イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「人類は宇宙のどこまで旅できるのか :  これからの「遠い恒星への旅」の科学とテクノロジー 」読了

2024年08月21日 | 2024読書
レス・ジョンソン/著、吉田三知世/訳 「人類は宇宙のどこまで旅できるのか :  これからの「遠い恒星への旅」の科学とテクノロジー 」読了

読む前から多分そうなんだろうなとは思っていた。タイトルは「どこまで旅できるのか」だが、どこへも行けないというのがほぼ結論だ。
ここでいう旅は恒星間の旅だ。太陽系から一番近い恒星はケンタウルス座α星の三連星で距離は4.3光年しかないけれども光速の10分の1の速度で旅をしても43年かかる計算だ。しかも、宇宙線は一気に加速して一気に減速できるわけではないのでこれの数倍の時間がかかる。“しかない”とはいえ途方もない距離なのである。
この本ではこのような超遠距離への旅が有人、無人を問わず可能なのかどうかということを書いている。
無人機を飛ばすのならまだ可能性はある。イオンエンジン、太陽帆というような方式でゆっくり飛行させれば燃料も多くは必要ないかもしれないがそのかわり数百年から数千年の時間がかかる。間違いなく飛ばした人が結果を見届けることができないのである。もとより、そんな長距離間を通信できる手立てもないので本当に目的地に行けたかどうかがわからないのである。電波を発射してから受信するまで4.3年もかかりその間に電波は限りなく減衰してしまっている。
人間を乗せてゆくというのはもっと大変だ。間違いなく数世代という世代交代をしながらの旅になる。生命維持という問題もさることながら精神的な問題も大変だ。こんなに広い地球の上でも人々は自分の主張を曲げずにいがみ合う。もっと狭い宇宙船のなかでは一体どんなことになるのか。
その前に宇宙船の建造ができるかどうか・・。例えば他の恒星系に移住をするための旅をするとしよう。そのためには最低でも数千人、最大では10万人を乗せる船が必要である。数千人規模の船では数十隻の船団方式が想定される。推進方式では推進剤を燃やすロケット、核爆弾の爆風で推進する核パルス、反物質反応を推進力に使う方法などなど。しかし、推進剤はどんなものでも速度と距離を上げようとするとどんどん積載量が増えてその積載量を含めて動かそうとするともっと燃料が必要になってしまうというジレンマが起こる。核パルスエンジンはその爆発力に耐えうるだけの宇宙船を建造できるか、反物質は推進に使えるだけの量を確保できるか、そもそも、物質と反応して消えしまうというようなものをどうやって貯蔵するのかという問題、イオンエンジンや太陽帆というのは推進剤をほとんど必要としないが速度が遅すぎるという様々な問題がそれぞれの方式で抱えている。さらにすべてにおいて共通して抱える問題は冗長性だ。数百年、数千年にわたって壊れずに働く機械など本当に作れるのか・・。
しかし、こういう想定は現代の物理学的には不可能ではないものばかりだそうだ。ただし、遠い将来テクノロジーの進歩があり、机上の理論が現実化されるという前提がある。著者が考えるには、人類が星間飛行をする最初の有人宇宙船を打ち上げるのは西暦3000年以降になり、控えめな見方をしてもその1号機が目的地に到着するまで約500年かかるだろうということだ。(これほど未来となるとほとんど妄想としか思えないが・・)そこから考えると、人間が多くの恒星系に実際に移住しているのは西暦10000年頃になるのではないだろうかということだ。
その頃には宇宙船の技術だけでなく、遺伝子工学も発達し、人間が無重力状態の中でも適応できる体を人為的に作り出すことができたり、人工冬眠の技術も確立されるかもしれない。

ここまでがこの本の大まかな内容だ。以前読んだ本では、現在の量子論や相対性理論にはその先にまだ知られていない理論があるのだと書いていた。それはひょっとしたら時間や空間をつなげてひとっ飛びで何光年も先に行く方法があるということを示唆しているのかもしれない。そうなると推進剤の問題や旅行時間があまりにも長くなるという問題も解決されるかもしれない。
それならこの宇宙にはすでにそういうテクノロジーを持った異星人がいて地球にやってきていても不思議ではないのにそんな痕跡がないのはなぜかという疑問が生まれるが、138億年という時間はそういうテクノロジーを育むにはまだ時間が短いのだという解釈をしてもいいのかもしれない。生物を作り出す元素は星が何度かの超新星爆発を繰り返したうえでないと作り出せない。その第一世代の生物が地球人であったのならそのテクノロジーを切り開くのは地球人しかいないという考え方もできる。

またもう1冊の本では、この宇宙に生まれる生物はアミノ酸と核酸を基にしているという必然性があると受け取れた。ということは、人類はどこへ行っても生物が生まれる環境を持った惑星さえ見つければそこで順応してそこの生物を食べて生きてゆけるということかもしれない。スティーブン・ホーキング博士は『宇宙に広がっていかないかぎり、たったひとつの惑星の上にしか存在しない生命に降りかかりうる厄災はあまりにも多く、人類が次の1000年を生き残ることは不可能だが人類は多くの恒星に広がっていくだろう。』と語ったそうだが、そのためには、今後数千年の間、テクノロジーを育むための安定した社会が維持できるか、巨大宇宙船を建造するための資本を生み出す経済成長を維持できるか、宇宙へ向かうことに対する理解を得る知的好奇心のレベルの高さを維持できるかということも必要だろう。人類の未来がマッドマックスの世界になっていたのなら恒星間飛行は望めることはない。多分、これが一番のボトルネックになるのではないだろうか。

著者は1999年にNASAの星間推進研究に関するプロジェクトのリーダを務めた経歴をもつ物理学者だそうだが、『どこかの太陽系外惑星で暮らしている未来の人間が、彼らが住む新世界、どのように探査され、その後どのような経緯で人類が定住するようになったかを記した歴史の本を書くときに、私の専門研究が脚注に引用されるようになってほしい』と考え、その最初の一歩としてこの本を書いたそうだ。僕みたいな人間はただの傍観者なので遠い未来のことなどに対して責任を持つ必要もなく持つこともできない。間違いなく生きている間に火星への有人飛行さえ見届けることもできないであろう。だからある意味、僕にとっては恒星と恒星の間以上の遥か彼方のお話ということになってしまう、が著者のような選ばれた人達はテクノロジーのバトンを次の世代に手渡し、民意を宇宙旅行に対して肯定的な考えに向けさせ続けなければならないという義務を負っているのだろうと思う。そして、こういう人たちがテクノロジーの進化を進めていくぎり本当にケンタウルス座まで人類が到達する日が来るに違いない。

この本の内容がSFで終わってしまわないことを草葉の陰から祈って行こうと思うのである。
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