Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

痛みへと続く笑い。

2019-03-12 23:25:11 | 考えの切れ端
ツイッターのTLに、
バラエティ番組でよく行われているのは、
「いじる・いじられる」などの考え方で笑いをとる、
人の尊厳を無視したやりかたで、
その影響を受けて現実世界でも、
「いじる・いじられる」が行われているというような
一連のツイートがありました。
僕は一時期、ほとんどテレビを見なかったですが、
徐々に目当てのアイドルなんかを見るために
バラエティ番組を見始めたら、
違和感と苦痛を感じたのを覚えています。
それはきっと、このためなんです。

だから、好きなアイドルさんのバラエティ馴れに、
淋しい思いをするのってあるんですよ。
それは、素人っぽさがなくなったからっていう理由とは
ちょっと違うのです。
バラエティのあり方は、
「精神的なじゃれあい」としては一方的だし、
人としての大事なところから離れていく「プレー」
という感じがするからなんです。
(芸人さんたちなんか、もっときびしい、
胃が痛くなるいじりをされてますよね)

バラエティ慣れに淋しい思いをするその理由としては、
その人が持っていた
「人としての弱くて繊細だけど美しい部分」
がなくなっていくからっていうのがひとつの理由になるか。
仕事をうまくこなしたい、
もっとうまくなりたい、
売れたい、
と思ってした選択に伴う代償だ。

「代償の伴わない選択はない」
とリンダ・グラットンも書いてたもんね。
この場合の選択っていうのは、
ごはんにしようかパンにしようかみたいなものとは違うと思いますけども。

また、どうしてああいう「いじる・いじられる」の
バラエティ番組が生まれるかというと、
まず先行して学級だとか会社だとかに
意識していない状態で存在した関係のありかたがあったかもしれない、
それが、今日まで幅を利かせていないにしても。
そのことへの恐怖心・不安の裏返しとして今日市民権をもたらしたのだと思う。

不毛な予防接種みたいなものかな?
いまや、そういう「いじる・いじられる」が
ごくふつうのものとして社会に蔓延しています。
まさに社会儀礼のひとつであるかのように。
いじるか、いじられるかしない人って天然記念物だね、
みたいな目で見る人もいます。

こういうのも「社会性」としてみる向きがありますから、
そこを感じとって、
「社会ってなんなんだ!?」って
疑問や怒りや憤りをもつ若い人が一定数でてくるもんです。

そして、いつしか、そんな社会で生きるために、
仮面を被ったりするんですよ。
仮面と分かる人は分かるもので、
分かる人同士では仮面を脱いで話をしたり、という。
そういうのが老獪さに結びついて、
人によっては、姿を見せないレジスタンスみたいになる場合もあるでしょうね。

さて、あなたは、
いじる派? いじられる派? そんなものゴメンだ!派? のどれですか?
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