場所:加太沖
条件:中潮 7:15満潮
潮流:6:16転流 8:10上り0.5ノット最強 10:24転流
釣果:ボウズ
またまた気がつけば2週間以上船に乗っていない。小船にいたっては3週間になろうとしている。本来なら先に小船に乗ってやらないといけないのだろうが、今日はあまりにも天気が良いので大きい方で出ることにした。
夜明けはどんどん早くなっている。出勤する日も起床時間は早くて土日祝は午前5時に起きているのだが、昨日、新聞を取りに表に出るとその時間では完全に明るくなっていた。いつの間にこんなに明るくなるのが早くなってしまったのだろうと驚いたのである。まあ、毎年のことではあるのだが・・。
今日は夜明け前には出港したいので午前4時過ぎには港に到着しておかねばならなさそうだ。
港への道中、少し明るさを見せてきた東の空にひときわ明るく輝く星が出ている。これは金星と木星だそうだ。画像を加工してやっと見えるほど暗いのだが、少し離れて小さく見えるのは火星だ。火星の斜め右上には土星が見えていたらしいがフレームからは切れてしまっている。残念・・。肉眼では見えないのだろうけれども金星と木星の間には海王星も並んでいるらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/1b/11f4b38e1947c8ba9b10d34e2023dcb1.jpg)
これでも相当早く家を出たつもりだったが、出港準備を整えてロープを解いたころには相当明るくなってしまっていた。今年も、夏至を迎えるころまではこうやって夜明けといたちごっこを繰り返すのだろうと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/80/5298a3cb0f364c6ddcfd39c1454aed5d.jpg)
今日の予定はというと、加太に到着した頃に潮が止まるはずなので、潮がそこそこ動くようになるまでは大和堆ポイントか四国沖ポイントでアジを狙ってみてその後真鯛狙いに転じてみようと考えている。
連休の中日なので船はかなり出ているのかと思ったが、そうでもない。むしろ少ないくらいだ。休日が多いとけっこう分散するのかもしれない。しかし、帝国軍の姿も見えないというのが不安材料だ。まだ下り潮が残っているので友ヶ島の北側にでも潜伏しているのだろうか・・。
田倉崎から海域を眺めてみると、テッパンポイント付近に数隻、四国沖ポイントに2隻、大和堆ポイントには船の影が見えない。これでとりあえずは四国沖ポイントからスタートに決定だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/56/22ccf38b5349596e0613cb0c0baec5ef.jpg)
いつものサビキ仕掛けをセットしてスタート。
魚探の反応はなく、アタリもない。しかし、しばらくして集まってきた数隻の中にはタモを入れている船がある。魚はいるようだ。
僕も底の方を意識しながら仕掛けを操るがまったくアタリがない。魚探の反応が時々は出るようになってきたがやっぱりアタリはない。これは仕掛けが悪いのかもしれないと、早々と毛糸の高仕掛けに変更してみた。それでもやっぱりアタリはない。
まだ潮は動き始めていない時刻だが、ここで粘っていてもダメだろうと判断してテッパンポイントへ移動。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/2d/d75a9ff5b5b296f7bb1a6cc1dd2f4084.jpg)
しかしここでもまったくアタリがない。第2テッパンポイントに移動してみてもダメだ。
潮は上っているはずだが、船は北向きに流れても仕掛けはついてこない。おそらく底潮は動いていないのだろう。だからアタリがないのかもしれない。ダメだな~と思いながら沖の方を見てみると、大和堆ポイントに船が集まってきている。ひょっとしてアジが釣れているのかもしれないと思い、最後の移動をおこなう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/eb/5d27a702b7d0019721ef5b7dd29f6972.jpg)
再びサビキ仕掛けに変更し、8センチのビニールを2センチほどカットしてみた。ひょっとして長い疑似餌には食いつかないのかと思ったけれども、結果は一緒だった。
ここでも時々、タモを入れている船を見たが僕の仕掛けには見向きもしてくれない。次の転流時刻まではやろうと考えてはいたけれども、ここで精根が尽き果て、午前9時で終了。
去年の今日も加太に来ていたが、アジを数匹釣っていたようだ。
ブログを読みかえしてみると、朝は寒かったが港に戻ったときには養翠園の庭でセミが鳴いていたというようなことが書いてある。今日はヤッケを羽織ってカッパのズボンをはいてちょうどいいというような気温であった。その差が釣果の差につながってきたのだろうか。
今年は山菜も遅れていて、それはきっと地熱の上がり具合が例年に比べて遅かったというのが原因だったのだろうけれども、水温も同じで、底潮が動かないというのも比重の重い冷たい潮が底の方に居座っていたからなのかもしれない。それじゃあ、前回はハマチが5匹釣れたという理由はどう説明するのかと問われてしまうが、釣り師の話の時制には現在がなく、あるのは過去と未来だけであるというのは昔からの習しなのだから仕方がない。状況が悪いのは”現在”だけなのだから・・。
しかし、今から思うと、底を釣らずに中層を探ってみればよかったのかと言ってもそれはあとの祭りだ。また、去年の仕掛けは同じサビキでも糸は細いものを使っていたようだ。道具箱にはひとつだけその仕掛けが残っていたのだが、それを使えばよかったと思うのも後の祭りにしかならないのだ。
ここにも”過去”の時制しか残っていなかったのである・・。
あまりにも長い間船に乗っていなかったからというのでもないだろうが、デッキの片隅に植物の小さな芽が出ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/62/3289cb1a747c05a4e48b1ef82f84cf11.jpg)
どこかから種が飛んできて、デッキに積もったホコリの中に根を伸ばしているのだろうが、種ができるのは秋ごろだと考えると、僕はいつからこの船の掃除をしていないのだろうかとちょっと驚いてしまうと同時に整備のほうも大丈夫だろうかと心配になってくるのである。今日の釣行は知床で観光船が沈没してから初めてということでもっと心配になるのである。
僕の船なんか構造が単純だからエンジンと舵さえきちんと作動していれば大丈夫なはずだ。先代の翠勝丸でやらかしたトラブルを教訓に、出港前は必ずエンジンオイルとギアオイルの残量を確かめ、舵はちゃんと回るかどうかを点検してから岸壁を離れるようにはしている。父親の口癖は、「ディーゼルエンジンの船は、エンジンが回っている限りは安全なのだ。」であったが、僕は今でもその言葉を信じている。
しかし、専門家に定期的にメンテナンスをしてもらっているわけではなく、船の老朽化も気になっている。燃料タンクやエンジンの各場所のシールは完全ではなさそうで色々なものが滲みだしてきている。それはおそらく致命的な故障ではないのだろうがなんだか気にはなっている。小船のほうもしかりだ。
でも、こういった心配は僕だけではなく、相当いろいろなところでそうなっていて、その心配が現実のものになってしまったのが知床の事故だったのだと思う。
同業者の人々は事故を起こした業者の杜撰な安全管理を非難するようなコメントを出してはいたが、案外、自分の所じゃなくてよかったと思っている人もいたのではないだろうか・・。
確かに、連絡手段がなくなってしまっていたというのはまったくの論外だとは思うけれども・・。誰かが、「早く帰ってこい。」とは言えなかったのだろうかと思うと残念ではある。
遭難した船長はどれほど海の経験がある人かは知らないが、僕みたいに一度でもそんな危険な経験をしていたらもっと別の行動ができたのかもしれないと思うとそれも残念である。
こんなことを考えてしまうのは、僕の職場でも同じようなものだからだ。
僕の仕事場はとある観光施設で、そこを所有している会社から管理と運営を下請けで請け負っている会社に勤務している。
客の安全管理は運営を請け負っている僕たちの会社の義務なのであるが、業務が始まった1年前、安全管理マニュアルというものが無かった。僕はここでは窓際の傍観者であるので、そんなものを作る義務はないのであるが、いくらなんでもそういうものがないのはまずいんじゃないかと思って暇をみつけて作ったのが去年の夏ごろだ。しかしそれは、たまたま、去年の今頃、コロナの緊急事態宣言のおかげで休業していたので施設の所有会社が防災講習というのをやってくれたものだからそこで聞いた話と前の職場で習ったことを合わせて作っただけのものだ。もし、緊急事態宣言がなければそれさえも作れなかったかもしれないというほど管理会社からの情報もないのが事実だ。
ここは大きいビルの一部になっているのでビルの防災部門とも連携しなくちゃいけないのでこれをたたき台にして施設の所有者と話し合いをしてくださいと上司に渡して10か月近くは経とうとしている。僕は窓際なので親会社である施設の所有者側の偉い人にお目通りをさせてもらえるような身分ではないのでその後はどうなったかということなど気にはしていなかったのだが、この事故があってあらためて現場の係長に聞いてみたが「う~ん、知らないですね~。」という寂しい答えだった。
一番怖いのは地震なのだろうが、現場のスタッフでその時にどういう行動をしなきゃいけないかということを知っている人がどれだけいるのだろうかと思うと恐ろしくなるのだ。何かあったとき、1637段の階段を下りてゆく方法を知らないのである。事実、ついふた月ほど前にも、気分が悪くなった客のために救急車を呼ばなくちゃいけないところ、誰も呼んでいなかったというトラブルが起こっていた。これなども僕が作ったマニュアルには自分たちで119番通報しなければならないと書いてあったのだが、誰もそれを読んでいないものだからビルの管理部門に連絡したら呼んでもらえると思い違いをしていたことが原因だった。
遊園地や工事現場でも、杜撰な安全管理が原因で事故が起きたというニュースが忘れたころにまた出てくる。もちろん、そんな杜撰なところというのは多くはない。しかし、少なくもないと思っておいた方がよいように思うのである。
僕も含めてなのだろうけれども、惰性で仕事をしている人間は他人の安全などには関心がないのだ。
自分の身は自分で守らなくちゃいけないのが現代である・・。
条件:中潮 7:15満潮
潮流:6:16転流 8:10上り0.5ノット最強 10:24転流
釣果:ボウズ
またまた気がつけば2週間以上船に乗っていない。小船にいたっては3週間になろうとしている。本来なら先に小船に乗ってやらないといけないのだろうが、今日はあまりにも天気が良いので大きい方で出ることにした。
夜明けはどんどん早くなっている。出勤する日も起床時間は早くて土日祝は午前5時に起きているのだが、昨日、新聞を取りに表に出るとその時間では完全に明るくなっていた。いつの間にこんなに明るくなるのが早くなってしまったのだろうと驚いたのである。まあ、毎年のことではあるのだが・・。
今日は夜明け前には出港したいので午前4時過ぎには港に到着しておかねばならなさそうだ。
港への道中、少し明るさを見せてきた東の空にひときわ明るく輝く星が出ている。これは金星と木星だそうだ。画像を加工してやっと見えるほど暗いのだが、少し離れて小さく見えるのは火星だ。火星の斜め右上には土星が見えていたらしいがフレームからは切れてしまっている。残念・・。肉眼では見えないのだろうけれども金星と木星の間には海王星も並んでいるらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/1b/11f4b38e1947c8ba9b10d34e2023dcb1.jpg)
これでも相当早く家を出たつもりだったが、出港準備を整えてロープを解いたころには相当明るくなってしまっていた。今年も、夏至を迎えるころまではこうやって夜明けといたちごっこを繰り返すのだろうと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/80/5298a3cb0f364c6ddcfd39c1454aed5d.jpg)
今日の予定はというと、加太に到着した頃に潮が止まるはずなので、潮がそこそこ動くようになるまでは大和堆ポイントか四国沖ポイントでアジを狙ってみてその後真鯛狙いに転じてみようと考えている。
連休の中日なので船はかなり出ているのかと思ったが、そうでもない。むしろ少ないくらいだ。休日が多いとけっこう分散するのかもしれない。しかし、帝国軍の姿も見えないというのが不安材料だ。まだ下り潮が残っているので友ヶ島の北側にでも潜伏しているのだろうか・・。
田倉崎から海域を眺めてみると、テッパンポイント付近に数隻、四国沖ポイントに2隻、大和堆ポイントには船の影が見えない。これでとりあえずは四国沖ポイントからスタートに決定だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/56/22ccf38b5349596e0613cb0c0baec5ef.jpg)
いつものサビキ仕掛けをセットしてスタート。
魚探の反応はなく、アタリもない。しかし、しばらくして集まってきた数隻の中にはタモを入れている船がある。魚はいるようだ。
僕も底の方を意識しながら仕掛けを操るがまったくアタリがない。魚探の反応が時々は出るようになってきたがやっぱりアタリはない。これは仕掛けが悪いのかもしれないと、早々と毛糸の高仕掛けに変更してみた。それでもやっぱりアタリはない。
まだ潮は動き始めていない時刻だが、ここで粘っていてもダメだろうと判断してテッパンポイントへ移動。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/2d/d75a9ff5b5b296f7bb1a6cc1dd2f4084.jpg)
しかしここでもまったくアタリがない。第2テッパンポイントに移動してみてもダメだ。
潮は上っているはずだが、船は北向きに流れても仕掛けはついてこない。おそらく底潮は動いていないのだろう。だからアタリがないのかもしれない。ダメだな~と思いながら沖の方を見てみると、大和堆ポイントに船が集まってきている。ひょっとしてアジが釣れているのかもしれないと思い、最後の移動をおこなう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/eb/5d27a702b7d0019721ef5b7dd29f6972.jpg)
再びサビキ仕掛けに変更し、8センチのビニールを2センチほどカットしてみた。ひょっとして長い疑似餌には食いつかないのかと思ったけれども、結果は一緒だった。
ここでも時々、タモを入れている船を見たが僕の仕掛けには見向きもしてくれない。次の転流時刻まではやろうと考えてはいたけれども、ここで精根が尽き果て、午前9時で終了。
去年の今日も加太に来ていたが、アジを数匹釣っていたようだ。
ブログを読みかえしてみると、朝は寒かったが港に戻ったときには養翠園の庭でセミが鳴いていたというようなことが書いてある。今日はヤッケを羽織ってカッパのズボンをはいてちょうどいいというような気温であった。その差が釣果の差につながってきたのだろうか。
今年は山菜も遅れていて、それはきっと地熱の上がり具合が例年に比べて遅かったというのが原因だったのだろうけれども、水温も同じで、底潮が動かないというのも比重の重い冷たい潮が底の方に居座っていたからなのかもしれない。それじゃあ、前回はハマチが5匹釣れたという理由はどう説明するのかと問われてしまうが、釣り師の話の時制には現在がなく、あるのは過去と未来だけであるというのは昔からの習しなのだから仕方がない。状況が悪いのは”現在”だけなのだから・・。
しかし、今から思うと、底を釣らずに中層を探ってみればよかったのかと言ってもそれはあとの祭りだ。また、去年の仕掛けは同じサビキでも糸は細いものを使っていたようだ。道具箱にはひとつだけその仕掛けが残っていたのだが、それを使えばよかったと思うのも後の祭りにしかならないのだ。
ここにも”過去”の時制しか残っていなかったのである・・。
あまりにも長い間船に乗っていなかったからというのでもないだろうが、デッキの片隅に植物の小さな芽が出ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/62/3289cb1a747c05a4e48b1ef82f84cf11.jpg)
どこかから種が飛んできて、デッキに積もったホコリの中に根を伸ばしているのだろうが、種ができるのは秋ごろだと考えると、僕はいつからこの船の掃除をしていないのだろうかとちょっと驚いてしまうと同時に整備のほうも大丈夫だろうかと心配になってくるのである。今日の釣行は知床で観光船が沈没してから初めてということでもっと心配になるのである。
僕の船なんか構造が単純だからエンジンと舵さえきちんと作動していれば大丈夫なはずだ。先代の翠勝丸でやらかしたトラブルを教訓に、出港前は必ずエンジンオイルとギアオイルの残量を確かめ、舵はちゃんと回るかどうかを点検してから岸壁を離れるようにはしている。父親の口癖は、「ディーゼルエンジンの船は、エンジンが回っている限りは安全なのだ。」であったが、僕は今でもその言葉を信じている。
しかし、専門家に定期的にメンテナンスをしてもらっているわけではなく、船の老朽化も気になっている。燃料タンクやエンジンの各場所のシールは完全ではなさそうで色々なものが滲みだしてきている。それはおそらく致命的な故障ではないのだろうがなんだか気にはなっている。小船のほうもしかりだ。
でも、こういった心配は僕だけではなく、相当いろいろなところでそうなっていて、その心配が現実のものになってしまったのが知床の事故だったのだと思う。
同業者の人々は事故を起こした業者の杜撰な安全管理を非難するようなコメントを出してはいたが、案外、自分の所じゃなくてよかったと思っている人もいたのではないだろうか・・。
確かに、連絡手段がなくなってしまっていたというのはまったくの論外だとは思うけれども・・。誰かが、「早く帰ってこい。」とは言えなかったのだろうかと思うと残念ではある。
遭難した船長はどれほど海の経験がある人かは知らないが、僕みたいに一度でもそんな危険な経験をしていたらもっと別の行動ができたのかもしれないと思うとそれも残念である。
こんなことを考えてしまうのは、僕の職場でも同じようなものだからだ。
僕の仕事場はとある観光施設で、そこを所有している会社から管理と運営を下請けで請け負っている会社に勤務している。
客の安全管理は運営を請け負っている僕たちの会社の義務なのであるが、業務が始まった1年前、安全管理マニュアルというものが無かった。僕はここでは窓際の傍観者であるので、そんなものを作る義務はないのであるが、いくらなんでもそういうものがないのはまずいんじゃないかと思って暇をみつけて作ったのが去年の夏ごろだ。しかしそれは、たまたま、去年の今頃、コロナの緊急事態宣言のおかげで休業していたので施設の所有会社が防災講習というのをやってくれたものだからそこで聞いた話と前の職場で習ったことを合わせて作っただけのものだ。もし、緊急事態宣言がなければそれさえも作れなかったかもしれないというほど管理会社からの情報もないのが事実だ。
ここは大きいビルの一部になっているのでビルの防災部門とも連携しなくちゃいけないのでこれをたたき台にして施設の所有者と話し合いをしてくださいと上司に渡して10か月近くは経とうとしている。僕は窓際なので親会社である施設の所有者側の偉い人にお目通りをさせてもらえるような身分ではないのでその後はどうなったかということなど気にはしていなかったのだが、この事故があってあらためて現場の係長に聞いてみたが「う~ん、知らないですね~。」という寂しい答えだった。
一番怖いのは地震なのだろうが、現場のスタッフでその時にどういう行動をしなきゃいけないかということを知っている人がどれだけいるのだろうかと思うと恐ろしくなるのだ。何かあったとき、1637段の階段を下りてゆく方法を知らないのである。事実、ついふた月ほど前にも、気分が悪くなった客のために救急車を呼ばなくちゃいけないところ、誰も呼んでいなかったというトラブルが起こっていた。これなども僕が作ったマニュアルには自分たちで119番通報しなければならないと書いてあったのだが、誰もそれを読んでいないものだからビルの管理部門に連絡したら呼んでもらえると思い違いをしていたことが原因だった。
遊園地や工事現場でも、杜撰な安全管理が原因で事故が起きたというニュースが忘れたころにまた出てくる。もちろん、そんな杜撰なところというのは多くはない。しかし、少なくもないと思っておいた方がよいように思うのである。
僕も含めてなのだろうけれども、惰性で仕事をしている人間は他人の安全などには関心がないのだ。
自分の身は自分で守らなくちゃいけないのが現代である・・。
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