УРАЧКА!!

雑文・駄文なお気楽日記です。よろしゅーに。

今川復権祭に行きました

2019-05-06 15:31:49 | 日記


10連休、予想通りあっ!という間でしたな。
最終日は、今川まつりに行きました。

まずは、静岡市文化財資料館へ。

ここでは現在、【今川義元の生涯】の企画展中なのだ。
撮影禁なんで画像はないが、以前市役所ギャラリーでやっていた今川展を彷彿とさせる感じでありました。
まず最初には「今川義元はバカ殿じゃないんだよ〜」から始まるのはお約束?ですが、数年後にはこんな導入無くなるくらいに義元のイメージが変わってると良いねー。
まあ、今川は今川だが、家康も1/4くらいは出張ってましたがまあ仕方なし・・
今川義元の死後、息子の今川氏真の代で所領を失い、その地を家康くんと武田信玄が武力で取りあい、その後互いに譲歩するわけなんだが、この間行った武田神社はその武田信玄を神とした神社で、言ってみれば敵を神とした神社でもその存続を許したからこそ今があるわけで。
反面、豊臣家には「国家安泰」でケチをつけ徹底的にやっつけて、家康くんの飴鞭がわかるような。
まあ、実際のところは武田は神と祀られても直接徳川に害を為すような状況ではないから、だったら人心を集めるためにも信玄よいしょしといた方が安心だもんねー、さすが家康くんじゃ!
と、思いつつ。
あ、そーいや武田神社前の武田信玄ミュージアム(?)家系図に今川義元の嫁になった定恵院殿が書かれてなかったよー。
信玄の父・信虎は娘に会いに駿河に行ったはいいが、信玄が「そのまま帰ってこんでよろしい」と今川に押し付けられた経緯があるのになあ。

今川自体の展示は、文章が多いです。
わりと事務処理的な文章が多くて、多分直筆じゃないだろうけど。
氏真の直筆とされてるのはありましたが、さすが字が綺麗ですね、読めないけど^_^;
なんつうか流れるようでバランスも取れてて綺麗でした。


撮影禁なんで、チラシより。
今川義元像は

これは見るけど、↑は初めてみたなあ。
なんかディフォルメ強いなあ。
清見寺の雪斉の坐像(?)は靴もちゃんと別口に作られてましたー。

で、今川とは関係ないが、歴代の元号がズラーッと階段沿に書かれて並んでまして。
一番最古の年号は神武!神武天皇の時代でなんと、縄文時代後期にあたるよ、これ。
・・嘘やな(爆)
実際、このあたりの年号や天皇は後々の天皇関連の人々が「ハク」をつけるために遡って作り出したもんだろうからね、大和朝廷の創作だろうね、
まあ、神武天皇は初代天皇っていわれてるけど実際は神さま扱いだしさ。

で、もう一箇所

駿府城公園の巽櫓内でも今川関連あるので見てきました。
初めて入ったよー、ここ。


今川家に人質時代の家康くんの勉強部屋の再現。


多分、ここから石投げ落としたり、湯を下行く敵兵に浴びせたんだろう。


ただ今発掘調査中の駿府城公園から出土した今川時代の遺品。
以前の今川屋敷はこのあたりにあったそうな。


池の跡らしきとこから出てきたらしいので、多分こーいう盃で酒飲んで、飲み終わったらポーンと池に投げ捨てたんじゃないかな?
瓦投げみたいな感じで。


これ!いわゆる2次創作って事?


ただ今、計画中の静岡の歴史系博物館

しかし、中身はかなり家康くん万歳ミュージアムっぽいような??
縄文はほとんど無さそう・・
まあ、期待はしてなかったが。


で、駿府城公園内でやってた今川祭をチラ見。


蹴鞠する今川さん。


京都からお越し下さった、蹴鞠愛好家の皆様。

ちょっと見てましたが、まずは神事的な儀式の後、丸くなり一人づつリフティングの技を見せ、その後は互いにパスし合う感じかねー。


スタンプラリー制覇!


屋台でしぞーかおでんを食しました。
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【Meet to the DOGUU】茅野市尖石縄文考古館・1

2019-05-06 08:56:41 | 土偶・縄文・考古学



10連休最終日。お天気はイマイチなしぞーかです。
GW初めに行ってきました、長野県茅野市。
ここには、国宝土偶5体のうちの2体がいます。
2/5ですよー!ってわけで、茅野はかなり推してるようです。

↑マンホールはもとより・・







駅構内からして、こんなに!
ちなみに、土器は本物。


ねこちぐらー!


関係ないが、可愛い。

で、駅から出ても・・







泊まってた駅前ホテルのすぐ近くの公園にも!

と、言う感じの凄い推しっぷりなんですが・・


バスの時刻表・・
実際、公共交通機関で会いに行くには大変だ・・

で、考古館は実際に遺跡のあった場所を史跡公園とし、その中にあります。


尖石遺跡と与助尾根遺跡が隣接しています。




与助尾根遺跡には、復元家屋も。


こちらは尖石遺跡。




住居跡です。


こちらが尖石!
尖石という地名の元となった石です。


アミニズムの対象に縄文時代からなってたのかな?
掘ったら高熱出して死亡・・って、絵に描いたような祟りやのう。


こちらか縄文考古館。
その脇にあるのが・・


写真だとわからないけど、キラキラした粒が入ってる石です。
黒曜石かなあ?


....カブトムシ持ち込み禁!
預かってくれる、まで書いてあるとこが親切です。


桜が満開!
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