イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「第1感~「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい」読了

2024年09月20日 | 2024読書
マルコム・グラッドウェル /著 沢田 博、阿部 尚美/訳 「第1感~「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい」読了

人は最初の一瞬で何かを見抜く力があるという。この本を日本語訳するときに、その直感を、「第1感」と訳された。英語のタイトルは、「blink」。そのまま訳すと「ひらめき」となる。
僕も時々そういう直感のようなものがあると思う時がある。イカやチヌを釣っているとき、ウキや竿の先にアタリがなくても意識せずに合わせを入れるとちゃんと獲物が掛かっている。あとから考えてもどうしてそこで合わせを入れたのかがわからなくて、無意識に合わせを入れているのか、その瞬間のことの記憶もない。
なぜだかはわからないが、人にはそういう能力が備わっているというのがこの本の趣旨である。

一般的に、勘が鋭いというところで出てくるのは「第六感」という言葉であるが、訳者の説明では、それは身体的な(したがって理屈で理解可能)な五感の優越を前提として、理屈を超えた六つ目の感覚を想定している。それに対して、「第1感」というのは五感に優越するものであるということだ。すでに六が漢字で1が数字だというところからミステリーだ・・。

この本は、いくつかの具体例を上げ、「第1感」の存在を証明しようとしている。なぜそのような能力が人間に存在しているのか。それは、厳しい生存競争を勝ち抜くため、わずかな情報で素早く適切な判断を下す能力が必要であったのだという。こちらをめがけて突っ込んでくるトラックを前にして、あらゆる行動の選択肢を考えていては間違いなく死ぬのである。
しかし、何に対しても「第1感」が働くのかといえばそうではない。何かに対して専門的な訓練を積み、洞察力を高めた末に得られるのが「第1感」なのである。それじゃあ「第六感」と変わらないのじゃないかと思うのだが、まあそれはそれとして置いておくことにする。
そんな第1感も、正しい選択をしてないときがある。それを妨げるのは先入観であったり緊張状態だったりする。
例えば、男尊女卑の先入観がそうだ。緊張状態では、心拍数が175を超えると人間に認知プロセスは完全におかしくなる。F1レーサーのレース中の心拍数は140から190だそうだが、そんな中でおそらく第1感を働かせているというのだからすごい。
結局、何の努力もなく第1感は存在しないということなのである・・。

その「第1感」は体験したうちのごく薄い輪切りの部分だけで全体を把握しているのだという。そして、その感覚は「無意識の扉の奥」にあるという。ガンダムの世界には勘のいい人としてニュータイプという人たちが出てくるが、人類が宇宙に進出した後、重力の低い状態ではポンプとしての心臓の負担はかなり軽減され、極度の緊張状態でも心拍数が抑えられるかもしれない。そんな状態では、人間の第1感はさらに研ぎ澄まされるだろう。そんな状態で数世代を経れば本当にニュータイプが生まれるのかもしれない。

今の僕はいろいろなものに対して第1感はいらない。ただひとつ、明日の株価が上がるのか下がるのか、それだけを見抜ける第1感だけがほしいと思っているのである・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする