読書。
『自分で調べる技術』 宮内泰介
を読んだ。
サブタイトルに、
「市民のための調査入門」とあります。
自分たちで自分たちの社会を作っていくことが、
いつからできなくなっているだろうか、
との著者の問いからはじまります。
社会は複雑になり、
決めなければいけない事が一人ひとりではカバーできないくらい
多岐にわたるようになり、
それにともなって、
それぞれの分野にくわしい専門家というポストがつくられ、
彼らが決定を下すシステムになってきた。
ゆえに、現代において社会を作っているのは、
見ようによっては断絶された一人ひとりの専門家の決定である。
それを、少しでも市民の手に取り戻したどうだろう、と
著者は言うんですね。
自分で自分の社会をつくる、
そういった自律性を取り戻すことって、
実は大事なんじゃないかということです。
僕個人の考えとしても、
生活から他律性をできるだけ除くことで、
幸福感は増すものだとしているので、
著者のこちらの考えにも納得はいくところはあります。
本書の入門書としての性質は、
小学六年生くらいから参考にできそうな水準だと思います。
第二章の文献などにあたることについての解説などは、
本当に分かりやすく、そして簡単でした。
しかしながら、本書はちょっと古いので(2004年刊)、
インターネットやパソコンのソフトを使うところでは、
もはや時代遅れになっている部分はあると思います、
スマホなんて文字すら出てきませんし。
それでも、調査するノウハウとしての基本姿勢として
踏まえておける基礎であることはたしかでした。
そうなんですよね、
本書は、基本中の基本を扱う種類の入門書で、
ぜんぜん難しくありません。
ときに練習問題が出てきて、
それを愚直におこなうと面倒ではあるでしょうけど(僕はやらなかった)、
すんなり読めるし、
第三章のフィールドワークのあたりからは、
ぐっと本筋に入ったような気がして面白かったです。
フィールドワークまでいくかいかないかが、
調査しているかしていないかの分かれ目と言えるくらいのところだと思います。
そこのところを解説してくれるのは、
非常にありがたくもあり、
でも実際に、個人としてなにか調べたいと思ってフィールドワークをするのは、
変わった人だと思われそうで腰が重くなります。
僕は小説を書くので、
そのために調べものをする必要って今後もでてきますけど、
なかなかフィールドワークまでは……となってしまう。
そこが勝負の分かれ目なのかなと思ったりもしました。
文献調査をして、フィールドワークをして、まとめて。
そういったサイクルを延々と続けていくうちに、
調査目的のものが、だんだんくっきりしてくるそうです。
一連のそういった連環作業が、
調査目的のひとつの答えを磨きあげます。
また、そういった調査行動と、それらを概念かする思考も、
往ったり来たりを繰り返すものなんです、と説かれていました。
その往復運動も際限がないようなもので、
まるで人生だなあと思うのでした。
あとは、一次情報と二次情報の解説で、
情報というものについてもやっとしていた部分がはっきりしました。
一次情報は、その情報の近いところのものであり、
たとえばお店の経営についてならば、帳簿そのものが一次情報だし、
その帳簿を管理している店主からの話も
一次情報にかなり近いところにあると考えられます。
いっぽうで、二次情報は、その店主から他店の経営についての情報だったり、
噂だったり、ほんとうのところから遠い情報のことを言う。
それらが、インタビューのなかでは混然としているのだけれども、
しっかり仕分けして情報の正確さを見極めるのが大事なんですね。
さらにいえば、インタビューのなかでも、
誘導的な質問をして無理やりしゃべらせた情報の精度はどうだろう、だとか、
こちらの予備知識の無さのために、
浅い情報しか引き出せなかっただとかもあって、
なかなか深いよなあと思うところでした。
こちらがちょっとでもその情報の知識を知っていてそれを話し手に問いかけると、
話し手も話し手で、「おぉ、このひとはちょっと知ってるな」と思って、
話に熱がはいりがちなのが人情。
そうやって知り得た情報がよい質の高い情報のことも珍しくないようです。
市民調査の団体の、
その調査が真っ当で有益であるならば、
たとえばトヨタ財団や日本財団など、それぞれの調査内容にかなえば
助成も得られるようなんですよね。
本気で取り組むなら、そこまで視野に入れてもいいですよねえ。
『自分で調べる技術』 宮内泰介
を読んだ。
サブタイトルに、
「市民のための調査入門」とあります。
自分たちで自分たちの社会を作っていくことが、
いつからできなくなっているだろうか、
との著者の問いからはじまります。
社会は複雑になり、
決めなければいけない事が一人ひとりではカバーできないくらい
多岐にわたるようになり、
それにともなって、
それぞれの分野にくわしい専門家というポストがつくられ、
彼らが決定を下すシステムになってきた。
ゆえに、現代において社会を作っているのは、
見ようによっては断絶された一人ひとりの専門家の決定である。
それを、少しでも市民の手に取り戻したどうだろう、と
著者は言うんですね。
自分で自分の社会をつくる、
そういった自律性を取り戻すことって、
実は大事なんじゃないかということです。
僕個人の考えとしても、
生活から他律性をできるだけ除くことで、
幸福感は増すものだとしているので、
著者のこちらの考えにも納得はいくところはあります。
本書の入門書としての性質は、
小学六年生くらいから参考にできそうな水準だと思います。
第二章の文献などにあたることについての解説などは、
本当に分かりやすく、そして簡単でした。
しかしながら、本書はちょっと古いので(2004年刊)、
インターネットやパソコンのソフトを使うところでは、
もはや時代遅れになっている部分はあると思います、
スマホなんて文字すら出てきませんし。
それでも、調査するノウハウとしての基本姿勢として
踏まえておける基礎であることはたしかでした。
そうなんですよね、
本書は、基本中の基本を扱う種類の入門書で、
ぜんぜん難しくありません。
ときに練習問題が出てきて、
それを愚直におこなうと面倒ではあるでしょうけど(僕はやらなかった)、
すんなり読めるし、
第三章のフィールドワークのあたりからは、
ぐっと本筋に入ったような気がして面白かったです。
フィールドワークまでいくかいかないかが、
調査しているかしていないかの分かれ目と言えるくらいのところだと思います。
そこのところを解説してくれるのは、
非常にありがたくもあり、
でも実際に、個人としてなにか調べたいと思ってフィールドワークをするのは、
変わった人だと思われそうで腰が重くなります。
僕は小説を書くので、
そのために調べものをする必要って今後もでてきますけど、
なかなかフィールドワークまでは……となってしまう。
そこが勝負の分かれ目なのかなと思ったりもしました。
文献調査をして、フィールドワークをして、まとめて。
そういったサイクルを延々と続けていくうちに、
調査目的のものが、だんだんくっきりしてくるそうです。
一連のそういった連環作業が、
調査目的のひとつの答えを磨きあげます。
また、そういった調査行動と、それらを概念かする思考も、
往ったり来たりを繰り返すものなんです、と説かれていました。
その往復運動も際限がないようなもので、
まるで人生だなあと思うのでした。
あとは、一次情報と二次情報の解説で、
情報というものについてもやっとしていた部分がはっきりしました。
一次情報は、その情報の近いところのものであり、
たとえばお店の経営についてならば、帳簿そのものが一次情報だし、
その帳簿を管理している店主からの話も
一次情報にかなり近いところにあると考えられます。
いっぽうで、二次情報は、その店主から他店の経営についての情報だったり、
噂だったり、ほんとうのところから遠い情報のことを言う。
それらが、インタビューのなかでは混然としているのだけれども、
しっかり仕分けして情報の正確さを見極めるのが大事なんですね。
さらにいえば、インタビューのなかでも、
誘導的な質問をして無理やりしゃべらせた情報の精度はどうだろう、だとか、
こちらの予備知識の無さのために、
浅い情報しか引き出せなかっただとかもあって、
なかなか深いよなあと思うところでした。
こちらがちょっとでもその情報の知識を知っていてそれを話し手に問いかけると、
話し手も話し手で、「おぉ、このひとはちょっと知ってるな」と思って、
話に熱がはいりがちなのが人情。
そうやって知り得た情報がよい質の高い情報のことも珍しくないようです。
市民調査の団体の、
その調査が真っ当で有益であるならば、
たとえばトヨタ財団や日本財団など、それぞれの調査内容にかなえば
助成も得られるようなんですよね。
本気で取り組むなら、そこまで視野に入れてもいいですよねえ。