
三谷純 「日常は数学に満ちている」読了
確かに、「日常に満ちている」と書いてはいるが「易しい」数学とは書いていなかった。それでも多分、著者にしてみればかなり易しく一般人にも解るように書いてくれてはいるのだろうが、こっちは平均以下の頭脳しかないものだからさっぱりわからない。
最初からいきなり対数関数が出てくる。その時点僕の脳ミソはショートして白い煙を吐き出してしまう。
対数関数というのは、『任意の正の数 x に対し、x = 10a により定められる実数 a を、10 を底 (base) とする x の常用対数 (common logarithm) といい、記号 log10 x で表す。』というのだが、確かに高校時代に習ったはずなのに何の記憶も残っていない。この時点で
しかし、この関数を使うと、自治体なんかが出している統計に出てくる数字のなかで頻度の多い数字がわかるという。う~ん、さっぱりわからない。これをベンフォードの法則と言うらしいが、答えは「1」となるらしい。
う~ん、なぜだかわからないがそうらしい。数学とはやっぱりわからない。
そして、数学のわかる人は数式を見るとそこに図形や立体が浮かび上がってくるらしい。ミスドのポンデリングも数式で出来ているらしい。関数とはそういうものらしい。関数からグラフという図形が書けるが、これもそのひとつだ。その延長線上には、自然界にある形は大体が関数で表せるというものがある。有名なのはオウムガイの殻の螺旋だ。「対数螺旋」という関数から生まれる図形なのだそうだ。サザエの殻もきっと同じ関数なのだろうと僕は思っている。ここにも対数が現れてきた・・。

もうひとつ、この本には「ドラゴン曲線」という、部分的な構造と全体の構造が同じで、決して自分自身の一部と交差することがないというフラクタル図形の一種というものが紹介されているが、これなんかは細菌や細胞が増殖しているときの画像そっくりではないかと思えてくる。

もっと突き詰めていくと、人間の体の作りや営みは数式で表せるということになるのではないかということになる。
しかし、同じ人間なら同じ数式で生命の活動が営まれているはずにもかかわらず、ある人は数学が解るのに僕にはさっぱり解らない。そういう不公平はどこから生まれるのか・・?僕はそれを知りたい・・。
東大卒の著者とは体に使われている関数が明らかに違うということだろうか・・。
読んでも何も得るものはないというのは悲しいので、これを知っておくと話のタネになるではないかということをふたつ残しておこうと思う。
ひとつは紙のサイズについてだ。
コピー用紙のA版という規格は縦と横の比が1:√2になっているそうだ。この比率というのは、長辺で半分に割っても縦横の比率が保たれたまま面積が二分の一になる白銀比という比率になっている。だから、裁断をしていってもA版の形というのはすべて同じ形になっているのである。そして、裁断する元のA0版というのは面積が1㎡(実際は0.999949㎡)ときっちりとした数値で設定されている。
もうひとつは、これは著者の専門である折り紙の理論に近いものだが、こんな遊びがある。
紙のどこかに適当に点を打ち、この点を紙の一般が通るように折っていくと放物線が現れてくる。暇な仕事をしているのでその時間に試してみることができる遊びである。

まあ、日常的ではないが確かに身の回りには数学が満ちているようだ・・。
確かに、「日常に満ちている」と書いてはいるが「易しい」数学とは書いていなかった。それでも多分、著者にしてみればかなり易しく一般人にも解るように書いてくれてはいるのだろうが、こっちは平均以下の頭脳しかないものだからさっぱりわからない。
最初からいきなり対数関数が出てくる。その時点僕の脳ミソはショートして白い煙を吐き出してしまう。
対数関数というのは、『任意の正の数 x に対し、x = 10a により定められる実数 a を、10 を底 (base) とする x の常用対数 (common logarithm) といい、記号 log10 x で表す。』というのだが、確かに高校時代に習ったはずなのに何の記憶も残っていない。この時点で
しかし、この関数を使うと、自治体なんかが出している統計に出てくる数字のなかで頻度の多い数字がわかるという。う~ん、さっぱりわからない。これをベンフォードの法則と言うらしいが、答えは「1」となるらしい。
う~ん、なぜだかわからないがそうらしい。数学とはやっぱりわからない。
そして、数学のわかる人は数式を見るとそこに図形や立体が浮かび上がってくるらしい。ミスドのポンデリングも数式で出来ているらしい。関数とはそういうものらしい。関数からグラフという図形が書けるが、これもそのひとつだ。その延長線上には、自然界にある形は大体が関数で表せるというものがある。有名なのはオウムガイの殻の螺旋だ。「対数螺旋」という関数から生まれる図形なのだそうだ。サザエの殻もきっと同じ関数なのだろうと僕は思っている。ここにも対数が現れてきた・・。

もうひとつ、この本には「ドラゴン曲線」という、部分的な構造と全体の構造が同じで、決して自分自身の一部と交差することがないというフラクタル図形の一種というものが紹介されているが、これなんかは細菌や細胞が増殖しているときの画像そっくりではないかと思えてくる。

もっと突き詰めていくと、人間の体の作りや営みは数式で表せるということになるのではないかということになる。
しかし、同じ人間なら同じ数式で生命の活動が営まれているはずにもかかわらず、ある人は数学が解るのに僕にはさっぱり解らない。そういう不公平はどこから生まれるのか・・?僕はそれを知りたい・・。
東大卒の著者とは体に使われている関数が明らかに違うということだろうか・・。
読んでも何も得るものはないというのは悲しいので、これを知っておくと話のタネになるではないかということをふたつ残しておこうと思う。
ひとつは紙のサイズについてだ。
コピー用紙のA版という規格は縦と横の比が1:√2になっているそうだ。この比率というのは、長辺で半分に割っても縦横の比率が保たれたまま面積が二分の一になる白銀比という比率になっている。だから、裁断をしていってもA版の形というのはすべて同じ形になっているのである。そして、裁断する元のA0版というのは面積が1㎡(実際は0.999949㎡)ときっちりとした数値で設定されている。
もうひとつは、これは著者の専門である折り紙の理論に近いものだが、こんな遊びがある。
紙のどこかに適当に点を打ち、この点を紙の一般が通るように折っていくと放物線が現れてくる。暇な仕事をしているのでその時間に試してみることができる遊びである。

まあ、日常的ではないが確かに身の回りには数学が満ちているようだ・・。
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