房総横断ひとりウォーク、いすみ鉄道2は、大多喜駅近くにある夷隅神社で一日の安全を誓ってスタートしました。
前回と同じく、町営駐車場に車を止める計画たったのですが、夷隅神社の駐車場は、市が立たないときは、無料でどうぞ、という感じでしたので、町営駐車場の駐車代をお賽銭に上乗せして、甘えさせてもらうことにしました。
駐車場は神社裏手にあるので、参拝後、表参道を抜けると、大屋旅館さんという歴史のある旅館(旅籠)脇にでます。
久々に大多喜の街を少し歩いてみることにしました。
少し歩くと、本多氏の墓地がある浄土宗良玄寺があります。
公園として整備されて、トイレもきれいに管理されていました。
物は作ってもその後は草茫々というのが、財政の弱い房総の行政では普通ですが、大多喜町の力の入れ方が十分感じられました。
説明書きによると、この良玄寺を開いた僧侶了学は、のちに徳川家の菩提寺、芝増上寺の十七世となった人のようで、本多忠勝と徳川家康の親密な関係がしのばれます。
放送中の大河ドラマ、『真田丸』の中にも本多忠勝が登場し、家康の命で、娘の稲姫を家康の養女にして、真田信之に嫁がせるシーンがありました。これなども、本多忠勝と家康の厚い信頼関係、絆なのだろうな、とテレビをみていました。
稲(小松)姫が真田信之に嫁いたのが、1589年頃、忠勝が、房総の戦国大名里見氏のおさえとして大多喜に入ったのが1590年頃のようです。
関ケ原の戦いのあった1600年に伊勢国桑名藩に移っていますので、『真田丸』に登場する本多忠勝は、上総大多喜藩十万石の領主の時代です。
そうみると、今回の大河、ぐっと入ってくるものがありますね(笑)
地元民としては、ドラマの中の忠勝を、国政の中心で活躍する『おらげん、おやじ』としてみると、ドラマを2倍楽しめそうです。
このあたりが、本多忠勝、忠朝を大河ドラマに!ってことになるのでしょうか。
房総の国盗り物語に関心があった時期もあり、実はとても面白いと思っています。
でも、大河ドラマとなると、房総に根をはった、全国レベルのスターがいないのが残念です。
良玄寺に残る墓碑には、1613年、大多城内でなくなった忠勝の奥方。
1610年に63歳で病死したといわれる忠勝。
忠勝の次男で、大多喜藩を継ぎ、大多喜藩主として大坂夏の陣に加わり、1615年に亡くなった忠朝の名が見えました。
二代忠朝は、御宿沖で遭難したスペイン船員を保護したり、前回歩いた国吉駅、万木周辺の新田開発に尽力したなかなかの名君であったようです。
ただ、お酒がとても好きだったようで、お酒のしくじりで、最後は勇猛果敢に戦死したとのこと。
最期は、「酒のために身を誤るものを救おう」と遺言したらしく、現在は、『酒封じの神』として崇められているらしい。
(初めて知りました。& 月イチくらいで、良玄寺お参りしようかな!)
大多喜城下に入る、当時は房総の主要道だった三口橋に復元された木戸。
三口橋からみた、大多喜城といすみ鉄道鉄橋。
次の駅、小谷松からは、里山を走るいすみ鉄道らしい風景が広がります。
(実際に歩いた日:2016年5月12日)
房総横断ひとりウォーク(いすみ鉄道2)後編につづく。