ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

カラス

2025-02-26 14:48:33 | 日記

朝起きて窓の外を見ると、雪の上に動物の足あとがたくさんついている。

きつねかあらいぐまの足あとかもしれない。

家の周りには、たくさんの動物がやって来るので、新雪の積もった朝は、動物がどこを歩いたのかがわかって楽しい。

日中はあまり見ないもののエゾシカやウサギなどもいる。

エゾシカの足あとが庭についていた時には、鉢合わせしなくてよかったと胸を撫で下ろした。

エゾシカはかなり大きいので、近くで見ると怖く感じる。体当たりされたら飛んで行くかも、、、

また庭の餌台には野鳥も来る。

いつも餌台に置くのはお米で、この度は鳥用のクズ米が例年の三倍くらいの値に上がっていてびっくりだった。

このままの値段なら、これからは普通の鳥の餌を買った方がいいのかなぁと思ったりする。

とはいえ餌台に来る小鳥たちに癒されている毎日。

そんな小鳥たちに混ざって、たまにやってくるのがカラスで、大きな体を屈めて小さな餌台に乗り、一生懸命にお米を食べようとしている。

でもくちばしも大きいので、小さなお米は食べ難いようだ。

しばらくすると、あきらめて飛んでいってしまう。

ところでカラスにも縄張りというのか、生息地が決まっているようで、庭に来るのはいつも同じカラス。

カラスはみんな同じように黒いが、毎日見ていると微妙な違いがわかるようになった。

そして時々裏の木に止まって休んでいたりするが、私が外に出ると飛んできてくれるし、散歩に出かける時は、途中まで着いて来るので、だんだんと愛着が湧いてきた。

いつも餌台にお米をあげているのを知っていて、何かもらえるのではないかと来るのだと思う。

「ごめんね、食べるものは無いよ」と話しかけると、わかっているのか、いないのか、小首を傾げて聞いているような仕草をするのもまたかわいい。

「最近のゴミ置き場は、ほとんどが金網でできたものになったから、ゴミの中から食べ物を見つけることができなくなっちゃったよね」

なんてことをカラスに向かって話しかけている。

ちなみに今やって来るカラスは、ここに暮らし始めて、カラスと話す?ようになってから代替わりした若いカラス。

カラスは何年くらい生きるのだろう。

三年目くらい前まで懐いていたカラスは、いつの間にか姿を見せなくなり、今はこの若めのカラスがよく来てくれるようになった。

このようにカラスに話しかけているつもりで、亡くなったオカメインコのP太郎にその姿を重ねている自分がいる。

 


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いつか行く道

2025-02-21 15:46:34 | 日記

まだ暗い朝方に夢を見た。

夢の中で葬儀に参列していた。とても悲しくて涙が止まらない。

誰の葬儀なのだろうと、涙を流しながら夢の中の祭壇を見ると、先日お見舞いに行った知人の葬儀なのだとわかった。

ところがその日の朝、夢を見ていた時間に知人が亡くなったと知らせを受けた。

気になっていたから夢を見たのだろうか。

知人はその後、体調がさらに良くなり、帰宅するためのリハビリも始めたと聞いていたが、容態が急変したらしい。

最期は眠るように亡くなられたそうだ。

ご遺体はすぐに葬儀場に運ばれたと聞いて、家族と一緒に駆けつけたが、夢の中と同じように悲しくて涙が止まらなかった。

私たちと同じように駆けつけた方々の中で、ほかにもお二人が「今朝、夢に出てきた」とおっしゃっていたので、朝の夢は最後の挨拶に来てくれたのかもしれない。

間質性肺炎になってから今年で三年目。

最後の時期は、喋ることも食べることもつらそうだったので、家族には悲しさはあるものの、やっと楽になれたねと思う気持ちの方が大きい。

そして「たられば」の話は、意味がないとわかっていても悔しい。

さてお通夜が終わってからの会食は、久しぶりに懐かしい顔が揃った。

コロナが起こってから会っていなかった人ばかりで、久しぶりの再会で話は弾み、弾みすぎて大きな笑い声があちこちから聞こえてきた。

賑やかな会になって、きっと故人も喜んでいるだろうと思う。

会食に参加していた医師をしている方が「亡くなった人は、人と人を結んでくれる」とおっしゃっていた。

お医者さんの話ではなくて、お坊さんの法話を聞いているような気分になりながら、その通りだなぁと思っていた。

その方は昔から知っているが、これまでは論理的に物事を語り、そのようなことを言うような人ではなかったが、職業柄たくさんの人の死に出会ってきて、いろいろと思うことがあったのかもしれない。

というわけで、もう知人の姿を見ることも声を聞くこともできないことはとても寂しいが、今頃は思いっきり深呼吸をしているのではないかと思うと、少し気持ちが楽になる。

誰もがいつか必ず行く道。

今という時を懸命に生きようと思う。

 


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眠るための方法

2025-02-16 12:26:17 | 日記

前は夜に布団に入ってから眠るまで、とても時間がかかっていた。

ちなみに80%近くの人は、布団に入ってから眠るまでにかかる時間は三十分未満だが、残り20%以上の人は三十分以上かかっているとか。

私もその20%に入っていて、三十分くらいで眠れたらラッキーで、一時間以上眠れないのは当たり前だった。

ひどい時は二時間も三時間も眠れない時があり、これは年齢が上がると共に増えていった。

若い頃は直ぐに眠れたと思うのだが、年齢と共に眠れなくなってきたのは、眠ることにもエネルギーがいるのだろうかと思う。

とはいえ私より年上の夫は、五分くらいか長くても二十分で気を失うというので、エネルギーの有無はあまり関係ないのかな?本当にうらやましい。

寝る一時間以上前からスマホなどは見ないようにしているし、夕方お風呂にゆっくり浸かって、寝る前は軽くストレッチをしたり瞑想をしたり、心が落ち着く本を読んだりして過ごす。

そして「もう我慢できない、眠い!」という状態になってから布団に入るのに、布団に入ると一気に眠気が覚めるのは何故なのだろう。

そこで、布団の中で本を読んでみることにした。

すると一時間くらいで眠れることが多くなったが、寝るために部屋の灯りを消しに布団を出ると、また覚醒してしまうということも有って、まだ満足の入眠には至らなかった。

では布団の中で瞑想をしたらどうだろう。

瞑想なら暗い部屋でもできるから、部屋の灯りを消しに行くこともないし、そもそもいろいろな考えが頭に浮かぶから眠れなくなるので、瞑想で頭の中をできるだけ空っぽにすれば良いのではないだろうか、、、と思った。

そうしたらビンゴ!

五分から長くても二十分くらいで眠れるようになった。

すぐに寝てしまうので、瞑想という点では意味がないと思うが、すぐに眠れて、さらに何度も起きていた夜中のトイレも、朝方まで起きなくなったというおまけまで付いて本当に嬉しい。

ただちょっと気になることがある。

それは鮮明に覚えている夢をしばしば見るようになったこと。

前に眠れなかった時は、見た夢をあまり覚えていなかったが、瞑想してから眠るようにしたら、見た夢をよく覚えているようになった。

その夢というのが面白くて、昔関わりのあった人たちの夢を見ることが多い。

今ではもう関わりが無くなった人たちで、普段はほとんど思い出すことが無くなった人たちの夢を見る。

それもどんどん時間をさかのぼっているかのように、関わりがあった年代が、新しい順から古い時代へと移っている。

最初の頃は、現在も関わりがある人たちの夢だったが、それが会社員だった頃に関わりがあった人たちになり、短大へ通っていた頃の人たちになり、高校時代になり、、、と、すっかり忘れていた人や当時の出来事が夢に現れてくる。

このまま行くと、どこまでさかのぼるのだろうと、楽しみのような怖いような気がするが、ぐっすり眠れたという心地よさには変えられない。

とはいえ、それも瞑想で寝るからなのかも分からないので、しばらくはこの眠り方で行ってみようと思っている。

昨夜もよく眠ったのでスッキリの日曜の昼下がりです。

 


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時代は巡る

2025-02-10 21:45:43 | 日記

用事があって街の中心部へ出かけた時のこと。

とあるビルで用事を済ませて時計を見ると、時間はちょうどお昼になっていた。

ビルで働いているスーツ姿の人たちが、お昼ご飯に行くためにたくさん出てきた。

横を通り過ぎて行ったのは、上司と思われる年配の男性と、その後ろを小走りで着いて行く部下らしき若い男性。

大股で歩いて行く上司らしき男性を見て、気分は一気にOL(古いかな)をしていた頃にタイムスリップした。

「あぁ、この人にそっくりな上司がいたなぁ。厳しい人で仕事の報告する時はもう緊張したわ、、」

その方が、後ろから横を通り過ぎて行ったからよかったものの、前から歩いてきたらもっと緊張したかもしれない、というくらい雰囲気が似ていた。

その二人を見ている自分は、もう完全に後ろを小走りで着いて行く若い人になっていた。

一瞬、会社員をしていた二十代に戻ってしまったが、よく考えてみれば、その上司っぽい男性は多分、、いや間違いなく、自分より年下だと言うことに気づいてしまった。

あの人もこの人も、ビルから出てきたビジネスマンたちは、もうみんな自分より年下なのだという事実にちょっと愕然とした。

当時の厳しかった上司は、自分より二十と数歳くらい歳上だったので、今は八十代後半か、、、

と言うことは、上司は当時まだ四十代だったのだという事実にも驚く。

今は四十代はまだ若いと思っているが、自分が二十代の頃は、立派なおじさんに見えていた。

「めぐるーめぐるーよ、時代は巡るー」

そんな歌が頭の中に流れた時間だった。

ところで昨日は、長男夫婦が二歳になる孫を連れて遊びに来てくれた。

玄関に入っただけで大泣きして、人見知りがひどかった孫も、今はすっかり慣れてニコニコの笑顔で家に入ってくる。

そして直ぐに私の手を掴んで、部屋の探検が始まる。

「ばぁば、こっち」「これナニ?」「あれとって」

お昼ご飯の用意をしなければいけないのに、なかなか解放してもらえず、お嫁さんが気づいて連れて行ってくれたので、やっと台所に戻ることができた。

お昼ご飯を食べ終えた後は、孫とたっぷり遊んでへとへとに。

やっぱり自分が子育てをしていた頃とは違う、、、気力も体力も衰えている。

(やっと)帰る時間になった時、孫が「ばばも行こう」と何度も言ってくれた。

「ばぁば」じゃなくて「ばば」と呼ばれたのは、ちょっと気になったけど、「ばばぁ」じゃないからいいや、、なんて。

でも一緒に行こうと言ってくれるなんて嬉しかった!ばばぁでも良いと思える。

二十代の会社員だった頃から四十年が経って、お姉さんから婆婆になった。

四十年ってすごく長いようだけど、歳を取ってみれば、あっという間だったように感じる。

嬉しかったことも悲しかったことも、今となってはすべて良い思い出。

めぐるーめぐるーよ、時代は巡る

 


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天才と凡人

2025-02-06 16:36:09 | 日記

見るからに聡明そうな一人の男の子がいる。

年は10〜11歳くらいだろうか。

何にでも興味を持ち、植物が好きみたい。

そして私にはよくわからないが、物理や化学にとても興味があるようだ。

そばにお父さん?がいて男の子の質問に丁寧に答えている。

「わかった!」という男の子の元気な声がした。

この子以外にも聡明な赤ちゃんが、今産まれて来ているようだ。

信じられないくらい言葉が早い。

早いと言うのは話すスピードではなくて、言葉を覚えて話し始める時期という意味。

この子たちが20代、30代の大人になったら、どんな風に世界は変わるのだろう。

あと15〜20年くらい?とても楽しみだ。

これは夢物語ではなくて現実になる(と思う)。なって欲しいと願う。

ところで言葉と言えば、私の英語学習のその後。

相変わらず熱中しているのは変わりはないのだけど、やめたことがある。

それは、レースに参加しないこと。

duoligoでは、自分のアバターを作って、一週間ごとに順位が出る仕組みになっている。

この順位によって、さらに上のレベルに上がれるか、同じレベルに留まれるのか、または降格するのかが決まるのだが、最初はよく分からず、なんとなく上がっていっているなぁくらいにしか思っていなかった。

ところが仕組みがわかってくると、レベルを上げるためについつい頑張るようになってしまった。

レベルが上がるにつれて、参加している人たちが、めちゃくちゃ頑張って順位を上げようとして、ものすごい速さで点数を稼いでいる。

自分より上の順位の人を抜くと、すぐに抜き返してくるという、、私もまんまとこの学習サイトの戦略にハマり、点数を稼ぐために無理をして勉強してしまった。

でも何のために英語学習をしているのか、楽しみで始めた英語なのに、ストレスになっていることに疑問を抱くようになった。

点数を稼ぐことだけを目的にすると、表面だけをなぞるだけの勉強になりがちだったが、実は基本的なことがあやふやな状態のままで終わっているということに気づいた。

というわけで、自分自身の脳に少しでも刻み込まれるように、これからは時間をかけてゆっくりやって行こうと思った。

ところでそんな母を見かねて、次女が本を貸してくれた。

「参考書は読む気がしなーい、だって難しいんだもーん」と心の中で思ったが、せっかくの次女の好意だ、仕方がない、最初の数ページくらいは読もうと思って読み始めてみれば、これが意外と面白い。

参考書というより、読み物として普通に面白かった。

というわけで、最初の話題から何の関係もない私の趣味の話になってしまった。

あえて関係付けるとすれば、次世代を生きる天才くん達と、人生の半分以上を終えてしまった凡人の違いというお話でした。

 


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友人とのメール

2025-02-01 21:22:24 | 日記

出会って三十三年になる長い付き合いのママ友からメールをもらった。

彼女とは誕生日が近いので、数日を挟んでお互いにおめでとうメールのやりとりをする。

まず先に私の誕生日に来た彼女からのメールの近況報告に「親の介護で少し疲れています」と書かれていた。

ちょうど一年前、隣り町で一人暮らしをする彼女のお母さんが大腿骨を骨折をされた。

彼女は母親を札幌の病院に入院させると、毎日のように病院へ通っていた。

九十歳を越えているので、一時はこのまま寝たきりかと思われたが、お母さんの頑張りと彼女の献身的な介護によって、また自宅に帰って一人暮らしを続けることができた。

ところが、やはり骨折前と同じには戻らなかった。

身体が不自由になったお母さんのサポートをするために、片道一時間半をかけて、数日おきに実家に通っていると聞いていたが、それが今でも続いていたとは知らなかった。

それは「少し疲れている」くらいではないのかもしれない。

数日後、彼女の誕生日だったので、今度はこちらからメールをした。

さりげなくお母さんの様子を尋ねてみたのだが、思ったとおり以前の彼女と違ってとても暗かった。

「少し認知症も出てきたようで、理不尽なことを言われてつらい、でもそれは病気だから仕方がないと思って、笑顔を作って受け流している」とあった。

他人は「もう一人暮らしは無理だから、施設に入ってもらったら良いのでは?」と思うのだが、優しい彼女は「家でずっと暮らしたい」というお母さんの願い通りにしてあげたいと思っている。

でも彼女のメールの最後が気になった。

「私はとても90歳以上まで生きる気がしないし、生きたくない。子どもに迷惑はかけたくないです」

私たちがまだ31歳で、それぞれ赤ちゃんを抱えて、慣れない育児と家事をあたふたしながらやっていた頃、お母さんから食べ物の入った小包が届いたことや、たまに手伝いにも来てくれることを、彼女から聞いたことがある。

すでに母が居なかった私は、羨ましいなぁと思いながら、本当にいいお母さんだなぁと思っていた。

だから彼女も今、頑張って介護をしているのだと思う。

子どもに迷惑をかけたいと思う親はいない。

でも歳を取れば、いくら迷惑をかけないようにしたいと思っていても、必ず多少なりとも誰かのお世話にならなければいけない。

彼女もそれをわかっているから「生きたくない」という言葉になったのだろう。

他にも彼女と同じことを言いながら、親の介護をしている知人が二人いて、二人とも自分の時間がほとんど持てないくらい大変そう。

自分を産み育ててくれた親には、精一杯のことをしたいと思いながらも、現実では介護の過酷さがある。

悲しいなぁと思う。

 


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