外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

ポール先生の思い出

2011-12-07 02:48:06 | イタリア
本文に関係ないけど、エルサレム旧市街キリスト教地区の、鼻の黒いデブ猫さん




ポール先生の歩き方は特徴的だ。
地球の重力に上手く馴染めないでいる宇宙人みたいに、地面の5ミリ上あたりを長い脚でふわりとキックして、月面散歩のように歩く。歩くとき、彼は褐色に焼けた顔にいつも微笑みを浮かべている。なにか楽しいことが起こるのを待ち受けている少年のような、でも自分がもう大人になったことを知っているので、少し自重して用心しているような、そんな微笑だ。背が高い痩せ型のアングロサクソン系の男性に、こういうタイプを時々見かける。

イタリア滞在の最後の2年間、私はフィレンツェ大学の文学部に通っていた。学生用の滞在許可証を得るのがその目的である。イタリア語学習にはすでに飽き飽きしていたので(別にすらすらしゃべれるようになったわけじゃないけど)、あえてイタリア語・イタリア文学科を無視して、比較文化学を専攻することにした。これは要するに外国語・外国文学科みたいなものである。英語からサンスクリット語まで、様々な言語の授業があったが、私は第一外国語として英語を選択し、第二外国語としてアラビア語、第三外国語としてトルコ語を勉強することにした。

フィレンツェ大学の英語学科の講師たちは、みんなネイティブスピーカーである。ヨーロッパという土地柄、その大半はイギリス人だったが、アメリカ人やカナダ人、オーストラリア人の先生もいた。彼らは概してイタリア滞在が長く、イタリア語ペラペラなのだが、授業中はイタリア語が分からないふりをして、英語しか話してくれなかった。ポール先生(名字は忘れちゃった)はロンドン出身のイギリス人であり、訛りのないきれいなイギリス英語を話した。

最初の授業の時、確かポール先生はかなり遅刻してきた。待ちくたびれたころ、例の笑顔を浮かべながらふわふわと教室に入ってきた先生を見て、あらステキ、私この人についていくわ!と心に誓った生徒は私だけではあるまい。実際、彼はフィレンツェ大英語学科のアイドルだったと言っても過言ではない。なにしろ背が高くて男前で、ロマンスグレーで(年のころは40代の終りか、50代前半ってところ)、シンプルだが渋い色合いのセーターとジーンズを身に着けていて、授業の最初から最後までずっとファンキーな冗談を言っていて、テストの採点の仕方だって甘かったのだ。男の子も女の子も、生徒はみんなポール(ここから呼び捨てにします)のファンだったのも無理はない。

ポールが教えていたのは「英語の音韻学」という、とてもつまらない科目だった。英語のスペルと発音の関係とか、発音記号の書き方とか、二重母音や三重母音の構造とか、そういうやつだ。そんな科目であるにもかかわらず、生徒たち(ほとんどがイタリア人)の出席率は非常に良かった。これはひとえに彼の人徳のおかげであろう。そんな私も、先生に褒めてもらいたいがために、このつまらない科目を一生懸命勉強していた。先生に初恋をした女子中学生やあるまいし、いい年してなにやってんのん!と自分で自分にツッコミを入れながら…。

英語学科の先生は、出席を毎回とるのが決まりだったが、ポールは「今日はなんだか出席を取りたくない気分だから」と言って、いつも取らなかった。

彼は気分の浮き沈みがけっこう激しく、ある大雨の日、世界の終りみたいな、うちひしがれた顔をして教室に入ってきたかと思うと、「今日はなんだか全然働きたくない気分…」と暗い声で言うのだった。それを聞いた生徒たちが、「先生、じゃあ自習にしようよ、ジシュー、ジシュー!」と騒ぎ出したが、ポールは「そういうわけにもいかないんだよ」、と苦笑いして黒板に立ち、「では今からすごくつまらないことを説明します。あー、ほんとにつまらないっ」とぼやいてから、英語の二重母音の構造を説明しだした。そんな健気なポールを、私たち生徒は暖かく見守るのだった。

ポールはイギリス人なので、もちろんアメリカ英語を馬鹿にしている。一度など、アメリカ人のギルバート先生(彼もなかなか人気があった)に、「お前が変なこと(つまりアメリカ英語)を教えるから、生徒がみんなcontaminated(汚染された)、ぶつぶつ」、と文句言っていた。おっ、国際紛争勃発か?!と、聞いていた私はハラハラしたが、ギルバート先生は全然気にしていないようで(たぶんしょっちゅう言われているのだろう)、あっさり受け流していた。そんなポールとギルバート先生は仲良しだ。大人ってよくわからない。

授業中の雑談によると、ポールは娘さんと一緒にアメリカに旅行した時、のどが渇いたから喫茶店に入って、「Water(イギリス英語ではウォータと発音する)、please」、と頼んだが、通じなかったそうだ。グラスに水を注いで飲むふりをしたり、手を上下に揺らして波のジェスチャーをしてみたりして、手振り身振りで説明してみたけど通じない。最後に彼は、「アメリカ英語では母音のオがアに近くなることがあり、語中のTをRっぽく発音し、語末のRを無視せずに発音する(イギリス英語では、後に母音が続かないRは発音されない)」という、英語の音韻学の知識を思いだし、試しに「ワラ?」と言ってみたら、ウエイターが「OH、WATER!」と叫んで、やっと水を出してくれたそうだ。
「はっは、アメリカ英語って不思議だね、AMAZING!」とポールはおかしそうに笑うのだった。

彼の授業で一番印象に残っているのは、「worship」という単語の意味を習った時のことだ。この単語の動詞としての意味は、「崇拝する」だと説明しつつ、ポールは突然最前列の空いている椅子の上にひょいっと飛び乗り、私たちを見下ろしながら、「う~ん、これはなかなかいい眺め、You can worship me(僕のこと、崇拝してもいいよ)!」と宣言して、愉快そうに高笑いしたのだ。あのときのポールの雄姿は、今でも目に浮かぶ。愛しのポール先生、いつまでも元気に教壇に立っていてね。



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