉教後、ペトロより聞いたことをもとにして書いたのが、『マルコ福音書』である。
      『聖書辞典』より
一つのことを知ろうとすると、その分野の学者たちの色々の研究を知ります。
事実がはっきりするまでの未知の世界に挑む学者たちのご苦労を思い知ることは、貴重なことですね。



    イエスの時代。 水は悪霊の住まい。 嵐は悪霊の仕業。 と考えられていました。
       しかし、 
     イエス様は、悪霊に、「黙れ。静まれ」と言われ、お勝ちになる方なのです。

  弟子たちは、イエス様の弟子になったばかりで、イエス様がどういう方かまだよく分かりませんでした。
    神様がイエス様の中で働いておられることを確信するには、『信仰』が必要なのです。
       弟子たちの信仰は、まだまだ、不十分でした。

     
    初代教会の時代。 『教会』は、度々、『船』にたとえられることがありました。
     教会は、度々、嵐に出会い、迫害を受けることがありました。
       イエスは、教会が迫害に遭うことはないとは、約束なさいませんでした。
 弟子たちは、「助けてください」と頼ったとき、イエスが救ってくださることを、多く経験したことでしょう。
 聖マルコは、信仰に入るのは遅かったのですが、その後は、生涯を信仰にささげました。


私たちも、
信仰浅い者です。信仰がまだまだ足りないのです。
キリストをまだよく知らないのです。
辛い事に出会うと、「神様はどうして何もしてくださらないのですか」と、
つぶやくかもしれません。
キリストは、私たちの人生を二人三脚で、共に歩んでくださっているのです。
イエス様は、いつも、私たちを安全へと、導いてくださるのです。
いっそう深く信じるように祈りましょう。


『今日の集会祈願』

  『天と地の主である神よ、
   大きな変化を遂げる現代社会にあって、教会はいつもあなたの強い言葉に導かれています。
今日心を合わせて祈るわたしたちが、あらゆる悪を退け、ゆるぎない信仰をつちかうことができますように。』



皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
緊急事態宣言が、沖縄を除いて、20日ほどで解除になりました。
更なる4波を招かないように、自粛生活を励みましょう。 お元気で!

長い日本列島・梅雨事情 そして 『明日のことまで思い悩むな。その日の苦労は、その日だけで十分である。』

2021-06-19 10:54:30 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
6月19日。土曜日。雨。

朝早くから
しっかりと雨模様。

  雨を得て大喜び・・・   『カラフル・アジサイ』
 

 今年は、例年より、アジサイの花色が鮮やかなように思えます。
 それって・・・
 お花愛好様たちが、自粛生活で、花々を愛でる時間がもっと増えたってことでしょうか?
 私の場合は、その通りです。手入れ時間が増えました。

         日本列島は長い。
         東北南部は、今日も、梅雨入り宣言が出ないそうです。


  水分補給に・・・
 
          スイカ1/4の丸かじり

 旬の食材は体にいいとはよく云ったもので・・・
 体温を下げる作用の大きいスイカ。
 私の大好物で、健康管理です。

      今朝は、勿論、ウォーキングは致しません。
      健康管理は不十分でも、睡眠時間が少し延びてそれもまたよし。
        ゆっくり時間が流れます。感謝! 感謝!


そして。

今日は6月19日。年間第十一土曜日。

『今日の入祭唱』

  『父がその子を憐れむように、
    主は主を畏れる人をあわれんでくださる。』

        詩編 103章13節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは 弟子たちに言われた。
 

     「だれも、二人の主人に仕えることはできない。
 一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。
    あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

         「だから、言っておく。
     自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、
     また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。
  命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。

        空の鳥をよく見なさい。
     種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。
     だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。


     あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
    あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、
      寿命をわずかでも延ばすことができようか。

       なぜ、衣服のことで思い悩むのか。
    野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。
       働きもせず、紡ぎもしない。

     しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、
      この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

   今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、
 
                        ご近所さんの玄関先に咲き出しました♡♡

       神はこのように装ってくださる。
    まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、


        信仰の薄い者たちよ。
  だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、
          思い悩むな。
     それはみな、異邦人が切に求めているものだ。

 あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
      何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
     そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。


      だから、明日のことまで思い悩むな。
     明日のことは明日自らが思い悩む。
    その日の苦労は、その日だけで十分である。」』

       マタイによる福音書 6章24-34節


今日は私はこんな風に考えました。

  私たち人間にとって、一番価値あるもの は何でしょう?

 日々の糧を買うお金。欠かせません。 日々を潤すお人との交流。これも欠かせません。
 でも、年を重ね・・・食も少なくなります。お友達に会いにもいけなくなります。


  イエス様は、色々欠かせないものの中から、『一番価値あるもの』 を問われるのです。
        いつかなくなってしまうものではなく、
  決してなくならないものが、『一番価値あるもの』である、とおっしゃるのです。


 野の鳥は・・・
 お金がなくても、種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしなくても、
     『あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。』と、おっしゃるのです。

 野の花も・・・
   どの花も、『栄華を極めたソロモン以上に美しくは装ってくださる。』
                      と、おっしゃるのです。


     このように・・・
       神は、本当の父であるから、造られたすべてのものを、
      小さなものであっても、大切にし、守ってくださるのです。
      一番美しく、綺麗に、御自分の似姿に、造られた人間を、
     大切にし、守ってくださることを、信じることができるはずです。

      
    私たちにとって『一番価値あるもの』は、信頼のできる『神様』です。
     何もかも終わりを迎えた後には『永遠の命』をくださる神様です。



私たちも、
天からの雨があって、野菜や樹木も花も大きくなることを知っています。
同様に、神様は人間の『救い』を何よりも望んでおられる方である。
と信じることができますね。
今日も明日も明後日も神様にお任せ、思い煩うことなく、希望を胸に、
日々を送りたいものですね。
祈りましょう。

『今日の拝領唱』

   『あなたがたは神の子である。
 それは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、
    私たちの心に送ってくださった事実から分かります。』

      ガラテアの信徒への手紙 4章6節


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
雨の中でも、穏やかな土曜日でありますようにお祈りいたします。お元気で!

オンライン・聖書100週間クラス・・・『マカバイ記Ⅱ』 そして 『あなたの富は、天に積みなさい。あなたの富のあるところに、あなたの心もある。』

2021-06-18 11:00:32 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
6月18日。金曜日。曇り。雨。

又一週間が巡ってきて、
金曜日の今日は 午後2時~4時。
週一の『オンライン・聖書100週間・聖書通読会』です。


         『聖書』
  
 大正五年発行・・・『OLD TESTAMENT 𦾔約全書』・・・我が家の一番の『古書』です。

    正に、私たち聖書仲間が読み続ける『聖書』は『古典』です。
 
    『古典』は、現代を生きている人に役に立ってこそ意味があるのです。
   古典は、そのままでは死物で、それを愛し、温め、新しい時代に生き返らせる。
              『溫古知新』
           古きを温めて新しきを知る
     何千年、何百年、という昔に、一人一人が光を当てるのです。
  

      聖書は、他の本に比べると、味気ない本に見えるかもしれません。
  しかし、その中身はイスラエルという一民族の長い年月にわたる出来事の体験が述べられ、
    それを通して、『神の言葉』がすべての人に伝えられている、特別な書物です。
        じっくりと、ゆっくりと、考えながら内省的に読み進み、
    琴線に触れた『言葉』を我がものとして、我が内に受肉させて、行動に移すのです。

    『古典』は、書物が大事なのではなく、古典から何を学ぶかが大事なのです。
           我が家の『古書』はとても大事ですけどね。


       今日の『通読範囲』 は 『マカバイ記Ⅱ』 です。
 
 旧約聖書最終書・・・ 『馬拉基書 まらきしょ』 ・・・続編:マカバイ記Ⅱは含まれず

大正五年発行の我が家の古書の『聖書』から、105年を経て、いま私が読んでいる『聖書』までに、
       何回の聖書の改訂があったのでしょうか?
   私には、我が家の古書の『聖書』は、言葉自体が難解、読むのですら無理といえます。
        この事実は何を意味するのでしょうか?
     105年の長さは、同じ日本語でも、言葉に多大な変化があるということです。
 それは、言語の変化は、人間の考え方もそれだけ変化していることを意味するのでしょうか?
 『聖書』は普遍の『神の言葉』であるので、聖書の内容の変化はありえませんけれども・・・。
                  とても興味の引かれる課題です。
  そおいえば、我が娘の大学卒業論文のテーマは『言語が文化を創るのか? 文化が言語を創るのか?』というようなものでした。
                                同じようなものに興味を持つのが親子ですね。
   


紀元前176年~160年、マカバイ事件の初めの十五年間の、ユダ・マカバイの生涯が述べられています。
  マカバイ一族の見事な業績や名誉よりも、神の栄光と神殿の尊さを述べることを重要視し、
       律法や神殿について強調して述べています。
       特に神への親しみ深い『祈り』の深さが感じられ、
      『殉教思想』と『死者の復活』と『永遠の命』に関する、
    これまでにはない『新しい教え』:『信仰の真理』が述べらています。
       いよいよイエスの到来の近いことを感じさせます。


        仲間は、『マカバイ記Ⅱ』 をどう読み解くのでしょう!? 
      今日も、楽しい『オンライン・聖書100週間』です。 感謝!感謝!


そして。

今日は6月18日。年間第十一金曜日。

『今日の入祭唱』

   『どうか、御心に留めてください。
 いにしえから、御自分の嗣業の部族として贖われた会衆を。
    神よ、いにしえよりわたしの王よ。』

      詩編 74章2&12節


『今日の福音 イエスの御言葉』

      『そのとき、イエスは  弟子たちに言われた。
 

   「あなたがたは地上に富を積んではならない。
      そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、
      また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。

        富は、天に積みなさい。
      そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、
      また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。

      あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。

        体のともし火は目である。
      目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、
  
        『イエスと澄んだ目の子供達』

         濁っていれば、全身が暗い。

       だから、あなたの中にある光が消えれば、そ
         の暗さはどれほどであろう。」』
          マタイによる福音書 6章19-23節

旧約時代。
財産・富に恵まれている人は、神から祝福されている人、
という考え方がありました。
これに対して、
イエス様は、『二人の主人に仕えることはできない。』と、
ほしいほしいばかりでは、一番大切なものを忘れてしまう。
と言われたのです。


   今日のイエス様は、
   『この世の富は、虫が食ったり、さび付いたりするし、
      また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。』 と、
        安全ではないと話しました。
   一方、
   『富は、虫が食うことも、さび付くこともなく、盗人が盗み出すこともない、
      天に積みなさい。』
 とおっしゃるのです。


      『本当に価値ある富』は、『天に積む富』、
        お金で買うことができないもの、
      神の恵み、信仰、愛ある行動、開かれた心、等々、
        私たちの目に見えないものです。

   今日のイエス様は、
   『あなたの心にある灯が消えていると、
     目が濁って見えにくくなり、生活が暗くなる。』
ともおっしゃいます。

           欲望、嫉妬、ねたみ、等で、
       心の灯は消え、価値ある物が見えなくなるのです。
          生活が真っ暗になるのです。

私たちも、
常に内省、反省しながら、
子どものように心の目を澄ませて、
価値ある富を見極めて、天に積むことに致しましょう。
そうする力を祈り求めましょう。


『今日のアレルヤ唱』

  アレルヤ、アレルヤ。
   『心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。』
       マタイによる福音書 5章3節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
今日は『花金』。一週間のお勤めや通学、お疲れ様でした。
ゆっくりと、ゆったりと、穏やかな自粛生活の週末をお過ごしください。お元気で!

祈り・・・『心のほとばしり』 そして 『だから、こう祈りなさい。「主の祈り」』

2021-06-17 12:00:48 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
6月17日。木曜日。快晴。

日々祈る私たちです。
家族のため、友人のため、世界のため、
亡き人のために、そして 自分のために祈る毎日です。


             『祈り』
  

      わたしたちにとって、祈りとは『心のほとばしり』です。
        天に向ける素朴なまなざしです。
    辛いときにもうれしいときにも天に向けて上げる、感謝と愛の叫びです。



           『アブラハムの祈り』
  

          「主はアブラハムを外に連れ出して言われた。
『天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる。』
        アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」

              創世記 15章5&6節


        私たちは祈るときにはどこから話しているのでしょうか。
         思い上がった高慢や自我からでしょうか。
   それとも謙虚で打ち砕かれた心の『深いふちの底』(詩編130・1)からでしょうか。
    へりくだる者は高められるのです。 祈りの基本は『謙虚さ』です。

            

              『サムエルの祈り』
    
      『幼きサムエル』    ジョシュア・レイノルズ 作品
        
       『主よ、どうぞお話ください。僕は聞いております。』
            サムエル記上 3章10節


   『わたしたちはどう祈るべきかを知りません』 ローマの信徒への手紙 8-26  
   謙虚さこそが、祈りの賜物を無償でいただくために必要な心構えなのです。
       人間は神の物乞いなのです。



               『晩鐘』
 
                               ミレー作品

  ミレーは、次のように、祖母の思い出を描いた作品であることを述懐しています。
     『かつて私の祖母が畑仕事をしている時、鐘の音を聞くと、
       いつもどのようにしていたか考えながら描いた作品です。
     彼女は必ず私たちの仕事の手を止めさせて、敬虔な仕草で、帽子を手に、
        「憐れむべき死者たちのために」と唱えさせました。』

            『ミレーと出会う』より


        人間の祈りはどこから出てくるのでしょうか。
        祈りの表現(動作や言葉)がどのようなものであろと、
          祈っているのはその人そのものです。
   祈りがほとばし出る場として、魂や精神、そして心です。 祈るのは心です。
      心が神から離れているならば、祈りのことばはむなしいのです。


             『キリストの祈り』
       

 イエス・キリストの最後の祈りは、神に願う『人類の赦し』のための祈りでした。
  『父よ、彼らをお赦しください。 自分が何をしているのか知らないのです。』
        ルカによる福音書 23章34節


    新約の祈りとは、神の子ら(人間)と、限りなくいつくしみ深い御父、
       その子イエス・キリスト、そして聖霊との、
         いのちに満ちた交わりのことです。
   神の国の恵みとは『人間の全精神が三位一体と全く一つに結ばれること』です。


         『祈りの生活』とは、
 
      至聖なる神の前につねにとどまり、その交わりを深めることです。

         以上。一部。『カトリック教会のカテキズム』より


         私は、今朝、『今日の福音』の『主の祈り』を読んだとき、
           二つの映画のシーンを思い出しました。
 フランス人青年将校たちが、一人ずつ、前に出て行き、処刑により命を奪われるシーン。
    全員が、それぞれに、『主の祈り』を唱えながら、ナチスの銃撃に身をまかせました。
   アメリカ南部の若い家族が、強盗に命を奪われそうになるシーン。
        若い父親は、綱で縛られ、口はガムテープでふさがれています。
      ソファに座った母親は二人の子どもを胸に抱き『主の祈り』を唱えます。
      そんな姿を見た強盗は、銃を発することなく、物を盗んで逃走しました。
 『主の祈り』が自分とともにある人たちを思い出し、
        私も、ゆっくり、『主の祈り』を十回唱えました。 感謝!感謝!

   
そして。

今日は6月17日。年間第十一木曜日。

『今日の入祭唱』

   『父がその子を憐れむように、
      主は主を畏れる人を憐れんでくださる。』

           詩編 103章13節


『今日の福音 主の祈り

         『そのとき、イエスは  弟子たちに言われた。
 
   「あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。
     異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる
          彼らのまねをしてはならない。


    あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。
           だから、こう祈りなさい。


         『天におられるわたしたちの父よ、 
           御名が聖とされますように。 
   
             御国が来ますように。
      御心が天に行われるとおり、 地にも行なわれますように。

        わたしたちの日ごとの糧を今日も与えてください。

          わたしたちの罪をおゆるしください、
            わたしたちも人をゆるします。

      わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。』



          もし人の過ちを赦すなら、
       あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。
          しかし、もし人を赦さないなら、
       あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない
。」』
           マタイによる福音書 6章7-15節


   イエスは、私たちに『主の祈り』を教えてくださいました。

  神に向かって、『私たちの父よ』 と祈りなさい。
       神は全ての人の父です。 私たちは皆、一つの家族なのです。
    神は、私たち一人一人の中で、働いておられます。皆を守っているのです。

  神は、私たちに必要なものを下さる方です。
     神の働きを信じることができれば、私たちは安心して生活ができるのです。

   わたしたちの信仰は弱いのですが、神から捨てられることはないのです。
     弱さゆえに罪を犯す私たちを、神はご存じで、許してくださるのです。
     だから、私たちも兄弟の弱さを理解し、許すことができますようにと、
           神に『許す力』を願うのです。

    私たちは、怠惰、自負、脱線、等々、数々の誘惑に負けてしまうのです。
      神が望む生活ができますようにと、常に、ご指導をお願いするのです。

私たちも、
まずは、神様からいただく沢山の恵みに気づきましょう。
感謝と信頼の祈りを致しましょう。
謙虚を願いましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『あなたがたが神の子であることは、神が、「アッバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を、
     私たちの心に送ってくださった事実から分かります。』

       ガラテヤの信徒への手紙 4章6節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
今日も、世界のコロナ禍の終息を願い、祈りましょう。
『 新型コロナウイルスの感染拡大によって、 今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。
病に苦しむ人に必要な医療が施され、
感染の終息に向けて取り組むすべての人、 医療従事者、病者に寄り添う人の健康が守られますように。』

     『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』より

『たすけ愛→ささえ愛→皆の愛で→打ち勝とう』・・・『ふんどしの締め直し』 そして 『隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。』

2021-06-16 05:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。
6月16日。水曜日。雨。

早朝の霧雨が雨に変わった。
梅雨真っ最中ですね。

           『ハイビスカス』 
  
                               ご近所さんの玄関先

 
       20日に『緊急事態宣言』の期限を迎える。

   大阪吉村知事は、
   大阪府内は感染拡大が広がっており、医療崩壊状態を招いている。
   『まん延防止』発布。ほぼ全域で、3週間から1か月・7月20日までが適切で、
       政府に要請することを16日に決めたい。」と示した。


英国では、
21日に予定されていた新型コロナウイルス規制の全面解除について、
「感染力の強いデルタ株(インド型)の影響で、減少傾向だった新規感染が反転。
変異株が広がり、新たな感染が増えているため、7月19日まで延期する。
政府は感染抑止を目指し、1カ月の「猶予期間」の間に、
国民へのワクチン接種を一層加速させる。」
 と、ジョンソン英首相は14日に発表。


  今朝も
  バスターミナルへ
  朝一のバスの到着。


   バス回送中・・・  『たすけ愛→ささえ愛→皆の愛で→打ち勝とう』
 
 朝一のバス・『行き先表示』・・・ 『愛の応援歌』・・・ 立派な心意気が伝わります。

     一バス会社の地味な『働き』でも、見る人に『勇気』を与えます。 
    私もお人に勇気を与えることができる、そんな人になりたいものです。


       感染力の強いデルタ株(インド型)の影響で、
        減少傾向だった新規感染が反転、
      医療機関への負担増大の様子、を見せてきました。

     再び、『ふんどしを締め直す時期』が来ましたね。


     私たち皆で、出来る限りの協力と責任を、果たしてまいりましょう。
        まずは、いましばらくは、自粛生活の継続ですね。
  一人一人の『ふんどし締め直し』が、世界の『コロナ終結の日』を招くのです。
       もう一度、政府の分科会の尾身茂会長に敬意を払って・・・
       今こそが、国民一人一人の『心意気』の見せ所です。

    『たすけ愛→ささえ愛→皆の愛で→打ち勝とう!』


   『いつくしみ深い神よ、
 新型コロナウイルスの感染拡大によって、 今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。   
    わたしたちが感染拡大を防ぐための犠牲を惜しまず、
 世界のすべての人と助け合って、 この危機を乗り越えることができるようお導きください。』

      『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』 より



そして。

今日は6月16日。年間第十一水曜日。

『今日の入祭唱』

   『主はわたしの光、わたしの救い、わたしは誰を恐れよう。
  主はわたしの命の砦、わたしは誰の前におののくことがあろう。』

        詩編 27章1節

『今日の福音 イエスの御言葉』

    『そのとき、イエスは 弟子たちに言われた。


「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。
   さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。

        だから、
     あなたは施しをするときには、
      偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、
       自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。


        はっきりあなたがたに言っておく。
         彼らは既に報いを受けている。

施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
      あなたの施しを人目につかせないためである。
 そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。


    祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。

  偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。
      はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。

        だから、あなたが祈るときは、
        奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、
        隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。

  そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。

      
  断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。

     偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。
        はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。

     あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。
         それは、あなたの断食が人に気づかれず、
     隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。

 そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」』
            マタイによる福音書 6章1-6節&16-18節


昔から、
イスラエルの人々は、
祈り、断食、施しなど、多くは皆の前で行なっていました。
イエス様は、
祈りは人里離れた山ですることが多く、
静かに、御父と一緒に過ごし、父のみ旨を見出すためでした。
又、重大なことの前には、御父の指導を願いました。


 祈りは、人に見せるものでもなく、神からほめられるためにするものでもありません。

      神は、慈悲深い方、私たちを神の方から先に愛して下さる御方なのです。
          その神を賛美し、感謝するために、お祈りするのです。
        施し等の善い行いは、
          お人に見せるものではなく、神への愛を証しする行いなのです。

私たちも、
悔い改めて、神の愛に気づき、
神への感謝を証しできるようになりたいですね。
祈りましょう。

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
   『わたしを愛する人はわたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、
      父とわたしとはそ人のところへ行き、一緒に住む。』

        ヨハネによる福音書 14章23節    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
一時もコロナ終息の日が早く来ますように、私たちも責任を果たしてまいりましょう。
世界中の人々とともに、一日も早く、安心安全な穏やかな日を迎えましょう。 お元気で!

Myブログの開始事情・・・『共通の場所』 そして 『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたも完全な者となりなさい。』

2021-06-15 05:30:00 | 私のこと
6月15日。火曜日。晴。

今朝も早朝ウォーキング。

  小山の頂上に・・・      『秘密基地』
 
                 大きさのイメージのための私の靴・・・お粗末様です。

      いくつのお子さんがつくったのでしょうか?
    私が毎朝2回の上り下りを繰り返す『秘密の小山』の頂上です。
   見知らぬ子と私だけの『秘密の共通場所』、と思えた私でした♡♡


『共通の場所』という『言葉』を思いめぐらしていると・・・
15年以上前の『Myブログ』の開始を思い出しました。

 我が娘が、結婚数年後に、一年間、カリフォルニア・バークレーに単身赴任しました。
         まだスマホがない時代で・・・
    毎日国際電話で無事の確認をしていたのではお金がかかりすぎます。

 ということで・・・
 娘と娘旦那様と私と、三人で、『共通の場所』を作ろうということになりました。
      互いの日常を『ブログ』=『共通場所』に書いて、
 三人が、アメリカと日本の別々の三カ所から、『共通場所』にネット上で訪問して、
   異国での娘の無事を確認し合いましょう。 ということになりました。

   我が娘の単身赴任先を、婿殿と私で見届けて後の、帰路の飛行機の中で、
       私は、婿殿から『ブログ作成』の特訓を受けました。

その時以来15年以上続く『Myブログ』は、今では子供達が母親・私の無事を確認するための、
    『共通場所』の役割をも果たしている、のかもしれませんね♡♡


  今の時代は、互いの連絡は、ブログではなく、一瞬で可能な「スマホ会話」ですよね。
      世界情勢でも、一瞬の間に、流れてくるようになりました。
   むしろ、情報過多で、情報に頼りすぎ、自分で考える必要がないような状態です。
        15年の長さは、世界をすっかり変えてしまいました。
      現代は、質の高い情報を見分ける目を養う時代になりましたね。


  駅前にも・・・    『秘密基地』
 

       焼きたてのおいしそうなパンが並ぶ『駅前パン屋』
         開店は6時半。残念ながらのスルーです。


     今日も、つたないブログですが、発信させていただきます。
   どうぞお読み下さい。よろしくお願い申し上げます。 感謝!感謝!


そして。

今日は6月15日。年間第十二火曜日。

『今日の入祭唱』

   『主はわたしの支えとなり、
 わたしを広い所に導き出し、助けとなり、喜び迎えてくださる。』

      詩編 18章19-20節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは  弟子たちに言われた。
     「あなたがたも聞いているとおり、
   『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
     しかし、わたしは言っておく。

  敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
     あなたがたの天の父の子となるためである。


    父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、
 
  正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。

    自分を愛してくれる人を愛したところで、
     あなたがたにどんな報いがあろうか。
    徴税人でも、同じことをしているではないか。

      自分の兄弟にだけ挨拶したところで、
     どんな優れたことをしたことになろうか。
   異邦人でさえ、同じことをしているではないか。

 だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、
   あなたがたも完全な者となりなさい。』

     マタイによる福音書 5章43-48節


   『神の愛』 は 『無償の恵み』 です。

  神は、私たちが良いことをしたから愛してくださるのではなく、
      神が、『良い方』で『愛』そのものだから、
    神は、差別なく、全ての人を愛しておられるのです。
神は、全ての人を大切に思い、全ての人の『幸せ』を望んでおられるのです。


   イエスは、生前のご自分の『御言葉』通りに、
     迫害する人のために祈られました。

  
     『父よ、彼らをお赦しください。
    自分が何をしているのか知らないのです。』

      ルカによる福音書 23章34節


 私たちにとっても、
  家族、友人だけが隣人ではないのです。
 全ての人、特に困っている人、助けを必要としている人たち、が隣人です。
 『隣人愛』を示されたイエスは、全ての人からも『深い愛』を期待なさるのです。


私たちも、
『あなたがたの天の父が完全であられるように、
完全な者となりなさい。』とイエスに期待されているのです。
全ての人が神に大切にされている、
イエスの兄弟なのです。私たちの兄弟なのです。
全ての兄弟を愛することができ、『完全な者』に少しでも近づきたいものですね。
祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
   『あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。
  わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。』

       ヨハネによる福音書 13章34節     アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
皆様のご訪問が、私のブログ作成の原動力となっています。
感謝申し上げます。これからもよろしくお願い致します。

一週間の始まり月曜日 そして 『悪人に手向かってはならない。また 求める者には与えなさい。』

2021-06-14 05:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。
6月14日。月曜日。晴れ。

新しい一週間の始まりの月曜日。
今週はどんないいことがあるかな?
新しいことはいいものです。胸がワクワクします。


    朝露をかぶって・・・  『ユリ』
 

     夜のうちに降ってくれた雨が、朝は上がっている。
        お日様も出て来ました。
  綺麗な空気の中で始まった、 今週のウォーキングの始まりです。
     これだけで、素敵な一週間の予兆を感じます♡♡


  大空を突き抜ける・・・    『クレーン』
 

  お仕事の人も、安全に気をつけて、今週も頑張って下さい!

孫娘は、今朝、学校学園祭の打ち合わせで、自主早朝登校で、授業1時間前に登校した。
 コロナ禍での学園祭は、グループごとに、『リモート発表』だそうです。
     中二年生の 『学園祭テーマ』は『キリスト教』
   孫娘の5人のグループは、『キリスト教の歴史』 と決めた。
  図書館から借りてきた『キリスト教の歴史』を猛勉強した昨日の孫娘。
   ”今朝は5人で、具体的に『展示方法』を話し合ってみるわね” と。

 お勉強の学生さんたちも、コロナ感染対策を完全に、今週も頑張って下さい!


  中央公園の・・・   『花壇』
 

  『名誉花壇』の中や回りの草抜きをする、散歩中のビニール袋を持った御婦人。
    ”草抜きだけですのよ” と自主作業です。すばらしい。ご立派です。

      自分自身が『生活者』として、日々の暮らしをいとおしみ、
       自分の住まいを大切にし、 又 街を大切にしていく、
         それが『真の大人』ですよね。

    真の大人の皆様、朝陽を浴びて夜には熟睡し、今週もおすこやかに!

   
      今朝も、優しい人たちや美しい自然から元気をいただいて、
        私も今週いっぱい頑張りましょう。感謝!感謝!


そして。

今日は6月14日。年間第十一月曜日。

『今日の入祭唱』

   『新しい歌を主に向かって歌え、 全地よ、主に向かって歌え。
   国々に主の栄光を語り伝えよ、 諸国の民にその驚くべき御業を。』

          詩編 96章1&3節


『今日の福音 イエスの山上の垂訓

   『そのとき、 イエスは 弟子たちに言われた。
 
     「あなたがたも聞いているとおり、
   『目には目を、歯には歯を』と命じられている。

      しかし、わたしは言っておく。
  悪人に手向かってはならない。

  だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
 あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。
     だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、
       一緒に二ミリオン行きなさい。


     求める者には与えなさい。

  あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」』
        マタイによる福音書 5章38-42節


        イエスの『山上の垂訓』
 
      イスラエルの 『山上の垂訓教会』  垂訓なさった場に建てたとか。

イエスの『山上の垂訓』とは、
新約聖書の『マタイによる福音書』第5章から7章 と 『ルカによる福音書』第6章に記されました。
      イエスが山の上で弟子たちと群集に語った『教え』のことです。
 
  『教え』の最も有名な部分は、
      『幸福の説教』、『真福八端』、『真福詞』 等とも呼ばれて、
         マタイによる福音書5章3節から10節までの
       『幸いなるかな」と、8回繰り返されるところで、
    霊的な意味での『全き謙遜』にある状態を『幸い』とするものです。

更に・・・

  キリスト教徒にとっての『中心的な教義』を、イエス様は述べられたのです。

『主の祈り』、『地の塩、世の光』、『右の頬を打たれれば、左も向けなさい』、『汝の敵を愛せよ』等、
         『イエスの黄金律』 です。


実際には・・・
  イエス様ご自身は、大祭司から尋問を受けたとき、下役の一人がイエスを平手で打ちました。
      その時、イエスは、別の頬を相手に向けたのではなく、
   『正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか。』ヨハネによる福音書 18章23節 
               と言われました。


 イエスは、『人の悪事に対してすぐに手向かってはいけない。復讐をしてはいけない。』 
                               と教えられたのです。

    イエスの時代までは、
    『目には目を、歯には歯を』と、
       受けた損害と同じ損害までなら復讐が許されていました。

   イエス様は、どの範囲の復讐もしてはならない』 とお教えられたのです。
       復讐には終わりがないのです。復讐では平和を築けないのです。
        
  イエスは、『愛』こそが、相手の『反省』を導く、『新しい道』を教えたのです。


私たちも、
イエスの『新しい道』を歩むことを
イエス様から期待されています。
  復讐ではなく愛を!
頑張りましょう。祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
   『あなたがたはいのちのことばを保ち、ともし火のように世を照らしなさい。』
                        アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
皆様の新しい一週間が、愛に満ちた穏やかな日々でありますように!

レコードの断捨離 そして 『神の国はからし種に似ている。からし種はどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなる。』

2021-06-13 11:38:21 | 家のこと DIY
6月13日。日曜日。雨。

梅雨最中の雨模様。

 
 
          梅雨に似合うアジサイ
      切り花にして部屋で愛でることにしました。

  朝からの雨で早朝ウォーキングのための時間がぽっかり空いて、
        再びの断捨離をすることにしました。

      大好きなクラッシック音楽の大量のレコード。
         未練があって捨てがたいが、
  最後にレコードで聴いたのはいつのことかも思い出せない大昔。
       再びレコードを回すことはなかろう。

       『宝』も、持ち腐れでは意味がない。
   使ってこそ、『宝』の価値が生まれるということであろう。

しっかりと考えてみるに・・・

   今日の断捨離は、『すばらしい空間』の作成が目的です。
          すっきりしたリビングで、
      好きな椅子に座って、庭の花を眺めながら、
        『カクテルアワー』を楽しみたい。
 

     限られた、しかも狭いリビングを眺めながら、
       『すばらしい空間』のために、
     レコードを断捨離と決めることができました。


     時代は流れ、いろいろの器具も変わっていきます。
   いつもいちばん便利に、毎日を素敵な気分で過ごしましょう。
  今日も、ありふれた日常が特別になるための工夫です。感謝!感謝!


そして。

今日は6月13日。年間第十一主日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、呼び求めるわたしの声を聞き、憐れんで、私に答えてください。
   御顔を隠すことなく、怒ることなく、あなたの僕を退けないでください。』

         詩編 27章 7&9節

『今日の福音 イエスの御言葉』

        『その時、イエスは 人々に言われた。
 
          神の国は次のようなものである。

     人が土に種を蒔いて、 夜昼、寝起きしているうちに、
         種は芽を出して成長するが、
      どうしてそうなるのか、その人は知らない。


        土はひとりでに実を結ばせるのであり、
    まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。
         実が熟すと、早速、鎌を入れる。
         収穫の時が来たからである。」

          更に、イエスは言われた。
         神の国を何にたとえようか。
         どのようなたとえで示そうか。

       それは、からし種のようなものである。
 
       土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、
        蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、
       葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」


        イエスは、人々の聞く力に応じて、
      このように多くのたとえで御言葉を語られた。
       たとえを用いずに語ることはなかったが、
    御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。]
        マルコによる福音書 4章26-34節


    イエス様は、『神の国』設立のために、この世においでくださったのです。
      そして、
  『神の国』の設立のために、弟子たちによる『宣教』という方法をとったのです。


使徒パウロは宣べています。

『そこで神は、宣教と言う愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。』
              コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章21節


   イエス様は、『神の国』を広めるために、
          特別な方法ではなく、『普通の方法』しかお使いになりません。


         『普通の方法』:『弟子たちによる宣教』の方法は、
      『からし種の木』のように、種は小さくても、大きな木に成長するように、
 『弟子たちの働き』は、初めのうちは小さく見えるのですが、必ず、『神の国』は実現するのです。

更に使徒パウロは述べます。

      『弟子たちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。
        神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。
       神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。』

            コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章23-25節

           
    『神の国』は、弟子たちの『小さい団体』を通して、大きくなっていくのです。
     信じる全ての人は、『からし種の木』の下で憩うように、癒されるのです。


私たちも、
キリストは私たちを通して働かれるのです。
私たちは『小さな種』を播くのです。
『わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。』
     コリントの信徒への手紙Ⅰ 3章6節
播いた結果は、心配せずに、神様にお任せいたしましょう。
神様が成長させてくださる『神の国』の発展を信じましょう。


『今日のアレルヤ唱』

  アレルヤ、アレルヤ。
   『種は神のことば、蒔く人はキリスト。キリストを見いだす人は永遠に生きる。』
                          アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝いたします。
午後前になって雨が止んできました。皆様の所はいかがでしょうか?
穏やかな一日をお祈りいたします。

友人たちのすばらしい『自粛生活』 そして 『聖母のみ心 記念日』・・・『母はこれらのことをすべて心に納めていた。』

2021-06-12 13:59:31 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
6月12日。土曜日。曇り。

友人の『自粛生活の日々』をお聞きしました。
お人のためになったり、生き物を相手にしたりと、
自分本位でない自粛生活に感動を覚えます。素敵です。
自粛生活の中でも、それぞれに努力の日々が輝いています。
何人かの素敵な日々を書いてみますね。


      『囲碁 対局』
 
      週一・・・ 『父親と勝負』  ・・・真剣勝負です。

    一人住まいをするお父上は、囲碁所に出かけるのが楽しみでした。
       コロナ禍で出かけられなくなって・・・
        私の友人が週一で、父親宅へ、
     囲碁『お相手』をするために出かけるようになりました。

  もともと少しのたしなみはあった友人ですが、ベテランの父親にはかないません。
一日にこなす『三局』ともに負けているのでは悔しくて、『独学猛勉強』を初めた友人です。

”今週は二局も勝利でした!” ”父も私の上達を、対局がますます楽しくなると喜んでくれました!”
           と喜びの友人でした。
       父上を喜ばせる友人の『すばらしい自粛生活』です。
         

      『ピアノ リサイタル』 
     
      毎日・・・ 『猛練習』  ・・・真剣です。

未亡人となられ、ご自身は84歳の友人は、おしゃれなさりお元気な日々を過ごされます。
       いまだに先生の『月一のレッスン』を受けながら・・・
           若かりし頃はご自身もピアノ教師でした。
         日曜日の『教会礼拝の伴奏』を引かれ、
          近々にはピアノリサイタルです。

    小学生時代から始められたピアノは、友人の『人生の同伴者』のようです。
   ”ピアノリサイタルは、昨年に続き、今年もコロナのために中止になりました。
        仲良し二人だけで連弾会を開くことにしました。”
         残念がりながらもお喜びの友人でした。

      日曜日礼拝でも、間違えはないようにいっぱい練習しますね。      
       ピアノとともにある友人の『すばらしい自粛生活』です。


      『蜘蛛の巣』
 
      毎日・・・ 『蜘蛛の飼育』  ・・・真剣です。

御夫妻ともに
 夫様は『油絵』&奥様は『日本画』と、絵画を趣味とするお二人です。
 毎日の、『旗振り山』の早朝登山を頑張る御主人様 と 夕方の散歩を楽しむ奥様です。

   ”我が家の蜘蛛ちゃんが、破れた蜘蛛の巣の糸を、細い糸で修理を始めたのよ!”
”天眼鏡を持った老夫婦が玄関軒下でうろうろするのを見るご近所さんは、なんと思うのかしら?”
    と、何年も、ご自宅玄関の軒下に、蜘蛛を住まわせるご夫婦です。
      蜘蛛に名前をつけて呼ぶ優しい御夫妻。
   蜘蛛とともに生活をする友人の『すばらしい自粛生活』です。


     外出ができない日々でも、お人の(昆虫の)役に立つ生活で、
         心豊かな日々になるのだと学びます。
    まだまだ、リモートでの『素敵な自粛生活』のお話は続きました。
     心温まるお話から、自粛生活の元気をいただきました。


     私は、今朝も、相変わらずの早朝ウォーキングで一日の始まりです。
        今日は、娘が自分で育て、郵送で送ってくれた、
     『野菜苗』の移植作業で『すばらしい自粛生活』です。 感謝!感謝!


そして。

今日は6月12日。
         『聖母のみ心 記念日』
        

    『イエスのみ心』の翌日に 『聖母のみ心』を記念します。

  1944年。 この記念日は、ピオ12世教皇によって定められました。

 神に心を開いて自らをささげた聖母マリアは、すべてのキリスト者の模範です。
     マリアの心が聖霊のふさわしい住まいとされたように、
    わたしたちの心も聖霊の神殿となることを祈る祝日です。
         『毎日の読書』より


『今日の集会祈願』

    『いつくしみ深い父よ、
   あなたは聖母のみ心を、聖霊のふさわしい住まいとしてくださいました。
        聖マリアの取り次ぎを求めるわたしたちも、
        聖霊の神殿となることができますように。』



『今日の福音 12歳のイエスの御言葉

   『イエスの両親は 過越祭には 毎年エルサレムへ旅をした。
        イエスが十二歳になったときも、
      両親は祭りの慣習に従って都に上った。

     祭りの期間が終わって帰路についたとき、
    少年イエスはエルサレムに残っておられたが、
       両親はそれに気づかなかった。

 イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、
      それから、親類や知人の間を捜し回ったが、
   見つからなかったので、 捜しながらエルサレムに引き返した。

   三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、
 
     話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
    聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。



      両親はイエスを見て驚き、が言った。
      「なぜこんなことをしてくれたのです。
   御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」

       すると、イエスは言われた。
    「どうしてわたしを捜したのですか。
わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」


    しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。
      それから、
      イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、
 
        『養父・ヨセフと少年・イエス』

           両親に仕えてお暮らしになった。

     母はこれらのことをすべて心に納めていた。
    イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。』
        ルカによる福音書 2章41-51節



         12歳といえば、今では中学入学の年でしょうか?
          精神的自立を始める、難しい年頃ですよね。
       自分なりの個性、考え方、やり方を見つける年頃です。
            親の子離れ、子の親離れ、
  まだまだ親の保護がいる12歳の年齢であっても、『個性』の芽生える大事な時期です。


      12歳になられたイエス様は、
 大人としての義務・年三回の『エルサレム上京義務』を、両親とともに、果たされました。
   しかし、 
   その帰り道・・・イエスは一人でエルサレムに残りました。
      三日の後にイエスを探し当てた両親に向かって、
       謝るのでもなく、『御自分の道』を示されたのです。
          『どうしてわたしを捜したのですか。
  わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。』


    12歳になった少年イエスは、『自分の道』を歩み始められたのです。
          そして、
         イエスは、両親とともに、ナザレに戻られました。
 そこが、御自分の『将来の準備』を始めるにふさわしい場所と、お考えになったのです。


  イエスを探し当てた両親は、
    イエスの言われる『父の家』の意味が分かりませんでした。
       まだ、『本当のイエス』を見出していないのです。
    母マリアは、これらのことをすべて心に納めたのです。
    父ヨセフは、理解できないままに、イエスの全てを受け入れたのです。


私たちも、
子育てにおいて、
時代の違い、年代の違い、が大きく、
又、一人一人の個性の違いに驚き、
子どもを理解できないことが多々あります。
それでも、いついかなる時も、
互いに助けあい、許し合い、忍び合いながら、
親子の強い絆を結んでいきたいものですね。
互いに信じ合う力を祈りましょう。

『今日の叙唱』

   『神のお告げを信じ、尊場を受け入れたおとめマリアは救い主の母となり、
       十字架のもとでイエスの最後のことばを受け、
    キリストによって生まれる全ての人の母となりました。
 また約束されt聖霊を待つ間、使徒たちとともに祈り、祈る教会の姿を示しました。
 旅する教会を母の愛をもって見守り、神の国の完成まで私たちを導かれます。』



皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
自粛生活も二年以上にもなれば、これが毎日の日々ですね。
穏やかな週末をお過ごしください。

オンライン・聖書100週間クラス・・・『マカバイ記Ⅰ』 そして 『イエスのみ心 祭日』・・・『兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。』

2021-06-11 11:09:31 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
6月11日。金曜日。曇り。


金曜日の今日は 午後2時~4時。
週一の『オンライン・聖書100週間・聖書通読会』です。


           『聖書100週間・聖書通読会』
 
               対面クラス

  このコロナ禍で、対面クラスはままならず、今日もオンラインクラスです。
  オンラインクラスにも、対面では想像もできなかった、喜びが色々あります。
  
   対面でも、オンラインでも、聖書100週間クラスの、大きな喜びは、
   『自分の思い、考え』を、思いっきり、自由に、語れること、
      そして、じっくりと聞いてもらえることです。


人は、自分の思いをおもいっきりしゃべりたい。 自分の考えをそのままに聞いてほしい。 
      自分の思いをそのままに受け入れてほしい。
      という『欲求』があるのではないでしょうか?

    『聖書100週間』は、その『欲求』を満たす場なのです。

     
聖書100週間は、

       毎週の『通読範囲』を家で読んで・・・
 集会の場で、感じたこと、心に響いたことなど、一人一人が順に純粋に述べるのです。
 聞く者は、『発表』に対して、『意見』を述べることは許されず、100%そのまま受け入れるのです。
聖書の専門家である司祭様も、参加者の一人として聞くだけ、聖書読解の指導も致さないのです。
            勿論、司祭様の発表から『大きな学び』をいただくのです。

『話す喜び』、『聞いてもらえる喜び』と同時に、『聞く耳』が育てられていきます。
  皆様の考えにひたすら耳を傾けることで、聞くことの大切さと喜びを実感していくのです。学ぶのです。
 『100%自分を受け入れてもらう喜び』 と同時に 『聖書理解の深まり』を味わいます。

      読む苦労に 学びの喜び が勝っていくのです。


       今日の『通読範囲』 は 『マカバイ記Ⅰ』 です。
 シリア王・アンティオコス・エピファネスの即位~シモン・マカバイの死に至るまで、
        紀元前175年~134年の41年間の歴史記録です。
          マタティアの5人の息子の指導のもとに、
       ユダヤ人が、列国の王たちからローマ帝国までの戦いで、
    どれだけ 宗教的自由と政治的独立のために戦ったかが記されています。


 人類始まって以来、現在に至っても、国の権力を争う戦いが絶えることはありませんね。
      『試練』を通して、人類は学ぶということなのでしょうね。


        仲間は、『マカバイ記Ⅰ』 をどう読み解くのでしょう!? 
      今日も、楽しい『オンライン・聖書100週間』です。 感謝!感謝!


そして。

今日は6月11日。 
        『イエスのみ心 祭日』
     

    『聖なる父よ、
  あなたは、人類の罪のために刺し貫かれた御子のみ心のうちに、
    限りないいつくしみの泉を開いてくださいました。
わたしたちが、心からの奉献によってキリストの愛にこたえることができますように。』

           『今日の集会祈願』


『今日の入祭唱』

   『主の企てはとこしえに立ち、御心の計らいは代々に続く。
  人々の魂を死から救い、飢えから救い、命を得させてくださる。』

         詩編 33章11&19節

『今日の福音 イエスの十字架』

    『その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、
 ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、
      足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。


       そこで、兵士たちが来て、
イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。

     イエスのところに来てみると、
    既に死んでおられたので、その足は折らなかった。

    

    しかし、
       兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。
       すると、すぐ血と水とが流れ出た。

    
  それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。

     その者は、あなたがたにも信じさせるために、
      自分が真実を語っていることを知っている。

これらのことが起こったのは、
   「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。
また、聖書の別の所に、
   「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。』
       ヨハネによる福音書 19章31-37節


旧約時代。
『過越しの子羊』は、
神がイスラエル人をエジプトから救くってくださったことの記念でした。
過越しの子羊をほふったとき、足は折らなかったのです。
十字架上のイエス様の足を折らないことは、
イエスこそが『本当の過越の子羊』であることを語るのです。



    イエスは、脇腹から 『水と血』 を流されてお亡くなりになりました。

『血』は、イエスの『犠牲』と『死』を表わします。
『水』は、『水が神殿の敷居の下から沸き上がって、東の方へ流れていた。』エゼキエル記47-1
      『救い主の時代になると神殿から水が出て、人類を清めるだろう』と
              旧約聖書に書いてあるとおりに、
     イエスは『新しい神殿』であり、そのイエスから人間を清める『水』が出たのです。


    イエスは生前に弟子たちに約束されたとおりに、
  復活後・・・弟子たちに『聖霊』を送り、『聖霊の水』で清めてくださったのです。
  現在・・・私たちは、『洗礼』 と 『御聖体』を通して、
           清められ、養われ、生きるのです。


私たちも、 
イエスの『犠牲』と『愛』に気づき、
信じて、
感謝したいですね。

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『私たちが神を愛したのではなく、神が先にわたしたちを愛して、
    わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになられました。』

          ヨハネの手紙Ⅰ 4章10節    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
自粛生活の毎日で、おしゃべりすることが少なくなりました。
お電話ででも、おしゃべり役と聞き役、両刀で、元気でいましょう!