ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

眠るための方法

2025-02-16 12:26:17 | 日記

前は夜に布団に入ってから眠るまで、とても時間がかかっていた。

ちなみに80%近くの人は、布団に入ってから眠るまでにかかる時間は三十分未満だが、残り20%以上の人は三十分以上かかっているとか。

私もその20%に入っていて、三十分くらいで眠れたらラッキーで、一時間以上眠れないのは当たり前だった。

ひどい時は二時間も三時間も眠れない時があり、これは年齢が上がると共に増えていった。

若い頃は直ぐに眠れたと思うのだが、年齢と共に眠れなくなってきたのは、眠ることにもエネルギーがいるのだろうかと思う。

とはいえ私より年上の夫は、五分くらいか長くても二十分で気を失うというので、エネルギーの有無はあまり関係ないのかな?本当にうらやましい。

寝る一時間以上前からスマホなどは見ないようにしているし、夕方お風呂にゆっくり浸かって、寝る前は軽くストレッチをしたり瞑想をしたり、心が落ち着く本を読んだりして過ごす。

そして「もう我慢できない、眠い!」という状態になってから布団に入るのに、布団に入ると一気に眠気が覚めるのは何故なのだろう。

そこで、布団の中で本を読んでみることにした。

すると一時間くらいで眠れることが多くなったが、寝るために部屋の灯りを消しに布団を出ると、また覚醒してしまうということも有って、まだ満足の入眠には至らなかった。

では布団の中で瞑想をしたらどうだろう。

瞑想なら暗い部屋でもできるから、部屋の灯りを消しに行くこともないし、そもそもいろいろな考えが頭に浮かぶから眠れなくなるので、瞑想で頭の中をできるだけ空っぽにすれば良いのではないだろうか、、、と思った。

そうしたらビンゴ!

五分から長くても二十分くらいで眠れるようになった。

すぐに寝てしまうので、瞑想という点では意味がないと思うが、すぐに眠れて、さらに何度も起きていた夜中のトイレも、朝方まで起きなくなったというおまけまで付いて本当に嬉しい。

ただちょっと気になることがある。

それは鮮明に覚えている夢をしばしば見るようになったこと。

前に眠れなかった時は、見た夢をあまり覚えていなかったが、瞑想してから眠るようにしたら、見た夢をよく覚えているようになった。

その夢というのが面白くて、昔関わりのあった人たちの夢を見ることが多い。

今ではもう関わりが無くなった人たちで、普段はほとんど思い出すことが無くなった人たちの夢を見る。

それもどんどん時間をさかのぼっているかのように、関わりがあった年代が、新しい順から古い時代へと移っている。

最初の頃は、現在も関わりがある人たちの夢だったが、それが会社員だった頃に関わりがあった人たちになり、短大へ通っていた頃の人たちになり、高校時代になり、、、と、すっかり忘れていた人や当時の出来事が夢に現れてくる。

このまま行くと、どこまでさかのぼるのだろうと、楽しみのような怖いような気がするが、ぐっすり眠れたという心地よさには変えられない。

とはいえ、それも瞑想で寝るからなのかも分からないので、しばらくはこの眠り方で行ってみようと思っている。

昨夜もよく眠ったのでスッキリの日曜の昼下がりです。

 


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時代は巡る

2025-02-10 21:45:43 | 日記

用事があって街の中心部へ出かけた時のこと。

とあるビルで用事を済ませて時計を見ると、時間はちょうどお昼になっていた。

ビルで働いているスーツ姿の人たちが、お昼ご飯に行くためにたくさん出てきた。

横を通り過ぎて行ったのは、上司と思われる年配の男性と、その後ろを小走りで着いて行く部下らしき若い男性。

大股で歩いて行く上司らしき男性を見て、気分は一気にOL(古いかな)をしていた頃にタイムスリップした。

「あぁ、この人にそっくりな上司がいたなぁ。厳しい人で仕事の報告する時はもう緊張したわ、、」

その方が、後ろから横を通り過ぎて行ったからよかったものの、前から歩いてきたらもっと緊張したかもしれない、というくらい雰囲気が似ていた。

その二人を見ている自分は、もう完全に後ろを小走りで着いて行く若い人になっていた。

一瞬、会社員をしていた二十代に戻ってしまったが、よく考えてみれば、その上司っぽい男性は多分、、いや間違いなく、自分より年下だと言うことに気づいてしまった。

あの人もこの人も、ビルから出てきたビジネスマンたちは、もうみんな自分より年下なのだという事実にちょっと愕然とした。

当時の厳しかった上司は、自分より二十と数歳くらい歳上だったので、今は八十代後半か、、、

と言うことは、上司は当時まだ四十代だったのだという事実にも驚く。

今は四十代はまだ若いと思っているが、自分が二十代の頃は、立派なおじさんに見えていた。

「めぐるーめぐるーよ、時代は巡るー」

そんな歌が頭の中に流れた時間だった。

ところで昨日は、長男夫婦が二歳になる孫を連れて遊びに来てくれた。

玄関に入っただけで大泣きして、人見知りがひどかった孫も、今はすっかり慣れてニコニコの笑顔で家に入ってくる。

そして直ぐに私の手を掴んで、部屋の探検が始まる。

「ばぁば、こっち」「これナニ?」「あれとって」

お昼ご飯の用意をしなければいけないのに、なかなか解放してもらえず、お嫁さんが気づいて連れて行ってくれたので、やっと台所に戻ることができた。

お昼ご飯を食べ終えた後は、孫とたっぷり遊んでへとへとに。

やっぱり自分が子育てをしていた頃とは違う、、、気力も体力も衰えている。

(やっと)帰る時間になった時、孫が「ばばも行こう」と何度も言ってくれた。

「ばぁば」じゃなくて「ばば」と呼ばれたのは、ちょっと気になったけど、「ばばぁ」じゃないからいいや、、なんて。

でも一緒に行こうと言ってくれるなんて嬉しかった!ばばぁでも良いと思える。

二十代の会社員だった頃から四十年が経って、お姉さんから婆婆になった。

四十年ってすごく長いようだけど、歳を取ってみれば、あっという間だったように感じる。

嬉しかったことも悲しかったことも、今となってはすべて良い思い出。

めぐるーめぐるーよ、時代は巡る

 


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天才と凡人

2025-02-06 16:36:09 | 日記

見るからに聡明そうな一人の男の子がいる。

年は10〜11歳くらいだろうか。

何にでも興味を持ち、植物が好きみたい。

そして私にはよくわからないが、物理や化学にとても興味があるようだ。

そばにお父さん?がいて男の子の質問に丁寧に答えている。

「わかった!」という男の子の元気な声がした。

この子以外にも聡明な赤ちゃんが、今産まれて来ているようだ。

信じられないくらい言葉が早い。

早いと言うのは話すスピードではなくて、言葉を覚えて話し始める時期という意味。

この子たちが20代、30代の大人になったら、どんな風に世界は変わるのだろう。

あと15〜20年くらい?とても楽しみだ。

これは夢物語ではなくて現実になる(と思う)。なって欲しいと願う。

ところで言葉と言えば、私の英語学習のその後。

相変わらず熱中しているのは変わりはないのだけど、やめたことがある。

それは、レースに参加しないこと。

duoligoでは、自分のアバターを作って、一週間ごとに順位が出る仕組みになっている。

この順位によって、さらに上のレベルに上がれるか、同じレベルに留まれるのか、または降格するのかが決まるのだが、最初はよく分からず、なんとなく上がっていっているなぁくらいにしか思っていなかった。

ところが仕組みがわかってくると、レベルを上げるためについつい頑張るようになってしまった。

レベルが上がるにつれて、参加している人たちが、めちゃくちゃ頑張って順位を上げようとして、ものすごい速さで点数を稼いでいる。

自分より上の順位の人を抜くと、すぐに抜き返してくるという、、私もまんまとこの学習サイトの戦略にハマり、点数を稼ぐために無理をして勉強してしまった。

でも何のために英語学習をしているのか、楽しみで始めた英語なのに、ストレスになっていることに疑問を抱くようになった。

点数を稼ぐことだけを目的にすると、表面だけをなぞるだけの勉強になりがちだったが、実は基本的なことがあやふやな状態のままで終わっているということに気づいた。

というわけで、自分自身の脳に少しでも刻み込まれるように、これからは時間をかけてゆっくりやって行こうと思った。

ところでそんな母を見かねて、次女が本を貸してくれた。

「参考書は読む気がしなーい、だって難しいんだもーん」と心の中で思ったが、せっかくの次女の好意だ、仕方がない、最初の数ページくらいは読もうと思って読み始めてみれば、これが意外と面白い。

参考書というより、読み物として普通に面白かった。

というわけで、最初の話題から何の関係もない私の趣味の話になってしまった。

あえて関係付けるとすれば、次世代を生きる天才くん達と、人生の半分以上を終えてしまった凡人の違いというお話でした。

 


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友人とのメール

2025-02-01 21:22:24 | 日記

出会って三十三年になる長い付き合いのママ友からメールをもらった。

彼女とは誕生日が近いので、数日を挟んでお互いにおめでとうメールのやりとりをする。

まず先に私の誕生日に来た彼女からのメールの近況報告に「親の介護で少し疲れています」と書かれていた。

ちょうど一年前、隣り町で一人暮らしをする彼女のお母さんが大腿骨を骨折をされた。

彼女は母親を札幌の病院に入院させると、毎日のように病院へ通っていた。

九十歳を越えているので、一時はこのまま寝たきりかと思われたが、お母さんの頑張りと彼女の献身的な介護によって、また自宅に帰って一人暮らしを続けることができた。

ところが、やはり骨折前と同じには戻らなかった。

身体が不自由になったお母さんのサポートをするために、片道一時間半をかけて、数日おきに実家に通っていると聞いていたが、それが今でも続いていたとは知らなかった。

それは「少し疲れている」くらいではないのかもしれない。

数日後、彼女の誕生日だったので、今度はこちらからメールをした。

さりげなくお母さんの様子を尋ねてみたのだが、思ったとおり以前の彼女と違ってとても暗かった。

「少し認知症も出てきたようで、理不尽なことを言われてつらい、でもそれは病気だから仕方がないと思って、笑顔を作って受け流している」とあった。

他人は「もう一人暮らしは無理だから、施設に入ってもらったら良いのでは?」と思うのだが、優しい彼女は「家でずっと暮らしたい」というお母さんの願い通りにしてあげたいと思っている。

でも彼女のメールの最後が気になった。

「私はとても90歳以上まで生きる気がしないし、生きたくない。子どもに迷惑はかけたくないです」

私たちがまだ31歳で、それぞれ赤ちゃんを抱えて、慣れない育児と家事をあたふたしながらやっていた頃、お母さんから食べ物の入った小包が届いたことや、たまに手伝いにも来てくれることを、彼女から聞いたことがある。

すでに母が居なかった私は、羨ましいなぁと思いながら、本当にいいお母さんだなぁと思っていた。

だから彼女も今、頑張って介護をしているのだと思う。

子どもに迷惑をかけたいと思う親はいない。

でも歳を取れば、いくら迷惑をかけないようにしたいと思っていても、必ず多少なりとも誰かのお世話にならなければいけない。

彼女もそれをわかっているから「生きたくない」という言葉になったのだろう。

他にも彼女と同じことを言いながら、親の介護をしている知人が二人いて、二人とも自分の時間がほとんど持てないくらい大変そう。

自分を産み育ててくれた親には、精一杯のことをしたいと思いながらも、現実では介護の過酷さがある。

悲しいなぁと思う。

 


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確信したこと

2025-01-27 21:54:35 | 日記

旅行に行っている時を除いて毎日行う先祖供養だが、多くのご先祖たちが、私たち子孫を守るように背後にいらっしゃること、そしてこちらから話しかけることは、しっかり届いていることをとても感じる。

たとえば亡くなって三十年以上が経った母。

今はもうあまり存在を感じなくなってしまったが、前は亡くなった母に弟や妹のことを相談すると、数日後に二人から「お母さんが夢に出てきた」と言われることが何度かあった。

夢の中で、まさしく私が母に相談していたことを母から言われたという。

弟と妹には、亡き母に相談していたことはもちろん言っていなくて、「ヘェ〜そうなんだ」と言いながら、初めて知ったように平静を装っていたが、内心では「ホントに伝わってる!」と驚いていた。

それは母だけではなくて父も、それから血のつながりはなくても供養をしているご縁のある方々も、夢や気配や額に映る映像などを使って、言いたかった事を伝えてきた。

だから人は亡くなっても身体が無いだけで、生きている時と同じように伝え合うことができるのだと思えるようになった。

でもご先祖様というのは、自分の知っている方ばかりではない。

むしろ知らない方のほうが、大半を占めている。

直接は知らなくても、昔その人がたしかに存在していたことを知っているなら、こちらから意識を向けるとちゃんとそれを受け取ってもらえることを感じる。

そして自分がまったく知らない大勢の方々にも、もちろん供養はしっかり届いている。

私は自分のことを祈ることは、ほとんど無いのだけど、いざという時には背後に大勢の方々が、勢揃いして下さることを感じる。

だから病気に苦しむ知人が、少しでも楽になるように祈る。

知人に縁がある方が、力になってくれるように。

もしかすると、その病気は自身が選んできたものなのかもしれないが、現実に苦しんでいるのを聞くのは辛い。

ところで数日前に知人の家族から「病状が少し回復して食事が摂れるようになった」と連絡をもらった。

そして転院して面会ができるようになったと聞いて病院に行ってきた。

回復したと言っても病気が治るわけではないので、まだとても苦しそうに息をしていたが、「少し太ったの」と言って細い腕を見せてくれた。

少しであっても良くなって本当によかった。

自分の祈りが通じたからとは思わないが、知人にご縁のある方々が、力を貸してくださったのではないだろうかと思う。

私たちが子どもや孫を心配するように、ご先祖たちも同じような気持ちで見ていらっしゃる。

最近それをますます確信している。


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