前代未聞の激動のコロニャ情勢に翻弄されているうちに、もう今年も8月に突入した。
去年の旅行記を書き終えないまま1年が過ぎようとしている・・・まあそうなるとは思ったが。
と言いつつ、今回は旅行記を1回休みにして、まとめ書き日記。
これもほぼ1年ぶりだ。
7月某日
いつまでもいつまでもいつまでも梅雨が明けない。もう永遠に明けないのではないかという気がしてくる。
近所の公園には、雨の日にたくさんナメクジが出現して、地べたや石段の上でまったりしている。公園を根城にしている三毛猫のみけちゃんは、ナメクジについてどう思っているのだろうか。
私の想像では、こんな感じ:
みけちゃんはため息をつきました。毎日毎日雨降りで、辺りを歩き回ると、毛づくろいしたばかりのフカフカの毛がすぐびしょびしょになってしまいます。それに、地面にはこの妙にヌルヌルした不吉なものがじわじわと這いずっています。みけちゃんは思いました。「あ~あ、このヌルヌルしたやつが、全部ちゅ~るだったらいいのになあ。そしたら全部ぺろぺろなめて、お腹いっぱいになれるのになあ」
ナメクジは思いました。「・・・わし、ちゅ~るじゃなくてよかった」
みけちゃん
7月某日
家に引きこもって座るか寝るかばかりの生活をしているので、寝たきりにならないように毎日多少運動をするように心がけている。ラジオ体操(第1)と足上げ、そして片足立ちだ。
片足立ちは、目をつぶらずに立って、片足を10センチほど上げた状態で1分間キープするやり方で、左右交互に3回ずつやる。つまり合計6分間。携帯のストップウォッチ機能を使う。
壁に向かってやるのは退屈なので、窓辺に立って外を見ながら、窓の下の通りを行きかう人の数をカウントしながらやる。自転車の人と徒歩の人を区別せずにカウントし、左手の指を折り曲げるなどして、マスク着用の人を数える。右手では、マスクを着けていない人を数える。あごマスクの人は0.5として、左手で数える。ほとんどの人がマスクを付けているので、右手は大体暇である。
7月某日
通りを挟んだ隣のマンションから、賑やかな声が聞こえていた。
この建物は、しばらく前から全体がスッポリと黒いネットに覆われ、その周りに鉄の棒を組み合わせた建築現場のような土台が張り巡らされ、作業員の人たちがなにやら動き回っていたのだが、それが終わったらしく、今日は鉄の棒を取り外す作業をしているようだった。若者が1人下に立って、「ハ~イ!」と叫ぶと、上方の土台から外して紐で縛られた棒がスルスルと降りてくる。若者はそれを紐から外して脇に置き、また合図する。スルスルと紐が引き上げられ、しばらくするとまた別の棒が下りてくるという具合だ。
見物していると、ある時点で鉄棒が下の階のどこかにひっかかって、動かなくなった。若者はそれを見て、すぐに「行きま~す!」と声を上げ、建物を囲む鉄の枠組みを敏捷に登り出す。彼は建物3階分をほんの一瞬で登り、引っかかった棒を外し、また降りてきて作業を再開した。
う~む、なんという身体能力であろうか。彼は本当に私と同じ人類なのか。
マンション3階分のジャングルジムみたいな装置をスルスルと上り下りするなんて、私には一生できない。大体、下に立って鉄棒(重そう)を受け取るだけでも、ぼんやりしてたら頭にぶつかってしまいそうだ。私があの若者と同じことをしたら、きっと10分で3回ぐらい死んでいるだろう。
そのように驚嘆しながら作業風景を眺めていたのだが、一番驚いたのは、私以外に見物人がいないことだった。道を行く人は全員素通り。こんなサーカスのような離れ業が目の前で行われているのに・・・アラブ諸国やトルコやイタリアなら、どこからか野次馬が現れていたことだろう。日本って、不思議だ。みんな私みたいに暇じゃないというだけなのか、それとも私のように建物の中から眺めていた人が他にもいたのか。
7月某日
NHKの深夜ラジオの再放送で、日本のイタリアン界の大御所、片岡シェフが「イタリア料理には普通砂糖は使いませんが、シチリアではカポナータなどに砂糖を入れるんですよ。サラセン人の影響で」と言っているのを聴いて、ほう、と思う。
「サラセン人」とは、中世ヨーロッパでアラブ人ムスリムに対して使われた言葉だ。私が住んだことがあるシリアやヨルダン、エジプトなどでは基本的に料理に砂糖を使う習慣はないが、チュニジアやモロッコなどの北アフリカのマグレブ諸国では砂糖やドライフルーツを使うこともあるようだ。
そういえば昔、イタリアに行く前に京都の日本イタリア文化会館で会話のレッスンを受けていた時、シチリア出身のティーナ先生は、「トマトソースにはニンニクは入れた方がいいわね。あと、少し砂糖を入れてもいいのよ」と言っていた。私が「トマトソースはトマト水煮缶と塩、オリーブオイルだけで作る。玉ねぎは面倒だから入れない」と言った時にくれたアドバイスだ。イタリア料理には砂糖は使わないと思っていたので、少し驚いた記憶がある。ティーナ先生は日本語が流暢で、明るくて上品な女性だった。もうけっこうお年だと思うが、今はどうしてるんだろうか。ちなみに、私は甘めの料理が好きなので、トマトソースに砂糖を入れるが、シチリア以外ではこれは邪道であろう。
7月某日
アラブ人の特殊能力について考えてみる。
私はダマスカスにいる時に、「シリア人の若者って、ペットボトルに口を付けずに水を回し飲みするのが上手だ」と思ったことがある。これは他のアラブ人にも言えるのではあるまいか。知らんけど・・・
それから、彼らの中には、一度会話をした外国人のことを忘れないという、驚異的な記憶力がある人が結構いると思う。1度会わせただけの友達のことを何年経っても覚えていて、「彼女はどうしてる?」と聞いてきたりするのだ。この友達の場合は、かわいかったせいかもしれないが、他にも何度かこういう経験がある。そういえば、フィレンツェでアラビア語を習ったシリア人のサマル先生(当時50歳位)は、40人もいる生徒の名前を一回で覚えていた。私なんて、人の名前どころか、顔も覚えられないのに。
8月某日
ようやく晴れた爽やかな夏の一日。まさか梅雨が明けるとは・・・世界は驚きに満ちている。(明けて当然や)
夜中に仕事をしていて、ふと窓の外を見たら、ネズミが綱渡りをしていた。(写真は自粛しますっていうか、撮ってない)
正確には綱ではなくて、屋上から下に伸びている(またはその逆)何かのケーブルをよじ登っていたのだ。時々ケーブルから窓のサッシに降りて徘徊したりもしている。このネズミは、うちの窓のところにすずめの食べ残しの米があるのに目を付け、数日前からもう1匹と共にやってくるようになり、窓の隙間を探して中に入ってこようと執拗に試みているのだ。以前うちに入り込んでいたアルアラビーヤ君(参考)より大分小さい。血縁関係があるかどうかは不明。
ネズミに気を取られつつ仕事を続けていると、今度は部屋の中で黒っぽいものがサササササと動いた。黒くて立派なゴキさんである。1年ぶりくらいだろうか。以前置いたブラックキャップの効果がなくなったのであろう。(後で新しいのと入れ替えた)
そして、作業に使っているパソコンは、買ったときから思考が麻痺した時の私の脳のような働きぶり。2年ほど我慢したが、さすがに耐えかねて最近新しいものを注文したら、注文先から「納品は10月上旬になります出来るだけ早く届けるようにはするけどごめんねごめんねキャンセルしたり別の製品を注文したりするなら教えてね」というような趣旨のメールが届いた。きっとコロニャのせいだ・・・
前門のネズミに後門のゴキ。「前門の虎後門の狼」とはまた別の種類の脅威を感じる。そこにパソコンさんのイヤガラセが加わるのだ。
動揺しながらも懸命に心頭滅却しようと努め、無理やり仕事を続ける。
(おまけ)
モロッコ料理情報
https://www.kaze-travel.co.jp/blog/morocco_kiji011.html
片岡護シェフの店「リストランテ アルポルト」のホームページ。身分不相応なんで行ったことないけど。
(さらにおまけの猫写真)
右みて
左みて 安全確認は大事
疾風のように駆ける
(終わり)