前回はヨルダン滞在4日目、北部の国境付近の街ラムサとマフラクを訪れ、国境の向こうのシリアを眺めに行った話をした。今回はその続き、夕方にアンマンのラガダーン・バスターミナルに戻って来てからの出来事だ。
バスターミナルから近距離バスに乗って、ダウンタウンの中心のフセイニーモスク前の広場で降り、その脇にある青果市場に果物を買いに行った。
日本では高級果物のつぶれ桃(蟠桃)がてんこもり
絵心のあるディスプレイ
あんずとさくらんぼを少しずつ買った。私は中東を夏に旅したら、ビタミン補給のためにいつもこの2つを買う。どちらも洗っただけで簡単に食べられるからだ。つぶれ桃も皮をむかなくても食べられるし、甘くて瑞々しいから大好きなのだが、一口では食べられないから汁が垂れる可能性が高く、私にとってはやや難易度が高い。(めんどくさがり)
アンマンのダウンタウンの青果市場には、果物以外の物も色々売られている。
各種チーズ
ビニール袋入りのスパイス
乾物屋さん
漬物屋さん
真ん中にある瓶詰めは日本人好みのナスのオリーブオイル漬「マクドゥース」(胡桃や赤唐辛子、ニンニクのみじん切り等が挟んである)
果物を買い終わって、次に夕食用のシャワルマサンドでも買おうと近くの安食堂に向かう途中、通りかかった靴屋の入口で店員の若者(以下店員1)が茶トラの猫に喋りかけているのが目に入った。私が条件反射で写真を撮ろうとしたら、彼が自分は写りたくないから猫だけを撮るように言ったので、そうする。
この辺の靴屋のディスプレイは暖簾タイプが多い
モデル猫
私が靴屋の前で写真を撮っていたら、もう1人の店員の若者(以下店員2)が私を手招きし、店の脇の路地の片隅に置いてある段ボールのところに導いた。その中にはサバトラの猫がじっとうずくまっていた。身体の小さな、まだ若い猫だ。
店員2によると、この猫は出産中だが、胎児が途中まで出かかったままの状態で、もう2時間も経っているとのことだった。そう言われてみたら、おしりの辺りに何かそれらしきものがくっついている。猫には産み落とす体力が残ってないようで、いきむ気配はない。まだ1歳半くらいの子猫で、今回が初産だという。
彼らはその猫を助けたいが、安月給で獣医の料金が払えないから、何も出来ずに困っているとのことだった。ヨルダンは中東では物価がかなり高い方だが、そのわりに労働者の賃金はありえないほど低いのだ。よし、ここはたまたま通りかかった猫好きの外国人観光客(私)の出番だろう!
私が料金を支払うから獣医に連絡を取るように言うと、店員1がスマホで獣医を検索し、店の近くにあるところを見つけた。彼が電話をかけて事情を説明したところ、獣医さんは「子宮を広げるための薬を注射する、料金は8JD(約1600円)かかる」と言ったという。50JDくらいかかったらどうしようと内心ビクビクしていたのだが、意外に安い。問題ないから、その獣医に猫を連れて行こうと彼に伝え、一緒にその獣医に向かった。すぐ近くだったので歩いて行った。店員2は店番があるので残った。
店員1が段ボールごと猫を運び、私が彼について行った。
獣医さんはダウンタウンの裏通りの一角にあるしょぼくて狭い店(?)にいた。さすが、安いだけある…「ダウンタウンの動物用医薬品の倉庫」という意味の看板が出ているので、動物病院というよりも、薬の販売がメインなのかもしれない。
なんとなくうらぶれた外観
一瞬、「ここ、大丈夫なのか?」と不安になったが、中で私たちを待っていた獣医師は、意外にベテランの雰囲気を漂わせていて、猫を見て手慣れた様子で手袋をはめた。
まな板の上の猫
獣医師はまず、出かかっていた胎児を掴んで、ぐいっと引き抜いた。麻酔なしなので猫は痛がったが、暴れる力はなかった。それから彼は、子宮を広げるための薬をブスっと注射した。それで施術は終わり。一瞬の出来事だった。
「痛いにゃ~!」
料金を支払うにあたって、店員1が「これは国際的な人道問題だ!」と熱く主張して、なんとか負けてくれと交渉したところ、獣医師があっさり譲歩し、6JDでいいことになった。私が払おうとしたら、店員1が「申し訳ないから、自分も少し払う」と言って1JD札を差し出したので、結局私は5JD(約千円)しか払わなかった。
注射した薬の効果は1~2時間で出て、それから残りの胎児の出産が始まるということだった。引き抜かれた胎児は既に死んでいた。2時間も経っていたわけだから、仕方ないだろう。
猫をまた段ボールに入れて靴屋に運び(店員1が)、店の片隅に置いて、ちゅ~るを食べさせた。体力がない猫にはちゅ~るが一番だ。よかった、持ち歩いてて…
ちゅ~るは世界の猫を元気づける
猫はちゅ~るを必死に舐めていた。起き上がる力こそないものの、それなりの体力は残っているようだった。やがて、薬の効果が出始めたのか、舐めるのが億劫そうになった。
間もなく第2子の出産が始まった。猫はがんばっていたが、なかなか全身が出なかったので、私は猫をさすりながら励ました。その様子を見物する人々が集まってきて、店員2が猫と私について滔々と説明し始め、それを聞いて人々が大いに感心し、こちらを暖かい視線で眺めているのが感じられた。なんか美談になってるみたいだけど、私千円しか払ってないのに、勘弁してくれんかな…
ようやく第2子が誕生した。猫は羊膜を舐めて破ろうとしたが、すぐにやめてしまったので、私が破った。赤ちゃん猫を包んでいる羊膜を破るのは初めてで、ドキドキした。母猫は次の出産に気を取られているように見えたが、まだ始まる様子はなかった。
店の客が途切れたところで、店員1が今のよりも一回り大きい段ボールを持ってきて、古着のシャツを敷き、猫をそこに移した。店員2がそれを持って階段を上り、屋根裏の物置きスペースに置く。見事な連係プレーである。私もついて行った。
そこは他の猫が来なくて安全だから、一晩そこで過ごさせるという。水とエサを置いて、私たちは猫をそこに残した。
それ以上私にできることはなさそうだったので、その晩はもう帰って、翌日また様子を見に来ることにした。店員たちは、翌日は夜8時以降に来てほしいと私に頼んだ。それ以前だと店主がいて、猫がいることがバレると怒られるらしい。
なお、店員たちは、私に合わせてアラビア語のフスハー(標準語)を話してくれていたのだが、フスハーは普段使われている口語と違って文語的・時代劇的な趣があるので、私には「猫を助けていただいて、かたじけないでござる」「明日(みょうにち)、お目にかかりましょう」などと言っているように聞こえていた。
靴屋を出てから、当初行く予定だった安食堂に寄って、コシャリをテイクアウトしてホテルに帰った。コシャリはエジプト料理だが、ヨルダンでも食べることが可能だ。ヨルダンの飲食店の従業員はエジプト人が多いのだ。
ホテルに帰り着いたのは、8時半くらいだった。まずビールとワインを飲んで一息つき、シャワーを浴びてからコシャリを食べ、アラクを飲む。なんだかものすごく長い、濃い一日だった。全然違う内容の2本立ての映画を観たような感じだ。
コシャリは本場の味そのもので、非常に美味しかったが、量が多くて食べ切れなかったので、残った分は翌日食べることにして冷蔵庫に仕舞った。ホテルの部屋に冷蔵庫があるって、素晴らしい。
食べ終わった後もしばらくアラクを飲んでいたが、疲れが出たのか(単に飲みすぎかも)、そのうち眠り込んでしまった。
(続く)