今年の夏、20年は使っていたであろう、今はなき三菱ダイアトーンのDS-505を、デンマークのダリのMentor6というスピーカーに買い換えたついでに、調子の悪かったケンウッドのCDプレーヤーを、スーパーオーディオ(SACD)対応のDENONのDCD-SA11に新しくしました。
これまでは、ステレオ装置よりも音楽そのものを楽しむ意味からもCDの収集に注力してきましたが、先週届いたスーパーオーディオのバッハの曲を聴いて、これは明らかに音楽そのものを別次元にまで引き上げるほどの音域の広がりがあると感じました。今までのCDは人間の耳が感知出来る周波数領域以外はカットしてあると言います。聞こえない周波数領域までデジタル信号で取り込むのは無駄であるという合理性からのことです。
しかし、手間がかかるので今ではほとんど聴かなくなりましたが、昔のLPレコードのそのアナログ音の豊かさに比べて、特にCDが出始めた時はどこか物足りなさを感じたものでした。それでも24ビット処理だのという新しい録音をもつCDが出てきたりして、それとなくCDそのものの音にも耳が馴らされていったようです。
ところが今回SACDを改めて聴いてみて、昔のLPレコードの音の味を思い出しました。もう、これからはSACD以外は買わないだろうと思うほどです。やはりいいものはいいということですね。
こうなると、音に対する欲がますます湧いて出るのも、これまた人間の性でしょうか。10年以上使っている今はなき山水のAUα907XRのプリメインまで変えたくなりました。「セパレートアンプにすれば、音を絞り込んでも全く違った音を鳴らしてくれますよ」、というオーディオショップの担当者のつぶやきがどうにも気になるのです。プリメインにするにしても、昔からの憧れのアキュフェーズの新製品のE-450あたりをどうしても視聴してみたくなりました。まあ、このあたりまでの組み合わせが音の追求においては、最もコストパーフォーマンスが良いようですので、それ以上にお金をかける趣味は筆者には元来ありません。
それにしても、異口同音にオーディオファンが心配しているのが、ウォークマン世代の若者のことです。若い頃からヘッドフォンステレオの音に耳がなじみすぎているため、もっといい音がこの世界にあるにもかかわらず、その音を感知することがもはや出来ないということです。
人間の感性は、若い頃から身につけないと年取ってからでは遅いものも、どうやらあるようなのですね。音感がそのようだと言います。
それに困ったことに、ヘッドフォンをつけてボリュームを上げて聴き続けていると、音感が失われるばかりか段々と年をとるにつれて難聴になるとも言われております。それは事実のようです。
まあ、そんなこと放っておいてくれ、余計なお世話だという若者の声が聞こえてきそうですが、せっかくこの世に生まれたのに、素晴らしい音の世界を感じることが出来ないのは、なんともまあもったいないと思う訳であります。
しかし、音の追求や音楽の追究もそれが昂じると、それ自体が目的となってしまうという副作用もあるようです。筆者の場合はその副作用にはまだ陥っていないようです。ステレオ装置といっても10年か20年に一度の軽自動車程度の投資で十分に満足している訳ですから。しかしながら、やはりヨーロッパの由緒あるバッハ演奏家の公演を日本で聴いたりすると、現実に歌っている、演奏している生身の人間の息づかいやら、真摯さが身に伝わってくるせいか、CDを聴くときとは比べものにならないほど感動してしまいます。
これが昂じるとバッハの本場まで出かけていって少々音楽をかじりたくなったりします。この12月にはバッハのクリスマスコンサートを聴きに、念願のバッハゆかりの地、ライプチッヒやアイゼナッハ、そしてワイマールなどを巡る旅に出かける予定です。これも40年近くもバッハ一筋に聴き込んできたその因果なのか、それともステレオ装置の買い換えに伴う副作用なのか、いささか微妙かも知れません。
これまでは、ステレオ装置よりも音楽そのものを楽しむ意味からもCDの収集に注力してきましたが、先週届いたスーパーオーディオのバッハの曲を聴いて、これは明らかに音楽そのものを別次元にまで引き上げるほどの音域の広がりがあると感じました。今までのCDは人間の耳が感知出来る周波数領域以外はカットしてあると言います。聞こえない周波数領域までデジタル信号で取り込むのは無駄であるという合理性からのことです。
しかし、手間がかかるので今ではほとんど聴かなくなりましたが、昔のLPレコードのそのアナログ音の豊かさに比べて、特にCDが出始めた時はどこか物足りなさを感じたものでした。それでも24ビット処理だのという新しい録音をもつCDが出てきたりして、それとなくCDそのものの音にも耳が馴らされていったようです。
ところが今回SACDを改めて聴いてみて、昔のLPレコードの音の味を思い出しました。もう、これからはSACD以外は買わないだろうと思うほどです。やはりいいものはいいということですね。
こうなると、音に対する欲がますます湧いて出るのも、これまた人間の性でしょうか。10年以上使っている今はなき山水のAUα907XRのプリメインまで変えたくなりました。「セパレートアンプにすれば、音を絞り込んでも全く違った音を鳴らしてくれますよ」、というオーディオショップの担当者のつぶやきがどうにも気になるのです。プリメインにするにしても、昔からの憧れのアキュフェーズの新製品のE-450あたりをどうしても視聴してみたくなりました。まあ、このあたりまでの組み合わせが音の追求においては、最もコストパーフォーマンスが良いようですので、それ以上にお金をかける趣味は筆者には元来ありません。
それにしても、異口同音にオーディオファンが心配しているのが、ウォークマン世代の若者のことです。若い頃からヘッドフォンステレオの音に耳がなじみすぎているため、もっといい音がこの世界にあるにもかかわらず、その音を感知することがもはや出来ないということです。
人間の感性は、若い頃から身につけないと年取ってからでは遅いものも、どうやらあるようなのですね。音感がそのようだと言います。
それに困ったことに、ヘッドフォンをつけてボリュームを上げて聴き続けていると、音感が失われるばかりか段々と年をとるにつれて難聴になるとも言われております。それは事実のようです。
まあ、そんなこと放っておいてくれ、余計なお世話だという若者の声が聞こえてきそうですが、せっかくこの世に生まれたのに、素晴らしい音の世界を感じることが出来ないのは、なんともまあもったいないと思う訳であります。
しかし、音の追求や音楽の追究もそれが昂じると、それ自体が目的となってしまうという副作用もあるようです。筆者の場合はその副作用にはまだ陥っていないようです。ステレオ装置といっても10年か20年に一度の軽自動車程度の投資で十分に満足している訳ですから。しかしながら、やはりヨーロッパの由緒あるバッハ演奏家の公演を日本で聴いたりすると、現実に歌っている、演奏している生身の人間の息づかいやら、真摯さが身に伝わってくるせいか、CDを聴くときとは比べものにならないほど感動してしまいます。
これが昂じるとバッハの本場まで出かけていって少々音楽をかじりたくなったりします。この12月にはバッハのクリスマスコンサートを聴きに、念願のバッハゆかりの地、ライプチッヒやアイゼナッハ、そしてワイマールなどを巡る旅に出かける予定です。これも40年近くもバッハ一筋に聴き込んできたその因果なのか、それともステレオ装置の買い換えに伴う副作用なのか、いささか微妙かも知れません。