先日カンボジア大使館に行った帰りに立ち寄った本屋で、かねがね手に入れようと思っていた吉本隆明の最新作「真贋」がたまたま見つかったので買って帰りました。
昔、詩集「固有時との対話」に感じた時の硬質な文章とは対極の、まさに円熟した文体で淡々と綴るその文章は、あっという間に読了させる程、心地よいものでした。
この本の中から1つだけ、この老?思想家の非凡さを改めて思い知った物事の見方をご紹介します。
「批評眼について」という一節で、吉本は初期のころに書いていた詩をうまい詩ではなかったと自ら評し、その理由として、理屈っぽいところがあり、詩を書くと無意識に現れてくるべき問題があまり出てこないことが不満だった述懐しております。
しかし、その不満があったからこそ、他人の作品を見た時に、どこが悪いのかを見る批評眼が芽生えてきたと述べ、そして、次の文章につなげていきます。
「文句なしにいい作品というのは、そこに表現されている心の動きや人間関係というのが、俺だけにしかわからない、と読者に思わせる作品です。この人の書く、こういうことは俺だけにしかわからない、と思わせたら、それは第一級の作家だと思います。とてもシンプルな見分け方と言ってよいでしょう。」
これは小説のストーリー展開のある箇所が、自分にとってとても面白いというようなことではなく、「何かを感じさせる、言ってみれば、文体の表現的な価値」を感じさせるかどうかに、良い作品とそうでない作品の分かれ道があると吉本は言っております。
筆者が会社に勤め始めた若い頃に、ドストエフスキーの全作品を6ヶ月もかかりながらも読み通した時の経験ですが、最初はドストエフスキー独特の饒舌過ぎるほどの文体に辟易しながらも、読み続けるうちにその文体から段々と心地よい何かが感じられるようになって行きました。しかもそれが昂じていったのです。そのことがこの作家の膨大な作品に最後まで惹きつけられていった理由でした。しかし当時は、まだ若かったこともあるでしょうが、「俺しか分からない」といったことまでには行き着きませんでした。
ところが、この吉本の文章の慧眼ぶりを思い知らされたのが、バッハの音楽の世界からでした。昨日も昼間に手元のCDをあれこれ取り出して、今年の夏に更新したステレオ装置で聴いておりましたが、40年以上バッハを聴き込みながらも、その良さが今1つ分からなかった「クリスマス・オラトリオ」が、アーノンクールのSACD新盤の録音の良さもあるでしょうが、これは突如と言って良いかと思いますが、筆者の心に何かを感じさせるようになったのです。
その何かを言葉にするのは非常に困難ですが、強いて言うと、イエス・キリストの誕生という祝祭の陰に伏線として流れる受難の予感を、信仰の厚い人々の心に複雑に投射し、屈折した何かを感じさせる音楽、とでも言えるかと思います。
もっと卑近な例では、バッハのバイオリンソナタのある一節が非常な哀愁感を醸し出し、クルマを運転しながら聴いていても思わず涙することがあったり、プレリュードとフーガ(BMW543)の、フーガの後半のある部分(ピアノのタッチで10にも満たない部分)に来ると、身震いするほどの感動を覚えたりするのは、まさしく筆者にしか分からない感覚ではないかと思うのです。
クリスマス・オラトリオにしてもこれらの曲にしても、聴き始めてから40年も経過してなおこうした発見を呼び起こす何かがバッハの音楽にはあるということが驚きです。筆者の場合、こうしたことは、例えばモーツアルトの音楽からは感じられません。(モーツアルトファンにはそれはそれであるのでしょう。)
それは一体何故か?というのが筆者の興味を惹くところですが、限られたバッハの音楽での経験からすると、自分の「生活・社会経験の累積過程」と、再生装置や演奏家を含めた「音楽表現の時代の変遷過程」が大きく関係しているのは確かなようです。
これらは文学や音楽そして絵画などを愛好する誰にも自然に訪れる訳ではなく、ある領域までは長い時間をかけての意識的な努力の積み上げがベースにあって、ふとした瞬間にいわば宇宙の摂理のようなものとして感じられるのではないかと思います。
そしてそうした経験をすると、もはやそれ以外の同種の作品に立ち戻ることはできないようです。クリスマス・オラトリオでいうとアーノンクールのそのSACD盤が、いわば筆者の中で「リファレンス」としての位置を占めてしまうという訳です。
この「リファレンス」(日本語で「参照」というのもピンとこないので、英語で我慢して下さい。)を、芸術だけでなく、経済や教育、あるいはスポーツや料理まであらゆる分野で幅広く獲得できていることが、その人間に幅と深みを付け加えるのではないかと思います。
ところがこの本で吉本は、「一芸に秀でた人に人格者は少ない」とも言っております。
このあたりの理由にも興味を持たれた方は、是非一読することをお勧めします。
吉本隆明 著「真贋」
講談社インターナショナル 2007年2月22日第1刷
(1600円)
これで年内最後のブログとなります。
皆様、良いお年をお迎え下さい。
昔、詩集「固有時との対話」に感じた時の硬質な文章とは対極の、まさに円熟した文体で淡々と綴るその文章は、あっという間に読了させる程、心地よいものでした。
この本の中から1つだけ、この老?思想家の非凡さを改めて思い知った物事の見方をご紹介します。
「批評眼について」という一節で、吉本は初期のころに書いていた詩をうまい詩ではなかったと自ら評し、その理由として、理屈っぽいところがあり、詩を書くと無意識に現れてくるべき問題があまり出てこないことが不満だった述懐しております。
しかし、その不満があったからこそ、他人の作品を見た時に、どこが悪いのかを見る批評眼が芽生えてきたと述べ、そして、次の文章につなげていきます。
「文句なしにいい作品というのは、そこに表現されている心の動きや人間関係というのが、俺だけにしかわからない、と読者に思わせる作品です。この人の書く、こういうことは俺だけにしかわからない、と思わせたら、それは第一級の作家だと思います。とてもシンプルな見分け方と言ってよいでしょう。」
これは小説のストーリー展開のある箇所が、自分にとってとても面白いというようなことではなく、「何かを感じさせる、言ってみれば、文体の表現的な価値」を感じさせるかどうかに、良い作品とそうでない作品の分かれ道があると吉本は言っております。
筆者が会社に勤め始めた若い頃に、ドストエフスキーの全作品を6ヶ月もかかりながらも読み通した時の経験ですが、最初はドストエフスキー独特の饒舌過ぎるほどの文体に辟易しながらも、読み続けるうちにその文体から段々と心地よい何かが感じられるようになって行きました。しかもそれが昂じていったのです。そのことがこの作家の膨大な作品に最後まで惹きつけられていった理由でした。しかし当時は、まだ若かったこともあるでしょうが、「俺しか分からない」といったことまでには行き着きませんでした。
ところが、この吉本の文章の慧眼ぶりを思い知らされたのが、バッハの音楽の世界からでした。昨日も昼間に手元のCDをあれこれ取り出して、今年の夏に更新したステレオ装置で聴いておりましたが、40年以上バッハを聴き込みながらも、その良さが今1つ分からなかった「クリスマス・オラトリオ」が、アーノンクールのSACD新盤の録音の良さもあるでしょうが、これは突如と言って良いかと思いますが、筆者の心に何かを感じさせるようになったのです。
その何かを言葉にするのは非常に困難ですが、強いて言うと、イエス・キリストの誕生という祝祭の陰に伏線として流れる受難の予感を、信仰の厚い人々の心に複雑に投射し、屈折した何かを感じさせる音楽、とでも言えるかと思います。
もっと卑近な例では、バッハのバイオリンソナタのある一節が非常な哀愁感を醸し出し、クルマを運転しながら聴いていても思わず涙することがあったり、プレリュードとフーガ(BMW543)の、フーガの後半のある部分(ピアノのタッチで10にも満たない部分)に来ると、身震いするほどの感動を覚えたりするのは、まさしく筆者にしか分からない感覚ではないかと思うのです。
クリスマス・オラトリオにしてもこれらの曲にしても、聴き始めてから40年も経過してなおこうした発見を呼び起こす何かがバッハの音楽にはあるということが驚きです。筆者の場合、こうしたことは、例えばモーツアルトの音楽からは感じられません。(モーツアルトファンにはそれはそれであるのでしょう。)
それは一体何故か?というのが筆者の興味を惹くところですが、限られたバッハの音楽での経験からすると、自分の「生活・社会経験の累積過程」と、再生装置や演奏家を含めた「音楽表現の時代の変遷過程」が大きく関係しているのは確かなようです。
これらは文学や音楽そして絵画などを愛好する誰にも自然に訪れる訳ではなく、ある領域までは長い時間をかけての意識的な努力の積み上げがベースにあって、ふとした瞬間にいわば宇宙の摂理のようなものとして感じられるのではないかと思います。
そしてそうした経験をすると、もはやそれ以外の同種の作品に立ち戻ることはできないようです。クリスマス・オラトリオでいうとアーノンクールのそのSACD盤が、いわば筆者の中で「リファレンス」としての位置を占めてしまうという訳です。
この「リファレンス」(日本語で「参照」というのもピンとこないので、英語で我慢して下さい。)を、芸術だけでなく、経済や教育、あるいはスポーツや料理まであらゆる分野で幅広く獲得できていることが、その人間に幅と深みを付け加えるのではないかと思います。
ところがこの本で吉本は、「一芸に秀でた人に人格者は少ない」とも言っております。
このあたりの理由にも興味を持たれた方は、是非一読することをお勧めします。
吉本隆明 著「真贋」
講談社インターナショナル 2007年2月22日第1刷
(1600円)
これで年内最後のブログとなります。
皆様、良いお年をお迎え下さい。