
読売新聞だけが安倍首相の記者会見写真を使い、朝日新聞だけが社説の段組みが小さかった。生前退位に一番反対していた安倍首相が元号決定を自らの求心力を高めるために政治利用していたのではないか、勘ぐりたくなるようなマスコミの「喧騒」をまきおこした1日であった。社説では、毎日新聞が「新しい元号は「令和」 ページをめくるのは国民」、朝日新聞が「平成から令和 一人一人が時代を作る」と国民主権を明確にする見出しであった。
全体として1、漢書か国書か、安倍首相のナショナリズムの反映か、2、元号決定への天皇の関与、安倍首相の皇太子への報告と憲法4条、3、決定過程の情報公開、平成元号決定過程が未だ非公開の中いつ情報公開か、4、元号が持つ「皇帝による時の支配」の意味、5、西暦との元号の関係、国民生活への影響、など考えなければならない課題が数多く提起されている。実はこの新たな元号が決定されつつも外務省が西暦使用に踏み切る検討を重ねるなど元号の持つ意味についての相対化も始まっているのである。
昭和の終わりに「自粛ムード」を批判した「まつや市議会質問」の翌日のマスコミ報道ですぐさま右翼の宣伝カーが自宅周辺を街頭宣伝した時以来、議会関係の公式文書では「平成00年」に線を引き西暦に書き直している。しかし、今上天皇の「憲法における象徴天皇制度の模索」という「祈りと巡礼」のその姿勢が国民に浸透してきた時代が反映してのことだと思うが天皇制について国民の寛容さは大きく浸透している。一方で安倍政権という保守派の存在には危機感を持つ。「天皇制のありかた」についてはこうした時期だからこそ国民的議論が必要であるように思う。