今日は以前から気にはなっていたことについて簡単な話題を1つ。
先日、「ガイアの夜明け」のTV番組だったと思うのですが、筆者もお会いしたことがある日本電産の永守社長が、M&Aの話になったとき、司会者から、日本ではなぜ敵対的買収がうまく行かないのか?と問われ、「日本人は農耕民族」ですから、とあっさり答えておりました。
この「農耕民族」か「狩猟民族」かの言質は、永守氏に限らず、何かにつけてよく使われます。日本人は農耕民族だから、狩猟民族の西洋人と比べて、人々の和を尊ぶ精神がある、といったことを強調する際に用いられるようです。
しかし、筆者はこの言い方にずっと違和感を持っておりました。従って、自分ではこうした言い方は注意深く避けてきたつもりです。
理由の1つは、こうした「二項対立」の図式で説明することへの反発です。二項対立とは、いわば世の現象を2つに分けて解釈することです。敵か味方か、善か悪か、賛成か反対か、といったようにですね。
この思考方法の延長線上に「農耕民族」か「狩猟民族」かという言い方もあるようです。しかし、よく考えてみると、なぜ、日本人は「狩猟民族ではなかった」のでしょうか?
約13万年前にこの地球に出現したと言われている原生人類(ホモサピエンス)は、2万年ほど前の後期旧石器時代に、日本でもナイフ型の石器が使われるようになりました。
この石器はいうまでもなく、その当時の人々が大型の哺乳動物である、マンモスやトナカイ、バイソンといった動物を「狩猟」して食するためのものでした。ところがご多分にもれず乱獲と気候変動により、こうした大型の哺乳動物が激減してしまったのです。となると、日本に住んでいた旧石器時代の人々も、大型哺乳動物以外に栄養源を求めざるを得なくなりました。魚介類や雑穀を食べる生活が始まり、いわゆる新石器時代へと移行していったのですね。
こうした歴史を見るとき、何故、「日本人は農耕民族」と言い切れるのでしょうか?人類はどこでも生き延びるために、最初は狩猟でその後はやむを得ない形で漁労や農耕もしながら、いわば気候変動などに抗してきたのです。
では、永守氏が言いたかったであろう、日本人特有の「和」を大事にする精神は一体どこに起源があるのでしょう。この長年の筆者の疑問が一気に氷解する本に最近出会いました。
DNA多型分析なる手法を用いて日本人の起源を探る本です。母系を引き継ぐミトコンドリア分析もこの手法の1つですが、長期にわたるタイムスパンでの分析では、最近の研究によると、Y染色体分析が最適であることが分かったそうなのです。
このY染色体は大きく下記の5つの系統に分けられます。
・A系統(アフリカに固有)
・B系統(アフリカに固有)
・C系統(出アフリカの第一グループ)
・DE系統(出アフリカの第二グループ)
・FR系統(出アフリカの第三グループ)
最後のFR系統は更に亜型分化し、G、H、I、J、L、M、N、O、Q、Rに分かれるようです。
ここで面白いことに、日本列島におけるY染色体亜型分布の特徴は、出アフリカの3系統のいずれにも由来するC系統、D系統、N系統、O系統の4つの系統が共存していることにあります。
この出アフリカの3系統の末裔が日本列島に今でも認められることは、歴史上の不思議であるとこの本の著者は言っております。
そこで本題に入りますが、なぜこのように3系統の末裔が共存できたのかですが、第一に気候的な要因(温暖で降雨量が多く、狩猟だけでなく雑穀などの豊富な栄養源の確保が出来た)、第二に日本列島の周からプランクトン豊かな海から魚介類が獲れたこと、第三にこうした豊かな環境要因が、低い人口密度であれば大きな争いを人々がすることなく生存を可能にしたこと、そして第四に、これが一番重要なことですが、弥生時代以降にユーラシア大陸から数次にわたって農耕や金属器などの新技術を日本列島に持ち込んだ人々と、先住系の人々との平和共存があったこと。この4つの要因がありました。
この人類の歴史上希有な、出アフリカの3系統が混合しているのが、我々日本人(この言い方も実は変です。「日本人という人種」は、上記の説明で、明らかに存在しないことはお分かりかと思います。)という訳ですね。
実は、筆者もこの本を読むまでは、「モンゴロイド」や「コーカソイド」といった一般的な分類から、日本列島に流入した人々を分けておりました。これは、科学的にはあまりに粗雑な分類であり、間違いだったということになります。
日本人が敵対的なM&Aになじまないばかりか、身近なご近所とのつきあいでも、会社内での仲間とのやりとりでも、相手を論駁し尽くすことなく、いわば寛容の精神で何とかうまく融和して仲良くやっていこうとする「性向」は、こうした混交したDNA多型分析での血統があったという訳です。
もう1つ、これに絡んで疑問があります。
皆さんは、世界でも日本人とポリネシアの一部の人々だけが、虫の鳴き声や川のせせらぎの音を、言語を司る左脳で聞くため、芭蕉の俳句になるほどの芸術性までにそれらを高めていることをご存じでしょうか?
それ以外の世界の人々は、虫の鳴き声を右脳で聞いているため、雑音としか聞こえていないことは、角田忠信という人が随分と昔に発見した面白い話です。
確信は全くありませんが、この虫の鳴き声を左脳で聞くというのも、出アフリカの3系統の血統が混じり合った「成果」の1つではないかと思うのです。
今日言いたかったことは、貧困問題や環境問題の解決や、先端技術開発や高度な芸術の創造等何でもそうですが、様々な考えを持つ人々が集まって、いわばバフチンの言う、「異種混交のポリフォニー」が、大げさに言うとこれからの世界を救うのではないかと思います。そのための「血統的」な裏付けを日本人は持っていることを、もう少し自覚し直したらどうかということです。田原総一朗ばりの、あれかこれかを迫る「二項対立」のギスギスした世界が、これまでどれほど悲惨な歴史を繰り返して来たことか。
先日、「ガイアの夜明け」のTV番組だったと思うのですが、筆者もお会いしたことがある日本電産の永守社長が、M&Aの話になったとき、司会者から、日本ではなぜ敵対的買収がうまく行かないのか?と問われ、「日本人は農耕民族」ですから、とあっさり答えておりました。
この「農耕民族」か「狩猟民族」かの言質は、永守氏に限らず、何かにつけてよく使われます。日本人は農耕民族だから、狩猟民族の西洋人と比べて、人々の和を尊ぶ精神がある、といったことを強調する際に用いられるようです。
しかし、筆者はこの言い方にずっと違和感を持っておりました。従って、自分ではこうした言い方は注意深く避けてきたつもりです。
理由の1つは、こうした「二項対立」の図式で説明することへの反発です。二項対立とは、いわば世の現象を2つに分けて解釈することです。敵か味方か、善か悪か、賛成か反対か、といったようにですね。
この思考方法の延長線上に「農耕民族」か「狩猟民族」かという言い方もあるようです。しかし、よく考えてみると、なぜ、日本人は「狩猟民族ではなかった」のでしょうか?
約13万年前にこの地球に出現したと言われている原生人類(ホモサピエンス)は、2万年ほど前の後期旧石器時代に、日本でもナイフ型の石器が使われるようになりました。
この石器はいうまでもなく、その当時の人々が大型の哺乳動物である、マンモスやトナカイ、バイソンといった動物を「狩猟」して食するためのものでした。ところがご多分にもれず乱獲と気候変動により、こうした大型の哺乳動物が激減してしまったのです。となると、日本に住んでいた旧石器時代の人々も、大型哺乳動物以外に栄養源を求めざるを得なくなりました。魚介類や雑穀を食べる生活が始まり、いわゆる新石器時代へと移行していったのですね。
こうした歴史を見るとき、何故、「日本人は農耕民族」と言い切れるのでしょうか?人類はどこでも生き延びるために、最初は狩猟でその後はやむを得ない形で漁労や農耕もしながら、いわば気候変動などに抗してきたのです。
では、永守氏が言いたかったであろう、日本人特有の「和」を大事にする精神は一体どこに起源があるのでしょう。この長年の筆者の疑問が一気に氷解する本に最近出会いました。
DNA多型分析なる手法を用いて日本人の起源を探る本です。母系を引き継ぐミトコンドリア分析もこの手法の1つですが、長期にわたるタイムスパンでの分析では、最近の研究によると、Y染色体分析が最適であることが分かったそうなのです。
このY染色体は大きく下記の5つの系統に分けられます。
・A系統(アフリカに固有)
・B系統(アフリカに固有)
・C系統(出アフリカの第一グループ)
・DE系統(出アフリカの第二グループ)
・FR系統(出アフリカの第三グループ)
最後のFR系統は更に亜型分化し、G、H、I、J、L、M、N、O、Q、Rに分かれるようです。
ここで面白いことに、日本列島におけるY染色体亜型分布の特徴は、出アフリカの3系統のいずれにも由来するC系統、D系統、N系統、O系統の4つの系統が共存していることにあります。
この出アフリカの3系統の末裔が日本列島に今でも認められることは、歴史上の不思議であるとこの本の著者は言っております。
そこで本題に入りますが、なぜこのように3系統の末裔が共存できたのかですが、第一に気候的な要因(温暖で降雨量が多く、狩猟だけでなく雑穀などの豊富な栄養源の確保が出来た)、第二に日本列島の周からプランクトン豊かな海から魚介類が獲れたこと、第三にこうした豊かな環境要因が、低い人口密度であれば大きな争いを人々がすることなく生存を可能にしたこと、そして第四に、これが一番重要なことですが、弥生時代以降にユーラシア大陸から数次にわたって農耕や金属器などの新技術を日本列島に持ち込んだ人々と、先住系の人々との平和共存があったこと。この4つの要因がありました。
この人類の歴史上希有な、出アフリカの3系統が混合しているのが、我々日本人(この言い方も実は変です。「日本人という人種」は、上記の説明で、明らかに存在しないことはお分かりかと思います。)という訳ですね。
実は、筆者もこの本を読むまでは、「モンゴロイド」や「コーカソイド」といった一般的な分類から、日本列島に流入した人々を分けておりました。これは、科学的にはあまりに粗雑な分類であり、間違いだったということになります。
日本人が敵対的なM&Aになじまないばかりか、身近なご近所とのつきあいでも、会社内での仲間とのやりとりでも、相手を論駁し尽くすことなく、いわば寛容の精神で何とかうまく融和して仲良くやっていこうとする「性向」は、こうした混交したDNA多型分析での血統があったという訳です。
もう1つ、これに絡んで疑問があります。
皆さんは、世界でも日本人とポリネシアの一部の人々だけが、虫の鳴き声や川のせせらぎの音を、言語を司る左脳で聞くため、芭蕉の俳句になるほどの芸術性までにそれらを高めていることをご存じでしょうか?
それ以外の世界の人々は、虫の鳴き声を右脳で聞いているため、雑音としか聞こえていないことは、角田忠信という人が随分と昔に発見した面白い話です。
確信は全くありませんが、この虫の鳴き声を左脳で聞くというのも、出アフリカの3系統の血統が混じり合った「成果」の1つではないかと思うのです。
今日言いたかったことは、貧困問題や環境問題の解決や、先端技術開発や高度な芸術の創造等何でもそうですが、様々な考えを持つ人々が集まって、いわばバフチンの言う、「異種混交のポリフォニー」が、大げさに言うとこれからの世界を救うのではないかと思います。そのための「血統的」な裏付けを日本人は持っていることを、もう少し自覚し直したらどうかということです。田原総一朗ばりの、あれかこれかを迫る「二項対立」のギスギスした世界が、これまでどれほど悲惨な歴史を繰り返して来たことか。