株に出会う

独自開発のテクニカル指標で株式市場の先行きを読む!

昨年1年間に新たに経験したこと

2022-01-02 12:07:02 | 折々の随想
明けましておめでとうございます。

とは、書いたものの、近頃は季節感あるいは時節感とでも言うものが全く感じなくなっております。つまり、年末が近づいても普段と全く感覚が変わらないのですね。

しかし、季節の移り変わりなどに対する感受性が衰えた訳ではありません。
朝、起きた時に窓の外から見た丁度いい目線の先に新月が見えた時なども、静かな感動を覚えたりしておりますから。

ところで、新年を迎えるに当たり、昨年、新たに目覚めた、或いは体験した出来事を、備忘録的に思い当たるままに綴ってみました。(順不同)

1.10キロの減量に成功。

 数10年もの長きに亘って過重体重(身長173センチに対して76キロ)から脱することが出来ませんでした。それが、ヒョンなことからオートファジーの最新情報を知り、昼食を採らない生活に転じました。そうすると10か月程度で徐々に体重が落ち、標準体重の66キロで安定しました。

2.Sennheiser のワイアレスイヤフォン。

 年末近くにSennheiserのCX Plus True Wirelessというイヤフォンを買いました。なぜ、いままでこうしたものに手を出さなかったのかと大いに反省。まるで音質が違います。家のリビングにある100万円ほどかけたオーディオシステムと同等かそれ以上の音が出ます。これでトレーニング場でバッハの音楽を聴く時の楽しみが増えました。

3.OUKITELのスマートフォンを追加買い。

 これまでメインに使っていたOPPOのRENO Aの画面サイズが今ひとつ小さいため誤入力が多く、もっとディスプレイの大きなスマホを探しておりました。たまたまユーチューブで、OUKITELという中国の中堅メーカーのタフネススマホを知り、発売直後にAli Expressで買いました。199ドルの特価。バッテリーが8300mAhもあり、6.78インチの大画面で、1.5Mの高さから落としてもOK。水の中に30分間沈めてもOKという優れもの。有機ELではないものの画面が実に綺麗。

4.RAV-4 PHVに乗り換え。

 こちらは一昨年の10月末にオーダーしておいたのですが、やっと昨年の5月に納車。電気だけで95キロは市街地走行で走ることができます。買って以来ガソリンを入れたのは納車直後の1回だけ。その後のガソリン高騰の影響は全く受けず。深夜電力で充電しますので、1キロ走るのに3円ぐらいしかかかりません。それにも増して、静かな海の上を滑るように走る乗り心地の良さと、時速100キロまで到達するのに6秒しかかからないという俊足(実際に出したことはありませんが、ちょっと加速を強めると自分でも車酔いするのかと思うぐらい)に大満足です。補助金も30万円(+60歳以上のサポカー補助金10万円)出たので、ちょっと得した感じ。

5.体調がすこぶる良くなった。

 減量によるオートファジー効果のせいか、体調は生涯で最高かと思うほど。この歳で、今飲んでいる薬はコレステロールを下げる薬だけ。歯の手入れは念入りに行い半年に1度の定期点検では、歯医者さんで褒められ続けております。歯周病菌も全くなし。眼も1年に一度の点検で異常なし。老眼は進んでおりますが白内障などの兆候もなし。トレーニング場では、筋トレの密度をドンドンと上げていっております。最大2トン程度のウェートまで。そのせいか、たまに痛めていた腰も、体重減による柔軟性の回復と筋肉増強により快調です。ストレッチの継続が効いているようです。やはり、自分の体は自分しか手入れ出来ないことを実感。

6.送迎活動が「成熟期」を迎える。

 2017年11月から始めた地域での互助送迎活動。昨年はこれまでに最高の617回の送迎を行いました。「変な人」を排除し、この活動に理解をしていただける方々に絞っております。現在30人弱。気心の知れた方々との送迎活動を楽しんでおります。大変ですが、私の存在を頼りにして下さり、それなりのカンパや物品を頂ける方ばかり。こちらからも庭で取れたゆずを差し上げたりしております。カンパを原資とする年末募金も、今年は利用者の駐車場にクルマを入れる際に横腹を擦ったり、ねずみ取りにあったりしたため、たったの3万円でしたが行いました。

以上です。
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ワクチン接種による「効用関数」

2021-07-24 07:26:56 | 折々の随想
筆者が送迎を行っている高齢者で、最も重篤な基礎疾患を抱えた方がおります。

その方は、週1回は大学病院で1-2種類の輸血を2-4時間かけて受けております。その他に、以前から抱える基礎疾患として、ニトログリセリン常時保有が必要な心臓病、若いころからの喘息、足腰の疾患その他を抱えており、クルマに乗り込むのもやっとの状態です。

さて、その方がこの度、新型コロナワクチンの接種を受けることになりました。長年の主治医も了承したとのことです。

その方のお友達は、あんなにいつ死んでもいいような状態で、リスクを犯してまでワクチンを打たなくても良いのに、と危惧しております。

そこで、ワクチンを打つか打たないかを判断するための「効用関数」なるものを試算してみました。これは他にも人生において使える考え方です。

まず、コロナの最新の感染者数を今朝の新聞で確認すると、(日本の総人口は1億2千万人としております。)

 ● 罹患者総数 85万8503人(約千人に7人=10万人あたり約700人) うち死亡者総数 15052人。(10万人あたり約12人)
 
一方、ワクチン接種についての厚労省のデータ(2021年7月21日発表、データは7月11日現在)を見ると、

 ● 接種者総数 3760万人 うち接種後の死亡者総数 667人(10万人あたり約1.7人)
   但し、厚労省は3人を除いてはワクチン接種との因果関係は認められなかったと言っております。とりあえず、667人全員が接種による死亡と仮定します。

つまり、10万人あたり12人がコロナに罹患すると死亡するのに対して、ワクチン接種による死亡者は10万人あたり1.7人となります。約7倍のリスクがワクチンを忌避することによって生じることになります。しかも、これは基礎疾患を多く抱えるであろう664人(多くは高齢者)を足し込んでの数字です。仮に、667人の半分がワクチン接種そのものによって死亡したとすると、10万人あたりの死亡者は更に半減し0.8人程度に落ちます。そうするとワクチン接種を行わないと、コロナ感染によって15倍の死亡リスクを抱えることになります。

もう、明らかですね。ワクチン接種することにより死亡リスクが7分の1から15分の1に低減、場合によってはそれ以上の「効用」があることが示されました。

筆者も、あんなに重篤な基礎疾患を抱えていつ死んでもおかしくない状態なのに、ワクチン接種して大丈夫かな?との疑問を抱いておりましたが、効用関数という考えからは上記の結論が導き出されます。今日、特別に送迎を行いますので、そのことをご本人に伝えてあげようかなと思います。

但し、1点だけ念を押しておくことを忘れないようにしないと。。

それは、ワクチン接種が引き金となって早逝する可能性があるということです。基礎疾患を抱えて毎週輸血をしていても、まあ、あと1-2年は生きられるかも知れません。仮に、その間にコロナに罹ってコロリと逝っても、それまでの人生は「謳歌」できる訳です。その謳歌できたであろう人生の残り時間を「犠牲」にしても本望ですね?という点を、念のため本人に言い伝えて置かないと、ワクチンを打ったのでもっと人生を「謳歌」できると勘違いされても、それは筆者の「本望」ではありませんので。。。

   
 
  
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想像力を酵素とする音楽的感動

2020-11-22 16:17:20 | 折々の随想
最近読んだ2つの全く別の本から、タイトルのような言い方ができるのではないかと思うようになりました。

まず、これまで全く知らなかったクリーブランド管弦楽団のジョージ・セルが言った言葉。

「本物の指揮者は心で考え、頭で感じなければならない。」

普通の解釈の逆のように見えますが、指揮者にとって大切なことは、「感情を冷静にコントロールしながら、感動を頭脳的に作り出す。」ことだそうです。
そう言えば、何か不条理なことがあり、それに対して感情が高ぶっている時は、いわゆる「心臓がパクパクしている」状態ですね。頭に血が昇って「感動」も何もない状態。指揮者がこのような心持ちで楽団員を指揮しても、冷静な楽団員との心的なズレが生じるだけですね。

従って、心で考えるとは、つまり一切の感情を冷静にコントロールすることな訳ですが、これは音楽以外についても同じことが言えそうです。
例えば、何かの論点に関して誰かと議論している時、まずは感情を冷静に保ち、相手の頭の中に入り込み、どうすれば、相手の論拠となっている考え方についての矛盾点なり、非論理性なりを冷静に説きながら、無理やり説き伏せるのではなく、当の相手自らが気づいてくれるか? この点が重要になってきます。

端的にいうと、相手が頭の中で「ハッ」と感じる瞬間を作り出すことが出来れば、そこから先は相手の頭の中に新しい「常識」のようなものが新しく生成され、話がうまく通じることになります。

音楽についても同じことが言えます。長年バッハの音楽を聴いてきて、ようやく最近になって分かってきたことは、バッハの音楽に感動するとは、心で感じるものではなく、どうやら、計算された和音の組み合わせや音楽のテンポ、あるいはクライマックスを作り出す音の仕掛けのような、いわばバッハならではの「多彩なノウハウ」によって引き起こされるようです。

しかし、そのバッハの企みは、聴く人が脳内に持っている「酵素」によっては、全く音楽的な感動に作用しないこともあるのではないか。

それは、「人間は外面的幸福それ自体は吸収することができず、人間の心の中で「想像力」という酵素が作用することではじめて吸収できる状態になる。」と述べている、もう一つの本(長沼紳一郎「現代経済学の直感的方法」)から示唆を受けました。

例えば、野に咲く名もない一輪の花を見た時や、生まれたばかりの1ミリほどの蜘蛛の子が必死に蜘蛛の糸を垂らしている様を見た時、ある種の「想像力」があれば、得も言われぬ程に感動する人もいれば、「想像力」がなくて全く感じない人もいます。

これは、その人の脳内の酵素の多寡や、種類、また組み合わせ、あるいは可塑性などにより、目の前の同じ情景に対しても、人によっては全く違った感動を引きおこす(あるいは全く引き起こさない)ことが、この歳になって何となく分かってきました。

同じ人生を過ごすのなら、やはり日々新たな感動が脳内で作られるようになりたいものですね。



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認知症と逆ボッタクリバー

2020-09-25 15:09:35 | 折々の随想
今日は、一組の送迎を終え、隣町の床屋さんに行く途中に携帯が鳴りました。前回、美容院が休日だったため無駄足となった方からの電話でした。「今からスイミングプールに行きたい」とのこと。急遽折り返してお迎えに行きました。1時間半後にそのプールにお迎えに行く約束で一旦帰宅。プールで降りる時、そのお方は支払いをしようとするので、「後で家までお送りした時に累計の距離で計算しますから、その時でいいですよ。」と言ってその場は何も代金を頂かずに帰宅しました。

予定どおりの時間にプールにお迎えに行きました。少し遅れてその方が出てきましたが受付の方に何やら話をしているので耳をそばだてていると、「タクシーが待っているので、あがることにしたのよ」とか言っておりました。意外としっかりしている!(注:私の送迎活動は「タクシー」ではなく「互助送迎」。最初にご本人にも告げてあります。)

「異変」が起きたのは、無事その方の家までお届けした時のことです。往復のガソリン代の計算をしている最中に、その方は代金を支払わずに「どうもありがとうございました。」といってそのまま下車されました。代金の支払いを忘れて降りようとする方はこれまでもいましたが、皆さん、降りた途端に気がついております。その方は、そのままスタスタと自宅の玄関まで歩いていきそのまま家に入っていきました。

その時、「あっ、これはこの方はやはり初期の認知症に違いない」と改めて思いました。思い返せば、これまでも、約束の日時に家にいなかったり、いくら言っても事前予約が出来なくて、「今からお願いします。」としか電話してこなかったり、どうも普通の約束事(送迎のルール)がきちんと守れないようなのですね。

でも、不思議と代金なしの送迎であっても、私の中では何も嫌悪感のようなものは全く湧いてきませんでした。これは何故だろう?

多分、その方は「悪気が全くない」からではないかと思います。いずれにしても、その方はごく最近までクルマに乗っておりましたが、そのクルマをどこかにぶつけたのがショックで、ご自分からクルマの運転を放棄した方です。多分その頃から初期の認知症(あるいはその前段階のMCI)だったのでしょう。しかし、以前に約束どおりに迎えに行ったのに不在だったことを話すと大変恐縮がり「迷惑料」を差し出した方です。それ以外の通常の送迎でもガソリン代に対して500円のコインをお礼を含めてきちんと差し出すような方です。そういう(他人にきちんと気を使う)方に、とりあえずお役に立てたという、私自身の気分の良さの方が勝っておりました。これからも、いきなりの電話であっても、また、料金の支払いがなくても、対応できる限り送迎をして差し上げたいと思います。(夕方5時半頃、その方から電話。支払いを忘れたことを侘びておりました。MCIではないかも知れない!)

このケースとはちょっと異なりますが、今日の午前中に隣町のクリニック(整形外科)までお送りした二人連れ(ご近所のお友達で二人とも足が悪い)の送迎については、回を重ねるにつれ段々と気が重くなってきている自分がいます。お二人とも3年ほど前からのいわば「常連さん」であり、ガソリン代(二人で200円)に加えて、各自100円の「お気持ち代」を頂いております。(当初はガソリン代だけだったのですが、さすがにいくら何でもそれでは悪いと思ったのか、今年に入るころから一人100円のお気持ち代を自ら差し出すようになっております)送迎には往復1時間近くかかり、クリニックでの待ち時間も1時間ぐらいにはなります。仮にタクシーを使うと、1回6000円に待機料がかかる訳ですが、それが私の互助送迎ならお一人200円(うち100円がお気持ち代)です。これまで何と50回以上の送迎を重ねております。私への支払いは二人で400円X50回=2万円ですが、タクシーだと待機料は0円としても相乗りで30万円です。

細かい話ですが、この方々は、最低でも28万円は節約出来た勘定になります。(えっ?、これは「逆ボッタクリバー」じゃない??)

このような長距離での待機を伴う送迎は他の方にも提供しておりますが、皆さん、私の待ち時間と長距離乗車に大変恐縮して、ガソリン代200円ポッキリではなくガソリン代を含めて500円から(ちょっと時間が長いと)千円を出される方ばかりです。それに加えて帰路にスーパーに立ち寄れば何か買ってくれたりと随分と気を使って頂いております。

しかし、翻ってその方々はお気持ち代として各自100円だけ。私が逆の立場なら、やはり、たったの100円の「お礼」で、2時間程度の他人の「拘束」では、とても気が済みそうにありません。普通の感覚を持っている方なら、やはり同様に思うのではないでしょうか?

このようなある種の違和感のようなものが私の心にジワリジワリと作用して、段々とこの方々の送迎に際して気が重くなってきているのではないかと思うのです。

嫌な気持ちを抱きながら、何の恩義もない見知らぬお方を送迎することはしたくないのが本心ですが、最初にお会いした時に、そのような気持ちを持っている方かどうかを見抜くのが、これは意外と難しいものです。3年近く経って、やっとその頃合いが分かりかけたところです。それにしても、役所の高齢者福祉課や地域包括支援センターの紹介でケアマネジャーあたりから時々電話があるのですが、「この方のXXという住所から○○病院まで大体お幾らですか?」と聞かれると、実は内心ムッとします。「タクシーの30分の1の料金で送迎している団体なり個人は一体どこにあるのか!その金額までケチりたいなら、もうそういう方はお断わり」っていう心境です。


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共同所有自己申告税(COST)

2020-08-25 11:35:08 | 折々の随想
読者諸氏は、タイトルの共同所有自己申告税(COST=Common Ownership Self-assessed Tax)というのはお聞きになったことがあるだろうか?

これは、「脱私有財産の世紀」(エリック・A・ポズナー/ E・グレン・ワイズ共著)で紹介されている新しい税の提案です。
グローバル資本主義の加速に伴い、また今年のコロナ禍でも、皮肉にもますます拡大している「格差の拡大」を押し止めるための具体的な1つの提案です。

その主張のエッセンスは以下のようになります。

★ 使用する権利と、排除する権利がどちらも保有者から社会全般に部分的に移る税の仕組み。

 1.現在保有している財産の価格を自ら決める。
 2.その価格に対して一定の税率分を課税する。
 3.より高い価格の買い手が現れた場合には、
  i.1の金額が現在の所有者に支払われ、
  ii.その買い手へと所有権が自動的に移転する。

例えば、ある人が遊休の土地を持っているとします。今の税制で例えば農地並みの安い固定資産税しか支払っていない場合、仮に大規模な開発を伴う土地収用の話があったとして、その買収価格が土地保有者の期待値以下であれば、そのまま売却せずに保持し続けるでしょう。期待値以上の価格が提示されれば、そこで初めて土地の保有者は売却するかどうか、真剣に検討することになります。仮に「法外」な値段が提示されれば、恐らく売却することになるでしょう。

以上の場合、社会的に見れば、格差の上位者(土地保有者)から別の格差の上位者(例えば、開発企業)へと当該土地の所有権が移転するだけであり(あるいは、その逆)、そこには社会的な格差を是正するという機能がほぼ含まれていません。

ところが、共同所有自己申告税の下では、自ら決める財産の価格を高くしすぎると税金を高く支払わねばならなくなるため、ほどよく抑制された形で保有する土地の価格を申告する動機が生まれます。当然、どうしても他者に売りたくない場合は、高い税金を払ってでも、自己申告価格を高くする人も出てくるでしょうが、その分、税金も社会に還元されるので、問題ありません。

このようなCOSTの考え方が、何故格差の是正につながるのかは自明ですね。富の偏在が正され、社会全体に最適化される機能を、このCOSTという仕組みは持っているからです。運用上の様々な詳細設計はもちろん必要ですが、筆者が感心したのは、格差が広がっている実態を示す論調はあちこちで見られるものの、では一体どうすれば、その格差が是正され、よりよい社会になるのか?その具体的な手法をこの本は示していることです。

他にもVIP(個人間ビザ制度)とか、QV(2次の投票)とか、この格差社会の不具合を具体的に修正する考え方が、この本には書かれております。

昨今、消費税を下げるとか、ベーシックインカムの議論とかがさかんですが、これらはいわば小手先の議論に見えてきてしまいます。単に、あるお金を別のところに恣意的に配分するだけの機能しかないからです。

もっと、本源的にこの社会の問題を解決する手法が、このCOST等の考え方には含まれているような気がします。

政治家や中央官庁はもっともっと研究して、このような新しい制度を何とか早期に実現してもらいたいものです。
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