ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

御礼の品

2024-12-21 15:28:16 | 日記

夫の友人へお礼に海産物を送ってきた。

喜んでくれるだろうかと考えながら選ぶのは楽しい。

そして夫の友人も、きっと同じ気持ちなのだろうと思う。

夫は学生時代を過ごした東京へ、ひとり旅をして帰ってきたばかりなのだが、東京で友だちに会ってきたという。

その友だちは、私も会ったことがあるが、今ではすっかり立派になって、夫が語る若き日の友人との思い出の数々が信じられない。

若き日の学生時代、東京で成人式を迎えた夫と友人たちは、お祝いしようと言うことになり、お金も無いのにうなぎを食べに行ったそうだ。

ところが会計になって、全員の持ち金を集めても足りないことが判明。

そこで夫が人質になって店に残り、他の友人らがお金を取り戻って、夫は無事解放されたそうだ。

他にもいろいろな思い出話を教えてもらったが、そんなお馬鹿な青春時代を過ごした学生時代の友だちと、六十代の半ばを過ぎた今でも続いていて羨ましいなと思う。

二十歳の時にはお金がなかった友だちも、今や某有名チェーン店のオーナーになり、遊びにきた夫のために、うなぎではなくて一日に数名しかお客を入れないという高級和食店に連れて行ってくれたそうだ。

高級食材をふんだんに使った美しい料理の数々が素晴らしくて、夫が写真を撮っていたら、友人はにこにこしながら「そうやって喜んでくれるのが、俺は一番嬉しいんだ」と言ってくれたとか。

夫曰く、友人は彼を頼ってくる人たちにいつも食事を奢ったり面倒をみたりしているのだとか。

「なかなかできないことだよ。あいつはよくやってる」と、夫はいつもそう言う。

本当にその通りだと思う。

優良企業のオーナーであり、趣味で高級外車をたくさん持ち、その高級外車の愛好者たちが集まる会に参加するために、ちょっと隣の街までと言った具合に簡単に海外まで出かけていく。

家庭では子どもはすでに立派に自立し、芸術家の奥さまは、ご自身の仕事に忙しくされているが極めて家庭円満という、まるで絵に描いたような幸せな成功者だ。

誰もがそうなりたいと思うかもしれない、、、そしてできることなら代わって欲しいと思うかもしれない。

でも輝かしい人生の裏に隠された、彼の大きな悲しみや大きな辛さを知ってしまうと、とても自分には耐えきれないと思う。

神さまは、その人に耐えられることしか与えないというのは本当だ。

だから夫の友人には、心から幸せでいて欲しいと願っている。

さて今回の旅で、夫は友人の家にもお邪魔して、ちょうど家にいらっしゃった奥さまとも話しをしてきたそうだ。

「芸術関係で活躍している人だけど、素朴でとてもいい人だったよ。きっとあなたと話が合う」と夫に言われて嬉しくなった。

写真では拝見したことがあるが、実際にお会いしてみたくなった。

東京で夫がお世話になった友人へと選んだ品、喜んでくれるといいなと思う。

 


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人生の時計

2024-12-16 20:22:46 | 日記

孫は夫を見ると「じぃじー」と言ってとても喜ぶ。

うちへ来ると、夫は大して遊んであげていなくて、ほとんど私が遊ぶのに不公平じゃないかと思う。

先日も孫とテレビ電話をしていたら、私には普通の笑顔だが、夫が顔を見せると目を輝かせた。

すると夫は待ってましたとばかり、面白い顔をして画面からいなくなってみたり、突然現れたりして孫を笑わせる。

そしてしばらく笑わせた後、夫は自分の用事をするためにいなくなるのだが、孫の悲しそうな顔と言ったらない。もう切なくなるくらい、、、

あとで夫に「画面からいなくなると、とても悲しそうな顔をするよ」と伝えると、夫は嬉しそうだったが「でもいつか画面から永遠にいなくなるんだよなぁ」と言った。

そう、いつか必ずみんな画面の中からいなくなる。

若い頃は、そんなことは考えもせず、永遠に画面の中に居られるような気がしていたが、還暦を過ぎると体力の衰えやら、その他の老化現象で、人生の残り時間が少なくなってきたことを実感する。

これは自分だけではないらしく、同世代の知り合いや友人たちも口を揃えて「やりたいことは、できるうちにやらないと時間切れになるよ」と言う。

ところで人生の時計というサイトを見つけた。

生年月日と性別を入れると、自分の人生の時計の時間が、今何時なのかわかる。

人生の時計 あなたの人生、いま何時?

早速やってみたら「あなたの人生は今、17 時 34 分」と出た。

さらにこんなコメントも。

新しいことをはじめても遅くはありません。

大丈夫、まだまだ間に合います。行ったことのない場所にも今からでも、きっとたどり着けますよ。

17時34分と言えば夕食前くらいかな。

まだ何かできる時間かもしれない。よ〜し! 行ってみますか。

まだまだ間に合う、行ったことのない場所に今からでも、きっとたどり着ける、という言葉に背中を押してもらえたような気がした。

 


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新しい言葉を覚える

2024-12-11 16:33:15 | 日記

孫が二歳になってから、言葉の数が急に増えてきた。

一歳までは「まんま」(ごはんのこと)とか「うま〜」(おいしい)など一つの単語だけだったのが、「まんま、おいしい」と二語文になり、今は三語文もたまに話すようになってきた。

さらに私たち夫婦のことも、これまでは一ヶ月も会わないと、すっかり忘れて人見知りで大泣きされていたのが、今はやっと祖父母だと認識した模様で、顔を見ると「じぃじ、ばぁば」と言ってくれるようになった。

ところが、たまに小さな文字を入れる場所を間違えることがあって、この前は「じじぃ、ばばぁ」と呼ばれた。日本語は難しい、、、

でもじじぃでもばばぁでも、小さな孫から呼んでもらえるのは嬉しい。

たった二年の間に親の話す言葉は、だいたい理解できるようになり、自分の伝えたいことを伝えることができるとは、この時期の子どもってすごい速さで脳が発達しているのかもしれない。

そして言語を覚えるには、やはり周囲からの話しかけなど、実践が一番と言うことだろうか。

ところで今さらなのだが、英語をまたやり始めた。

スーパー銭湯で会った英語を話す金髪マダムが、何か話しかけてたそうにこちらを見ていたが、英語ができない私は、なるべく視線を合わせないようにしていたことがあった。

あの時、もしも英語が話せていたら、楽しく会話ができたのではないかと残念に思っていた。

というわけで英語をもう一度学ぼうと思ったのだが、学ぶ方法はいろいろあり、どれを選べばよいのかわからなかったため、次女に教えてもらったDuolingoという外国語の無料学習アプリで、毎日少しずつ英語の学習をすることにした。

中学生くらいの初級レベルを選んだためストレスはなく、これなら続けられそうな気がしている。

ちなみに認知症予防にも語学の勉強は良いらしい。

最初は五分程度から始めたが、今は面白くて二十分くらいやっていることもあって、ゲーム感覚の英語学習にちょっとワクワクしている。

できるだけ(できれば簡単な会話ができるくらい)長く続けていきたいなぁと思っている。

 


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そうだ!京都へ行こう

2024-12-07 15:02:44 | 旅行

京都へ行ってきた。

航空会社のマイルが貯まっていたので、それを使ってどこかへ行こうということになり、家族で相談した結果「そうだ!京都へ行こう」となった。

京都といえば外国からの観光客が多すぎてオーバーツーリズムと聞いていたので迷ったが、紅葉も見頃を過ぎて、観光客も少し落ち着いたのではないだろうかという希望的観測で行くことにした。

混んでいそうな嵐山や清水寺、東福寺などの観光スポットは避けたものの、やはりそれなりに京都は混んでいた。

特にバス。

長蛇の列ができているバス停もあって、特に人気の観光スポットが途中にある便は、行きも帰りもだいたいが満員御礼だった。

乗っているのは、自分も含めて(外国人の)観光客が多く、バスを使う地元の方は、さぞ不便だろうと気の毒に思った。

その一方で札幌市内を走るバスも、これくらいとは言わないまでも、この半分くらいの人が乗ってくれたら、バス料金の値上げも減便もしなくて済むのにねと家族と話していた。

観光客がほとんど乗ることがない札幌市内を走るバスは、だんだん不便になっているように思うが、何か良い知恵は無いものだろうか、、、なんてことをバス会社の関係者では無いけれど、京都の満員バスに乗りながら考えていた。

ところで京都は、紅葉の時期は終わりかけていたものの、まだまだ美しい紅葉を見ることができた。

禅林寺の紅葉は本当に美しかった!ただし人気のスポットのため混雑はしていました、、、

あまり混んでいなくてゆっくりとできたのが、こちらの青蓮院(しょうれんいん)。

実は今回の旅で一番行きたかったのが、ここ青蓮院でキーヤンこと木村英輝さんの描かれた襖絵を見ることができる。

絵手ぬぐいが好きで、ネットでたまに絵手ぬぐいを見ているが、ある日、青い蓮の描かれた木村英輝さんの絵手ぬぐいを見つけた時には、もう一目で気に入ってしまった。

すぐに買おうと思ったのだけど、なんとか思いとどまったのは、実際に京都へ行って青蓮院で襖絵を見て、木村さんのお店(キーヤンスタジオ)へ行って買いたいと思ったからで、それまでの楽しみにしようと思っていた。

そしてついにその日がきたーー!

青蓮院は、もともと皇族出身で親王の称号を与えられた僧侶が門主を務めてきた寺院だそうだが、襖絵だけではなくお庭も素晴らしかった。

何より混雑していないのが良い。

今回はゆっくりお座敷に座って、お庭を堪能することができた。

そして買ってきた絵手ぬぐいをさっそく飾りました。

他にも買ったのだけど、これが一番欲しかった絵手ぬぐい。

青い蓮はとても珍しくて、実際に見たことはないが、前回行った高野山で青い蓮のことを知って益々好きになった。

青い蓮とは、仏教では仏の半眼を指していて、海のように深くものごとを見る目のことであり、慈悲の心を形容する言葉として仏教界では青い蓮が使われるそうだ。

この絵手ぬぐいを見るたびに、それを思い出したいものだと思う。


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別れた世界に生きること

2024-12-02 00:00:00 | 日記

銭湯へ行き、湯上がりに椅子に座って靴下を履いていると、近くにいた少し年上の女性から「靴下たくさん履いてるね」と言われた。

前にも書いたが、私は靴下の重ねばきをしている。

まず素足に履くのがシルクの五本指靴下で、その上に木綿の五本指、次にシルクの先丸の靴下を履き、一番上は木綿の先丸靴下で、合計四枚の靴下を重ねて履いている。

重ねばきをするのは、体温を上げるためで、以前は体温35°台という低さだったが、今は36°台になった。(もう少し上げたい)

でもそんなことをいちいち説明するのも面倒なので「はい、寒がりなもんで」と答えた。

すると、その女性が語り始めた。

「お昼のテレビでやってたんだけど、足の冷えはあんまりたくさん靴下を重ねて履いちゃダメなんだって。せいぜい二枚くらいにしないと逆効果になるって言ってたよ。重ねれば良いってもんじゃないよ」とテレビで紹介されていたことを教えてくれた。

この方が教えてくれたことは、間違ってはいない。

確かに重ねばきをする時に、あまり締め付けの強い靴下を履くと、血流が悪くなって逆効果になることはあるだろうし、靴下の素材によっては蒸れた時の汗によって、冷えるということもあるかもしれない。

「たくさん履けばいいってもんじゃないよ」と何度も繰り返して、女性はお風呂へ入って行かれた。

この女性は、自分の知っている知識を信じているから、やってはいけないと思い込んでいる靴下の重ねばきを目の前でしている私を見て、黙っていられなくなったのだろう。

そして、私もこの女性と同じことをしていると思った。

自分が良いと信じている健康法を、病気になった親しい知人に話したことがある。

知人は黙って聞いてくれたけど、話しながら「あぁ余計なことを言ってしまった」と後悔していた。

そして後で謝った。

知人から相談された訳じゃないのに、自分が信じていることを話してしまったことが、とても恥ずかしかった。

それからは話題作りの一つとして、相手に笑ってもらえたらいいなと自分の健康法を披露することはあっても、それをまるで勧めるように話すことは絶対にしないでおこうと決めた。

話すことは相手のためではなくて、自分のためだったとわかった出来事だった。

たとえば、もしもこれが本当に相手を心配してのことであれば、三年前の注射の時のように嫌がられようが怒られようが、わかってもらおうと必死になって説得すると思う。

それをしないのなら、余計なことは言わない方がいい。

所詮、しろうとの健康法。自己満足で楽しんでいるくらいがよいのだろう。

ところで最近同じこの世界に生きて、時々話もするのに、まったく違う世界に生きていると感じるようになった人が増えたと思う。

銭湯で出会った女性もそうだが、わりと親しかった人でもそう思うことが増えた。

別に仲が悪くなった訳でもないのに、前は感じることが無かった違和感をとても感じることが多い。

どちらが正しいとか、正しくないとかではなくて、ただもう別の世界に生きているのだなと思う。

自分が信じる世界を、それぞれが生きている。

自分が信じている健康法の違いなどという些細なことではなくて、もっと根本から違ってきている。

聞いたことがある「人類は二つに別れていく」という精神世界のお話。

当時はよくわからなかったが、もしかしたらこの事なのかもしれないと思う。

でもそれによって優越感もなければ劣等感もない。強いてあると言えば「孤独感」

これまで親しかった人たちと、もう違う世界に住んでいるのだと思うと、寂しさが湧き上がる。

根本では繋がっているとわかっていても、やはりたまに孤独感を感じる。

でも私たちの胸の中には、いつも神さまがいる。

その一番大切なことを思い出す時、私は決して孤独ではないと思うことができる。

 


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