なんか、久しぶりにMrドー●ツ食べたら、ゲロ甘かった・・・でも、食った(笑)
で、昨日ですが、これ見てしまいました。
映画『エベレスト 3D』 特報 Everest Japanese Trailer (2015) HD
ちゃんと3Dでみたよ、吹き替えだけど、っていうか吹き替えしか無かったんだけどね。
で、少し前にも書いたんだけど、私は実はこーいう登山映画、特に冬山登山映画ってあんまり得意というか、好んで見る方ではない・・・
っていうのは、死亡率が高いのが最初からわかってるのと、その死を盛り立てるために結構演出がわざとらしくなりがちな事。(ザイル切りとかね)
っていうわけなんですが、この映画の場合は実際の事例が元ネタである、っていうのと撮影がかなり気合入ってたらしい、っていうあたりから見に行ってきました。
結論からいいますと、心配していた(?)感動盛り上げ的な、そーいう悲劇な泣かせシーン的演出はほとんとありませーんでした。
が、これは反面、ドラマチックではない、とも言えるわけだ。
=淡々としている、盛り上がりに欠ける、とも取れるわけですね、見る人によっては。
この映画は、かなり映画そのものよりも、観る側の観点によって感想は異なってくると思います。
さっき上げた、盛り上がりがない、っていうのが=わざとらしくない、自然、ドキュメンタリータッチでよい、って取る人と、=盛り上がらない、面白くない、っていう感じにも取れるわけでございます。
私は、冬山の盛り上げ死亡事件的なヤツがあんまり好きじゃないので、どちらかというとこの映画は好きな方です。
が、あんまり面白くないっていう人の気持ちもわかる^_^;
なにせ、冬山重装備の男(一部女性)がゴロゴロしてるので、見分けがつきにくいんですよ、キャラクターの。
普通の映画、ドラマ的ならもっとキャラに感情移入させるためにその1人かある程度しぼったメインキャラの描写をもっと掘り下げてわかりやすくさせるんだろうけど、この映画はあまりその手法は取っていない、というかかなり少ない。
なので、その人の背景とかは一部、ほんの一瞬語られているっていう感じなんだよね。
なので、感情移入しにくくて、その人への思い入れがあまりしにくい、っていうのはあると思う。
でも、これが現実世界とみれば、エベレストに登るというツアーに参加した人々、その1人として自分が参加していると考えたら・・・
自分以外の参加者に関して、いちいちその生い立ちからその後の人生まで、その人の背負ってるものまで、わざわざ掘り下げて知るというか、知る機会があるか?と思うんだねぇ。
雑談の中で、ちょこっと語る機会があれば、それがその全てだと思うんだよね。
この映画もそういう感じで、回想シーンとかそういうのが極端に少ない(こういう映画にしては)
なので、より観客はドラマというよりも自分がその場にいる、参加しているドキュメンタリー的な見方を求められると思うんですな。
で、そうなると、見る側によってかなり思い入れとかが異なってくるわけでございます。
きっと、好きで(←これが重要)山に登ってた、登った経験のある人とそれがない人では、そのポテンシャルというか感想の基本がまるっきり異なってくると思うのですね。
この映画は、1996年に実際に起こったエベレスト大量遭難事故を描いているのですが、今までの山岳遭難系映画だと、もうあきらかにダメダメな考え方の人が無謀に手軽な気分で山に登る事で、その人や巻き込まれた周囲の人が危機に陥る的なお約束的展開があって、見ている側はその無謀なヤツが悪い、この人だから悪い的な見方でそれはそれでお手軽で娯楽的映画としてよしだと思う。
でも、この映画では・・・
街とか普通の社会では、当然あり、というか、多少誰でもあるでしょ、的な甘えまではいかないけど、優柔不断さ、とかそういうのがてきめんに=死につながってしまうんだよね。
前年に頂上まで登れなかった男性、しかもプロではなく私たちと同じく一般社会人で毎日毎日、この日を夢見て真面目に働いてお金を貯めて、休みの日は地道にトレーニングを重ねて、ようやくこの日を迎えた!
となれば、それは「夢が叶う日」であり、そこは多少無茶、体力的時間的な無茶とか無理をしてもその「夢」を成し遂げたくなるのが人間だと思う。
それが愚かとか、無謀とかは誰にも言えないし、多分それが日常世界だったら美談、いい話感動話になると思うんだな。
そして、それを助けたいと思う人がいたら、その人は分類的に(?)よい人、優しい人と賞賛されるのではないだろうか?
でも、その舞台が8000m級の山の上であったら・・・
私たちの日常の感覚、常識とは全く異なる、自分の足で歩けない人は置いていくしかない、自分の足で動けねば置き去りになりそのまま凍死するのが常識、という世界なんだよね。
そこに「夢」を成し遂げるためには何をも犠牲にしちゃう、的な人間的な美談というかそーいう思いは全く通用しないのだ。
山は山であって、吹雪の時は吹雪くのみ、天気が良ければ美しく、それは人間とは全く関係ない次元、いってみれば「神」の領域なんだろうね。
その領域で、人間的ドラマ、感動とかを求める方がなんか違ってるんじゃないかな?と、この映画を見て思った。
盛り上がりに欠ける、ドラマチックじゃない、っていうのは「あえてそうしていない」という事なんだろうと思います。
それにしても、「夢」とか「夢を追い求める」とかっていい事というか、素晴らしい事、賞賛される事的な捉え方が多いけど(80歳超えでエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎氏とかね)反面、「夢を叶える」という事は、執着、妄執にもつながり冷静な判断を鈍らせて結果、こういう場所では命を失う事にもなるんだねぇ、と思いました。
「夢を叶える」事は素晴らしいけど、きっとそれは結果として達成できたから素晴らしいというだけではなく、との途中の過程こそが素晴らしいのだと思う。
達成できなかったからといって、だから全てが無駄、ダメだった、というわけではない、結果が全てではない、とは思うんだけど、やはり世間的には「結果」が求められるわけでして・・・
この映画でも、そういった結果が求められる、結果が出ればお金とか名声とか、そういうものと絡むだけに、引くに引けない、引きにくい状況になった、とも言えますね。
それにしても、あの高度であの寒さでハシゴとかロープとか・・・
絶対、やりたくねぇ~っ!!!!と、つくづく思いました(笑)
いや、エベレストだけじゃなくて、冬山、雪山登山も私はヤダなぁ~^_^;;
結果的に雪山になっちゃった例はあるけどさ^_^;
と、まぁ、見ていて辛い映画でございますが、なにせ結構前情報というかこの実際の遭難事件の全容を結構前もって知ってしまっていたので、この人は死亡フラグが・・・とかっていうのが前もって分かっちゃってるからねぇ・・・
しかし、唯一の女性、しかも日本人で参加していた康子さんが、ボロボロになりながらも山頂にたどり着いて、日の丸を山頂に挿していたシーンはかなりジーンとしましたねぇ・・・
まぁ、その後知っちゃってるから、かも、ですがT^T
で、昨日ですが、これ見てしまいました。
映画『エベレスト 3D』 特報 Everest Japanese Trailer (2015) HD
ちゃんと3Dでみたよ、吹き替えだけど、っていうか吹き替えしか無かったんだけどね。
で、少し前にも書いたんだけど、私は実はこーいう登山映画、特に冬山登山映画ってあんまり得意というか、好んで見る方ではない・・・
っていうのは、死亡率が高いのが最初からわかってるのと、その死を盛り立てるために結構演出がわざとらしくなりがちな事。(ザイル切りとかね)
っていうわけなんですが、この映画の場合は実際の事例が元ネタである、っていうのと撮影がかなり気合入ってたらしい、っていうあたりから見に行ってきました。
結論からいいますと、心配していた(?)感動盛り上げ的な、そーいう悲劇な泣かせシーン的演出はほとんとありませーんでした。
が、これは反面、ドラマチックではない、とも言えるわけだ。
=淡々としている、盛り上がりに欠ける、とも取れるわけですね、見る人によっては。
この映画は、かなり映画そのものよりも、観る側の観点によって感想は異なってくると思います。
さっき上げた、盛り上がりがない、っていうのが=わざとらしくない、自然、ドキュメンタリータッチでよい、って取る人と、=盛り上がらない、面白くない、っていう感じにも取れるわけでございます。
私は、冬山の盛り上げ死亡事件的なヤツがあんまり好きじゃないので、どちらかというとこの映画は好きな方です。
が、あんまり面白くないっていう人の気持ちもわかる^_^;
なにせ、冬山重装備の男(一部女性)がゴロゴロしてるので、見分けがつきにくいんですよ、キャラクターの。
普通の映画、ドラマ的ならもっとキャラに感情移入させるためにその1人かある程度しぼったメインキャラの描写をもっと掘り下げてわかりやすくさせるんだろうけど、この映画はあまりその手法は取っていない、というかかなり少ない。
なので、その人の背景とかは一部、ほんの一瞬語られているっていう感じなんだよね。
なので、感情移入しにくくて、その人への思い入れがあまりしにくい、っていうのはあると思う。
でも、これが現実世界とみれば、エベレストに登るというツアーに参加した人々、その1人として自分が参加していると考えたら・・・
自分以外の参加者に関して、いちいちその生い立ちからその後の人生まで、その人の背負ってるものまで、わざわざ掘り下げて知るというか、知る機会があるか?と思うんだねぇ。
雑談の中で、ちょこっと語る機会があれば、それがその全てだと思うんだよね。
この映画もそういう感じで、回想シーンとかそういうのが極端に少ない(こういう映画にしては)
なので、より観客はドラマというよりも自分がその場にいる、参加しているドキュメンタリー的な見方を求められると思うんですな。
で、そうなると、見る側によってかなり思い入れとかが異なってくるわけでございます。
きっと、好きで(←これが重要)山に登ってた、登った経験のある人とそれがない人では、そのポテンシャルというか感想の基本がまるっきり異なってくると思うのですね。
この映画は、1996年に実際に起こったエベレスト大量遭難事故を描いているのですが、今までの山岳遭難系映画だと、もうあきらかにダメダメな考え方の人が無謀に手軽な気分で山に登る事で、その人や巻き込まれた周囲の人が危機に陥る的なお約束的展開があって、見ている側はその無謀なヤツが悪い、この人だから悪い的な見方でそれはそれでお手軽で娯楽的映画としてよしだと思う。
でも、この映画では・・・
街とか普通の社会では、当然あり、というか、多少誰でもあるでしょ、的な甘えまではいかないけど、優柔不断さ、とかそういうのがてきめんに=死につながってしまうんだよね。
前年に頂上まで登れなかった男性、しかもプロではなく私たちと同じく一般社会人で毎日毎日、この日を夢見て真面目に働いてお金を貯めて、休みの日は地道にトレーニングを重ねて、ようやくこの日を迎えた!
となれば、それは「夢が叶う日」であり、そこは多少無茶、体力的時間的な無茶とか無理をしてもその「夢」を成し遂げたくなるのが人間だと思う。
それが愚かとか、無謀とかは誰にも言えないし、多分それが日常世界だったら美談、いい話感動話になると思うんだな。
そして、それを助けたいと思う人がいたら、その人は分類的に(?)よい人、優しい人と賞賛されるのではないだろうか?
でも、その舞台が8000m級の山の上であったら・・・
私たちの日常の感覚、常識とは全く異なる、自分の足で歩けない人は置いていくしかない、自分の足で動けねば置き去りになりそのまま凍死するのが常識、という世界なんだよね。
そこに「夢」を成し遂げるためには何をも犠牲にしちゃう、的な人間的な美談というかそーいう思いは全く通用しないのだ。
山は山であって、吹雪の時は吹雪くのみ、天気が良ければ美しく、それは人間とは全く関係ない次元、いってみれば「神」の領域なんだろうね。
その領域で、人間的ドラマ、感動とかを求める方がなんか違ってるんじゃないかな?と、この映画を見て思った。
盛り上がりに欠ける、ドラマチックじゃない、っていうのは「あえてそうしていない」という事なんだろうと思います。
それにしても、「夢」とか「夢を追い求める」とかっていい事というか、素晴らしい事、賞賛される事的な捉え方が多いけど(80歳超えでエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎氏とかね)反面、「夢を叶える」という事は、執着、妄執にもつながり冷静な判断を鈍らせて結果、こういう場所では命を失う事にもなるんだねぇ、と思いました。
「夢を叶える」事は素晴らしいけど、きっとそれは結果として達成できたから素晴らしいというだけではなく、との途中の過程こそが素晴らしいのだと思う。
達成できなかったからといって、だから全てが無駄、ダメだった、というわけではない、結果が全てではない、とは思うんだけど、やはり世間的には「結果」が求められるわけでして・・・
この映画でも、そういった結果が求められる、結果が出ればお金とか名声とか、そういうものと絡むだけに、引くに引けない、引きにくい状況になった、とも言えますね。
それにしても、あの高度であの寒さでハシゴとかロープとか・・・
絶対、やりたくねぇ~っ!!!!と、つくづく思いました(笑)
いや、エベレストだけじゃなくて、冬山、雪山登山も私はヤダなぁ~^_^;;
結果的に雪山になっちゃった例はあるけどさ^_^;
と、まぁ、見ていて辛い映画でございますが、なにせ結構前情報というかこの実際の遭難事件の全容を結構前もって知ってしまっていたので、この人は死亡フラグが・・・とかっていうのが前もって分かっちゃってるからねぇ・・・
しかし、唯一の女性、しかも日本人で参加していた康子さんが、ボロボロになりながらも山頂にたどり着いて、日の丸を山頂に挿していたシーンはかなりジーンとしましたねぇ・・・
まぁ、その後知っちゃってるから、かも、ですがT^T