場所:住金一文字
条件:7:42満潮 13:22干潮
釣果:チヌ2匹(画像のうちの1匹はもらいもの)
3日連続の釣行というのはけっこうしんどいものだが、今回の連休は晴天続きだ。先週は風が強くて中止になったが3日目の釣りは2回目の住金一文字だ。
集合時間は午前9時。僕の釣行基準からするとかなりというかとんでもなくゆっくりなのでその前に雑賀崎の旧正月の風景を眺めに行ってみた。
何度かは訪れたことはあるけれども、恵美須神社にお参りしたのは初めてであった。漁船に大漁旗が飾ってあるだけかと思ったら神社にも飾りがしてあるというのを、今日釣りに連れて行ってもらうNさんから教えてもらった。というか、この飾りをしたひとりがNさんだというのである。
Nさんは僕より6歳ほど年上の人だが、なぜだかこういうボランティア活動をいろんなところでやっている。ご本人曰く、「みんな何でもワシにやらせようとするんや。」ということらしい。それだけ地元の人に頼りにされているということで、ご本にも進んでそういうことをさられるのでいい意味でのボランティアのスパイラルになっているのだと思う。
定年退職後は再就職せずに悠々自適でボランティア活動と釣りと磯遊び三昧の生活をしているそうだ。僕は経済的にまったく無理なことだが、なんともうらやましく理想的な生き方だ。
午前8時過ぎに恵美須神社に行くと、すれ違いでお膳に御神酒を入れる酒器と小皿を乗せた人が下りてきて、ああ、恵美須さんにお供えをしていたものを引き揚げてきたのだなと思っていた。神殿の前に着くと、板の上乗ったお米にお神酒をふりかけたものがたくさん乗っていて、辺りにはお酒の香りが漂っている。
ここでは恵美須神社にお参りをするときにはこんなことをやっているのかと思っていたら、漁師らしきひとたちが続々と最初にすれ違った人と同じものを持ってやってくる。お米とお神酒の正体はこの人たちが置いていったものらしい。よく観察してみると、お膳には酒器とお米が乗った小皿、小鯛や赤足エビが乗っている。
お参りしていた漁師さんに聞いてみると、ここではこういうお膳を持ってお参りに来るのだということであった。どういう意味がこもっているのだろうかと知りたくなる。古いしきたりが今でも残っているということはなんともいいことであるなと思う。
そういえば、お正月に来た時には何の飾りもなかったのでここでは旧正月のほうが重要な行事だということがよくわかる。隣の田ノ浦や和歌浦では今日はなんてことない普通の日曜日にしか過ぎない感じであったのだからここは正当な伝統を守っている貴重な存在なのである。
水軒なんか、漁港自体が消えてなくなってしまっているのだから大違いだ。
港に戻るとちょうどNさんの友人のNさんがやってきたところであった。今日もNさんとNさんの友人と僕の3人での釣行だ。
さっそく船に乗り込み住金一文字を目指す。意外と波が高く、加太に行っていたらかなり苦戦してしまいそうであった。
仕掛けの準備をしていざスタート。前回の釣行を参考にして今日は装備をいろいろ変えてきた。竿休めためのロッドキーパーをセリアで購入し、船に積んでいる椅子ももってきた。ライフベストは動きが制限されるので以前に使っていたヒップバッグを準備。これで快適に釣りをすることができる、かもしれない。
風と波に反して潮はぜんぜん動かない。前回はものすごかったエサ取りのフグもいない。これは厳しいなと思いながらも、釣果はどうかというよりもフカセ釣りという行為をすることができればそれでいいと思っているのでアタリがなくてもまったく気にならない。
ほかの二人もアタリがないようだが、しばらくしてNさんの友人が魚を掛けたようだ。
魚を掛けたまま移動してきて、「チヌ、いらんか?」と言ってくれるのだが、まあ、僕も釣り師の端くれ、人が釣った魚をもらうわけにはいかない。(と、言いながら1匹もらって帰ってきたのだが・・)この二人は頻繁にここに釣りに来てたくさん釣っているので基本、魚がいらないのだ。ちなみに、夕べは別の場所で夜釣りをしてアジを大量に釣ったらしい。
この時が時合だったのか、僕にもアタリがあった。30cmほどのチヌであった。これで3日連続ボウズを逃れた。朝から初詣をした甲斐があったというものだ。
その後はまた沈黙。ときおりフグが釣れる程度だ。
Nさんは護岸の反対側で釣りをしていたので様子を聞きに行くと、すでに3匹掛けたという。この人も魚がいらないので強引に引き抜こうとしたら途中で切れてしまい小さいのだけ取っているというのでこの魚をもらったというわけだ。
こっちがいいのかと思い、僕も護岸の裏に移動。その頃には干潮時刻になっていて中通しの磯竿では釣りをやりにくい。これは考えものだ。
午後2時が近づいたのでそろそろ帰り支度を始めようと撒き餌ブレンダーを海水に浸けてこびりついたエサをふやかせておこうと思い少し離れた水くみバケツまで持って行った帰り、釣り座のところでピクピク動くものがいる。こぼれ落ちた撒エサをついばんでいる鳥がいるのかと思ったら、僕の竿が海に落ちる寸前であった。ここは表側とうってかわってフグの数がものすごく、釣りをしている時間よりも鉤を結んでいる時間のほうが多いほどであったので仕掛けをほうり込んだままでも問題なかろうと油断をしていた。
僕の殺気が消えてチヌが喰いついたらしい。海面に引き込まれる寸前でグリップを掴んだ。
これも朝から初詣をしたご利益だったのだろう。
急に潮が流れ始め、ひょっとして再び時合到来かと思ったが悲しいかな時間切れだ。合計3匹あれば十分おかずになる。
とにかく、3日連続ボウズではなかったということがなによりも雑賀崎の恵比須様のご利益であった。
条件:7:42満潮 13:22干潮
釣果:チヌ2匹(画像のうちの1匹はもらいもの)
3日連続の釣行というのはけっこうしんどいものだが、今回の連休は晴天続きだ。先週は風が強くて中止になったが3日目の釣りは2回目の住金一文字だ。
集合時間は午前9時。僕の釣行基準からするとかなりというかとんでもなくゆっくりなのでその前に雑賀崎の旧正月の風景を眺めに行ってみた。
何度かは訪れたことはあるけれども、恵美須神社にお参りしたのは初めてであった。漁船に大漁旗が飾ってあるだけかと思ったら神社にも飾りがしてあるというのを、今日釣りに連れて行ってもらうNさんから教えてもらった。というか、この飾りをしたひとりがNさんだというのである。
Nさんは僕より6歳ほど年上の人だが、なぜだかこういうボランティア活動をいろんなところでやっている。ご本人曰く、「みんな何でもワシにやらせようとするんや。」ということらしい。それだけ地元の人に頼りにされているということで、ご本にも進んでそういうことをさられるのでいい意味でのボランティアのスパイラルになっているのだと思う。
定年退職後は再就職せずに悠々自適でボランティア活動と釣りと磯遊び三昧の生活をしているそうだ。僕は経済的にまったく無理なことだが、なんともうらやましく理想的な生き方だ。
午前8時過ぎに恵美須神社に行くと、すれ違いでお膳に御神酒を入れる酒器と小皿を乗せた人が下りてきて、ああ、恵美須さんにお供えをしていたものを引き揚げてきたのだなと思っていた。神殿の前に着くと、板の上乗ったお米にお神酒をふりかけたものがたくさん乗っていて、辺りにはお酒の香りが漂っている。
ここでは恵美須神社にお参りをするときにはこんなことをやっているのかと思っていたら、漁師らしきひとたちが続々と最初にすれ違った人と同じものを持ってやってくる。お米とお神酒の正体はこの人たちが置いていったものらしい。よく観察してみると、お膳には酒器とお米が乗った小皿、小鯛や赤足エビが乗っている。
お参りしていた漁師さんに聞いてみると、ここではこういうお膳を持ってお参りに来るのだということであった。どういう意味がこもっているのだろうかと知りたくなる。古いしきたりが今でも残っているということはなんともいいことであるなと思う。
そういえば、お正月に来た時には何の飾りもなかったのでここでは旧正月のほうが重要な行事だということがよくわかる。隣の田ノ浦や和歌浦では今日はなんてことない普通の日曜日にしか過ぎない感じであったのだからここは正当な伝統を守っている貴重な存在なのである。
水軒なんか、漁港自体が消えてなくなってしまっているのだから大違いだ。
港に戻るとちょうどNさんの友人のNさんがやってきたところであった。今日もNさんとNさんの友人と僕の3人での釣行だ。
さっそく船に乗り込み住金一文字を目指す。意外と波が高く、加太に行っていたらかなり苦戦してしまいそうであった。
仕掛けの準備をしていざスタート。前回の釣行を参考にして今日は装備をいろいろ変えてきた。竿休めためのロッドキーパーをセリアで購入し、船に積んでいる椅子ももってきた。ライフベストは動きが制限されるので以前に使っていたヒップバッグを準備。これで快適に釣りをすることができる、かもしれない。
風と波に反して潮はぜんぜん動かない。前回はものすごかったエサ取りのフグもいない。これは厳しいなと思いながらも、釣果はどうかというよりもフカセ釣りという行為をすることができればそれでいいと思っているのでアタリがなくてもまったく気にならない。
ほかの二人もアタリがないようだが、しばらくしてNさんの友人が魚を掛けたようだ。
魚を掛けたまま移動してきて、「チヌ、いらんか?」と言ってくれるのだが、まあ、僕も釣り師の端くれ、人が釣った魚をもらうわけにはいかない。(と、言いながら1匹もらって帰ってきたのだが・・)この二人は頻繁にここに釣りに来てたくさん釣っているので基本、魚がいらないのだ。ちなみに、夕べは別の場所で夜釣りをしてアジを大量に釣ったらしい。
この時が時合だったのか、僕にもアタリがあった。30cmほどのチヌであった。これで3日連続ボウズを逃れた。朝から初詣をした甲斐があったというものだ。
その後はまた沈黙。ときおりフグが釣れる程度だ。
Nさんは護岸の反対側で釣りをしていたので様子を聞きに行くと、すでに3匹掛けたという。この人も魚がいらないので強引に引き抜こうとしたら途中で切れてしまい小さいのだけ取っているというのでこの魚をもらったというわけだ。
こっちがいいのかと思い、僕も護岸の裏に移動。その頃には干潮時刻になっていて中通しの磯竿では釣りをやりにくい。これは考えものだ。
午後2時が近づいたのでそろそろ帰り支度を始めようと撒き餌ブレンダーを海水に浸けてこびりついたエサをふやかせておこうと思い少し離れた水くみバケツまで持って行った帰り、釣り座のところでピクピク動くものがいる。こぼれ落ちた撒エサをついばんでいる鳥がいるのかと思ったら、僕の竿が海に落ちる寸前であった。ここは表側とうってかわってフグの数がものすごく、釣りをしている時間よりも鉤を結んでいる時間のほうが多いほどであったので仕掛けをほうり込んだままでも問題なかろうと油断をしていた。
僕の殺気が消えてチヌが喰いついたらしい。海面に引き込まれる寸前でグリップを掴んだ。
これも朝から初詣をしたご利益だったのだろう。
急に潮が流れ始め、ひょっとして再び時合到来かと思ったが悲しいかな時間切れだ。合計3匹あれば十分おかずになる。
とにかく、3日連続ボウズではなかったということがなによりも雑賀崎の恵比須様のご利益であった。
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