まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

『三つ子の心、百まで』

2016年05月06日 | 読経の日々

自分のことを人間関係不得手とよく書きますが、実は、苦手なだけで、人間嫌いではありません。グループの中にいて、その雰囲気の中で、黙って参加している分にはいいのですが、うまく交流ができない。苦手なんです。

中年を迎えたあたりからのリアルのあたしを知っている知人にこんな話をしたら、十分すぎるくらい交流してるってと、爆笑されると思いますが。

PCを例にすれば、キーボードや音声認識、カメラは正常。CPUも問題なし。入ってきた情報は、まずまず処理できて、空気も多少は読めるんですが、DPが初期不良で、線が入ってしまいトラブル続きとでもいうのでしょうか。

『三つ子の心、百まで』という言葉がありますが、幼少期の環境・心情は人を形成する上でとても影響すると思います。

ごつごつしたいびつな幼少期、少年期でした。青年期は抑圧されたエネルギーを持て余しました。心の暴走を抑えきれなかった。

家庭を持ち、子供たちに恵まれ、その成長過程の中に自分を見つけ、それに教えられ少し大人になれました。

これまでの時間を振り返ると、失敗、ご迷惑、赤面だらけです。
世のためになったとか、人助けができたとかとは、およそ縁遠い。いつも自分のことで一杯いっぱいの時間でした。

でも、今、今日は、穏やかな心で過ごせています。

人生いって、生まれて、ただじたばたして死んでいく。
こんなもんでもいいのかな、と最近思います。

 

コメント (2)
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