УРАЧКА!!

雑文・駄文なお気楽日記です。よろしゅーに。

レオナール・フジタとパリ

2013-05-19 10:58:13 | 日記
↑ 甲府市にて


いつも行っている、川辺の土手のお散歩コース、この通りすがりの家にいた馴染みのわんこ、くーさん(←と、勝手に命名)が、亡くなってしまいました・・・
千波君と川の土手の上を散歩していて、その土手沿いの下のお宅の庭(というかコンクリート打ちの駐車場)で外飼い状態の日本犬系MIXのオスだったんだけど
最初出会った時は、もうすでに大人犬で、よく吠える犬でして、千波が通るとかなり間に距離があるにも関わらず、盛大に吠えまくってくれていました^_^;
で、時は過ぎ・・・
「歯のためには、堅めなオヤツを与えて歯石を防止しましょう!!」って事で、堅いハード系の犬用オヤツを買ったんだな
とーころが、千波君は、
「堅いモノは食べ物じゃありませんん」というタイプの犬なんで、無視・・・
グリ○ーズでさえも、「食べ物」と判断しない犬ですので・・・
で、余ってしまった、困った、勿体無い・・・
ってわけで、散歩ついでにこっそり、くーさんに差し入れする事に
すると、あっという間にくーさんはこっちを認識してくれまして、その後は吠える事は全く無くなった・・・んじゃなくて、吠えるんだけど、「警戒」で吠えるんじゃなくて「催促」で吠えるようになってしまった^_^;
で、その後は、くーさんへの差し入れ用に、ハードタイプの犬ガムやらジャーキーやらを買って、散歩の時に差し入れておりました
くーさんおやつ用の、専用タッパーも用意しました
なぜなら、おやつを袋のまま犬お散歩バックに入れとくと、万年欠食ネコのおめが君が、チェックしてあっという間に引き釣り出してくれるからです(でも、さすがに食いはしない、歯型が残るのみ・・・)
で、ここ数カ月で急にくーさん、足腰が弱くなって痩せてきて、フラフラしてたんですが、相変わらずの外暮らしで、コンクリの上に横に伸びている事が多くなりました
呼んでも反応しないし、フラフラしながら起きてくるのが可哀想なので、おやつも止めて遠くから見守るだけにしてましたが
そして、昨日からついに姿が見えなくなって・・・
確認するのがなんとなくイヤだったけど、今日、近くまでよってみたけどやはり、もうくーさんはいなかったT^T
くーさんがつながれていた鎖だけが残されていました・・・
くーさん、いつもハーネスつけられっぱなしで、抜け毛が体にカーペットの切れ端みたいにくっつきっぱなしで、うん○がいつも周りに転がっていた(朝一回、除去はしていたらしい)感じで・・・
どうだったのかなぁ〜・・・と思うところはありますが、どうか天国で元気にワンワン吠えまくっていて下さい

で、昨日ですが、静岡市美術館に「レオナール・フジタとパリ」展を見に行ってきました

 
相変わらず、「すみません、全然知らなかったです、このお方」状態で見に行きました
副題が「パリを震わせた異邦人-裸婦と猫の画家・素晴らしき乳白色」ってついてますが・・・
ネコ、あんまりいなかった〜っ!!!(←って、そこかい)
いや、売店で売られていた彼の画のポストカードとかは結構、猫題材が多いんだけど、生の絵画として猫が出てたのは、4点くらいでした、あと、チワワが1点・・・
なーんか、悔しい(?)ので、売店で、ネコグッズを買ってしまった私です^_^;



ハッ、もしかして、それが「作戦」だったのかっ!?
左上の黄色の箱は、ハチミツキャンディで、岩合光昭氏のネコ写真パッケージで、中にも彼撮影のネコカードが封入されております
イタリア産ハチミツ100%使用、というキャンディで、まーとにかく、まさしく「ハチミツ」そのもの!!という感じです
普通に売られているハチミツキャンディが、ハチミツ80%砂糖20&という感じの甘さだとすると、このキャンディは100%ハチミツの甘さ!!という感じのキャンディでございました

で、レオナール・フジタの方に話を戻すと・・・
彼は明治時代の日本人で、20代でフランスに渡り、絵画の勉強をする、そして西洋画技法と日本画技法を組み合わせた独自の路線を開拓し、パリで大成功を収め、当時パリで流行していた「エコールドパリ」の寵児となる・・・
という感じの方ですな
ポスターの絵、乳白色ベースが彼の路線、という感じでございます
で、彼に限らず、ピカソでもゴッホでも、セザンヌでも、なんとなく見た瞬間に「あー、ピカソの絵だなぁ」みたいに=その人の絵、って判る色というか特色があるケースが多いんですが、それってその絵とか作品は、彼の人生の中での一瞬を切り取った「点」に過ぎないんだよなぁ、という感じ
こうだからピカソだ、こうだからルノワールだ、じゃなくて、誰でもどんな画家でもいろんな試行錯誤を経て、あるときは模写し、模倣し、その中でいろんな過去・現在の画家達の表現とかを自分の中に蓄積していって、それをブレンドして、いつしかその中から「ピカソと言ったらこういう感じ」と言えるような、その人独自的な代表作的な絵が生まれているんだなぁ、と実感しましたねぇ
レオナール・フジタを「点」ではなく、「線」彼の人生の中で生まれてくる絵を時代と共に見ていった、という感じでした
彼も、結構画風が変わっていて、普通に(?)油彩画的な作品もあり、そのうちに油彩画の画材で日本画風の色の使い方、構図、とかで描くようになり、さらにキュビズム的になったりとか、いろいろ変遷を経て、代表作である乳白色を下地に使った裸婦像となり・・・
あ、その乳白色裸婦のちょっと前の時代の、子供を描いていた一連作品、やはり白ベース系なんだけど子供の目の周りがクマっぽくなってて、あーなんかティム・バートンみたいっ!!と思った私です(笑)
さらに、晩年に向かうと、ちょっとマンガ風と言っていいのかわからんが^_^;アート系なコミック調な画風になってきて、最後期は宗教画だったようだけど、その絵は、どこか「マンガで読む偉人伝」でありそうな画風になっていた、というか(←怒られそうだなぁ^_^;)
あとは、芸術家にはやはり「恋愛」が欠かせない、特に激しい系恋愛が欠かせないんだなぁ、という事かな?
彼にもミューズとでも呼べるような女性が数名いたわけだけど、いずれもあんまり長続きせず・・・
貧乏時代を援助してくれた女性がいながら、別の美女と・・・っていうのもよくあるよねぇ、芸術家って
素晴らしい芸術が生まれるエネルギーとなりうる恋愛って、やはりそーいうもんなのかもねぇ
こーいう芸術の糧となるような感情の高ぶりは、安定よりも爆発や変化が重要なんだろうなぁ、と思った次第ですな
で、芸術家のイメージって、わりと孤高の人、人嫌い、非社交的っていう感じを持つけど、このレオナール・フジタさんは社交的で明るくて、人懐こく、人気者だったそうです
髪型とか服装とかも独自のスタイルで、社交界でももてはやさていたそうな
きっと、「世間は自分の何を必要としているのか?」をよく察知していて、それを世間が満足するように提供できるセンスを持った、タレント的要素を持った人でもあったんだろうな、と思いました
今の、芸能人っていうかいわゆるタレントって言うと、まーなんであーですが(爆)本来、タレントっていう意味は「特殊才能がある人」っていう意味なんだそうで(だと思ったけど)その本来の意味での「タレント」の名に相応しい人だったんだろうなぁ、と
あと、非公式に描いた当時の有名画家(自身とも交流があった人々)の画風を真似て描いた一連の作品とかも面白かったです
自身のスタイルを模索しつつも、いろんなエッセンスを吸収する事に貪欲であった一面も見えたようで
彼が主に活躍したのは、第一次世界大戦前後から第二次世界大戦前、あたりになるのかな?
同時期に活躍した、エコールドパリの寵児たちも数名が(判ってるだけでだろうけど)ナチスドイツの犠牲になっている、というところがT^T
で、ネコの絵があまりなかった、っていうのは、今回の展示会の作品出展元がわりと「個人蔵」のモノが多いからなのかもなぁ、と思ったりして
本場(?)の美術館とかで保管されている彼の絵には、もっとネコが描かれている事が多いので、一般的イメージとしては、裸婦とネコ、になったのかもなぁ〜
まぁ、レオナール・フジダという人を研究(?)するには、そういう未公開的な作品を見られる方がいいんだろうけどね〜
あ、そーいや以前、岩合光昭氏の「ネコ」写真展を開催した三島市の佐野美術館、改装のため閉館中だったけどそろそろ再開で、夏休み期間は、岩合氏の「イヌ」写真展をやるそうな〜
多分、シバとか日本犬メインだろうが(そして、狆がいる率は低そう・・・)見に行きたいなぁ
そーいや、狆と言えば、昨日千波君のフィラリア薬をもらいに獣医さんに行ったら、診察台の上に真っ白なペギニースがいて(シーズーよりも体格よくて毛並みがストレートヘアなのが違い)これから点滴されるところだったんですが・・・
針刺すために前足をとられても、ぼーっとして抵抗せず、針をチックリされても反応変わらず
でも、歯の掃除をされようとすると、地味に頑固に拒否している(体は動かさずに顔だけそっぽを向く)のが印象的でしたな^_^;
あー、やはり、狆と似ている(爆)
「動物のお医者さん」で例えると、きっと菱沼さんタイプ!!(爆)
コメント
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