勢古浩爾さんの「生きていくのに大切な言葉 吉本隆明74語」からの、「価値ある存在」、今日で最終回です。そろそろ筆者の言いたいこともなくなってきました。今日はその最後にふさわしい老いと死に関する随想です。青字は吉本隆明の文章。赤字は勢古さんの文章。黒字は筆者の感想です。
「憂鬱で憂鬱でしょうがないというのが老人」(『ひきこもれ』)
「朗らかな老人なんてこの世にいるわけがないと、ぼくは思っています。でも、そんな人が文筆家にもエディターにもいることを知り、仰天してしまいました。まじめに働いた人か、家に恒産がある人にちがいありません。ぼくなどには縁遠い人です。戦争時代みたいに戦争にはひっからないし、命の心配はないし、いまほど楽しい時期はない、などと言う老人がたまにいますが、ぼくにはとても信じられない。」(同書)
ここにも、高見に立って世の中を見下ろさない吉本の視点があります。つまり、勢古さんも言っている「世間の一番下まで届く言葉」なのですね。退職後は第二の人生を謳歌しなければといって、日本百名山に登ったり、社交ダンスをしたり、地域活動をしたり、国内・海外旅行をしたり、下手な絵や俳句をたしなんだり、といったことをやらないと損だとばかりに活動的な中高年があまりに多いようです。それはそれでご自由ではありますが、そのような方々も、そのうち足腰が立たなくなり、そうしたことが段々とできなくなっていく訳です。その時、そうなった時の自分、また現にそうなっている他の老人を、十把一絡げで不幸な老人と位置づけることでしょう。このシリーズの第4回で吉本が言っておりますが、
「人間の生活には幸福な生涯も不幸な生涯もないものでしょう。」(『遺書』)
単純ですが、何故かこの言葉が強く印象づけられております。この言葉の理解には、「世の中一般の尺度で考えては」という修飾語を頭に付けた方が良さそうです。筆者自身の短い人生を振り返っても、その時々の生活でお金がなく苦しんだり、人間関係がうまくいかなかったり、愚妻に罵倒され落ち込んだり、と断片的な「不幸」は間断なくありました。同じ意味で断片的な「幸福」もありました。
上記の吉本の言葉を、「幸福」という例でちょっと考えてみましょう。例えば仕事に追われている年齢での、もしくは退職後の海外旅行。行く前のある種のわくわく感は確かにあります。それも最初の1-2回だけですが。そして、行ってみるとその地での目新しいけれども、変哲もない彼の地での「日常」も待っているのを発見します。旅行中ずっと高揚したわくわく感に充ち満ちている訳ではありません。しかし、帰国してから何年か経ってから、その旅全体をほのぼのとした気持ちで思い出す時があります。そうした時ちょっと「幸福」な気分になるものですね。ここにポイントがありそうです。自分の生きた一コマを後から追想するとき、ふと感じる幸福感のようなもの、いや後から追想しなくても、その生きている瞬間に感じる幸福感のようなもの、逆の不幸感のようなもの、ここにこそ、「幸福な生涯も不幸な生涯もないものでしょう。」という吉本の言葉の原点があるような気がします。
テレビでやっている世界遺産巡りの番組を見ても、映像は確かにきれいに再現はされているのですが、果たして、何年かしてほのぼのと思い出すことがあるでしょうか。決してありません。その場所での「生活のストーリー」が抜けているからです。生活のストーリーと書きましたが、何もストーりーらしいストーリーなどなくっても、人はそれぞれの生活を日々送っているわけです。その日を生きるという点で、その仕方に上下関係などある訳ありません。すると、吉本も言っている次のような言葉が老人のみならず、若い人にとっても、「憂鬱」な気分を解消するのに役立つでしょう。
「幸・不幸とかも、長く大きくとらないで、短く、小さなことでも、一日の中でも移り変わりがあるんだよと小刻みにとらえて、大きな幸せとか大きな不幸というふうには考えない。(略)そういうふうに大きさを切り刻むこと、時間を細かく刻んで、その都度良い気分だったら幸福と思い、悪い気分だったら不幸だと思う。(『幸福論』)
人は誰でも良い気分を沢山増やしたいと考えますね。そのためには、生きていくことにおいての持続力がどうしても必要です。山登りに喩えてみましょう。雨が降っている山麓から数時間かけて苦しい道程を登り続けるうちに、段々と視界が開けて、精根尽きて山頂に行き着いたら見渡す限りの晴れわたった素晴らしいパノラマが見えた、こうした人生を誰もが望んでいるわけでしょうが、このような長い道程で幸・不幸を考えるのではなく、山麓で雨露に濡れて、普段と有様を異にする蜘蛛の巣や、途中の山道で雲間からのぞく弱々しくも神々しいような太陽の日差し、もちろん、道端に咲く名も知らぬ草や木々の微細な変化といったものに、人は意外と心を打たれることがあります。そのためには、1ヶ所に留まっていては見えるものも見えません。感じるものも感じることができません。
しかし、どのように生きようとも、人は、年をとって1ヶ所に留まって生きなければいけない事態にいずれはなります。その時、次の吉本の言葉のように言えればこの上ない人生かも知れません。
「(老夫婦が)二人で生活していて、二人とも足腰がおぼつかなくなって、日常生活を送るのも大変だ、経済的にも苦しいとなって、「これ以上二人で頑張っても」ということになって心中するなんて、大理想とは言いませんが、理想的な男女のように思えるのです」(『遺書』)
「憂鬱で憂鬱でしょうがないというのが老人」(『ひきこもれ』)
「朗らかな老人なんてこの世にいるわけがないと、ぼくは思っています。でも、そんな人が文筆家にもエディターにもいることを知り、仰天してしまいました。まじめに働いた人か、家に恒産がある人にちがいありません。ぼくなどには縁遠い人です。戦争時代みたいに戦争にはひっからないし、命の心配はないし、いまほど楽しい時期はない、などと言う老人がたまにいますが、ぼくにはとても信じられない。」(同書)
ここにも、高見に立って世の中を見下ろさない吉本の視点があります。つまり、勢古さんも言っている「世間の一番下まで届く言葉」なのですね。退職後は第二の人生を謳歌しなければといって、日本百名山に登ったり、社交ダンスをしたり、地域活動をしたり、国内・海外旅行をしたり、下手な絵や俳句をたしなんだり、といったことをやらないと損だとばかりに活動的な中高年があまりに多いようです。それはそれでご自由ではありますが、そのような方々も、そのうち足腰が立たなくなり、そうしたことが段々とできなくなっていく訳です。その時、そうなった時の自分、また現にそうなっている他の老人を、十把一絡げで不幸な老人と位置づけることでしょう。このシリーズの第4回で吉本が言っておりますが、
「人間の生活には幸福な生涯も不幸な生涯もないものでしょう。」(『遺書』)
単純ですが、何故かこの言葉が強く印象づけられております。この言葉の理解には、「世の中一般の尺度で考えては」という修飾語を頭に付けた方が良さそうです。筆者自身の短い人生を振り返っても、その時々の生活でお金がなく苦しんだり、人間関係がうまくいかなかったり、愚妻に罵倒され落ち込んだり、と断片的な「不幸」は間断なくありました。同じ意味で断片的な「幸福」もありました。
上記の吉本の言葉を、「幸福」という例でちょっと考えてみましょう。例えば仕事に追われている年齢での、もしくは退職後の海外旅行。行く前のある種のわくわく感は確かにあります。それも最初の1-2回だけですが。そして、行ってみるとその地での目新しいけれども、変哲もない彼の地での「日常」も待っているのを発見します。旅行中ずっと高揚したわくわく感に充ち満ちている訳ではありません。しかし、帰国してから何年か経ってから、その旅全体をほのぼのとした気持ちで思い出す時があります。そうした時ちょっと「幸福」な気分になるものですね。ここにポイントがありそうです。自分の生きた一コマを後から追想するとき、ふと感じる幸福感のようなもの、いや後から追想しなくても、その生きている瞬間に感じる幸福感のようなもの、逆の不幸感のようなもの、ここにこそ、「幸福な生涯も不幸な生涯もないものでしょう。」という吉本の言葉の原点があるような気がします。
テレビでやっている世界遺産巡りの番組を見ても、映像は確かにきれいに再現はされているのですが、果たして、何年かしてほのぼのと思い出すことがあるでしょうか。決してありません。その場所での「生活のストーリー」が抜けているからです。生活のストーリーと書きましたが、何もストーりーらしいストーリーなどなくっても、人はそれぞれの生活を日々送っているわけです。その日を生きるという点で、その仕方に上下関係などある訳ありません。すると、吉本も言っている次のような言葉が老人のみならず、若い人にとっても、「憂鬱」な気分を解消するのに役立つでしょう。
「幸・不幸とかも、長く大きくとらないで、短く、小さなことでも、一日の中でも移り変わりがあるんだよと小刻みにとらえて、大きな幸せとか大きな不幸というふうには考えない。(略)そういうふうに大きさを切り刻むこと、時間を細かく刻んで、その都度良い気分だったら幸福と思い、悪い気分だったら不幸だと思う。(『幸福論』)
人は誰でも良い気分を沢山増やしたいと考えますね。そのためには、生きていくことにおいての持続力がどうしても必要です。山登りに喩えてみましょう。雨が降っている山麓から数時間かけて苦しい道程を登り続けるうちに、段々と視界が開けて、精根尽きて山頂に行き着いたら見渡す限りの晴れわたった素晴らしいパノラマが見えた、こうした人生を誰もが望んでいるわけでしょうが、このような長い道程で幸・不幸を考えるのではなく、山麓で雨露に濡れて、普段と有様を異にする蜘蛛の巣や、途中の山道で雲間からのぞく弱々しくも神々しいような太陽の日差し、もちろん、道端に咲く名も知らぬ草や木々の微細な変化といったものに、人は意外と心を打たれることがあります。そのためには、1ヶ所に留まっていては見えるものも見えません。感じるものも感じることができません。
しかし、どのように生きようとも、人は、年をとって1ヶ所に留まって生きなければいけない事態にいずれはなります。その時、次の吉本の言葉のように言えればこの上ない人生かも知れません。
「(老夫婦が)二人で生活していて、二人とも足腰がおぼつかなくなって、日常生活を送るのも大変だ、経済的にも苦しいとなって、「これ以上二人で頑張っても」ということになって心中するなんて、大理想とは言いませんが、理想的な男女のように思えるのです」(『遺書』)