出会って三十三年になる長い付き合いのママ友からメールをもらった。
彼女とは誕生日が近いので、数日を挟んでお互いにおめでとうメールのやりとりをする。
まず先に私の誕生日に来た彼女からのメールの近況報告に「親の介護で少し疲れています」と書かれていた。
ちょうど一年前、隣り町で一人暮らしをする彼女のお母さんが大腿骨を骨折をされた。
彼女は母親を札幌の病院に入院させると、毎日のように病院へ通っていた。
九十歳を越えているので、一時はこのまま寝たきりかと思われたが、お母さんの頑張りと彼女の献身的な介護によって、また自宅に帰って一人暮らしを続けることができた。
ところが、やはり骨折前と同じには戻らなかった。
身体が不自由になったお母さんのサポートをするために、片道一時間半をかけて、数日おきに実家に通っていると聞いていたが、それが今でも続いていたとは知らなかった。
それは「少し疲れている」くらいではないのかもしれない。
数日後、彼女の誕生日だったので、今度はこちらからメールをした。
さりげなくお母さんの様子を尋ねてみたのだが、思ったとおり以前の彼女と違ってとても暗かった。
「少し認知症も出てきたようで、理不尽なことを言われてつらい、でもそれは病気だから仕方がないと思って、笑顔を作って受け流している」とあった。
他人は「もう一人暮らしは無理だから、施設に入ってもらったら良いのでは?」と思うのだが、優しい彼女は「家でずっと暮らしたい」というお母さんの願い通りにしてあげたいと思っている。
でも彼女のメールの最後が気になった。
「私はとても90歳以上まで生きる気がしないし、生きたくない。子どもに迷惑はかけたくないです」
私たちがまだ31歳で、それぞれ赤ちゃんを抱えて、慣れない育児と家事をあたふたしながらやっていた頃、お母さんから食べ物の入った小包が届いたことや、たまに手伝いにも来てくれることを、彼女から聞いたことがある。
すでに母が居なかった私は、羨ましいなぁと思いながら、本当にいいお母さんだなぁと思っていた。
だから彼女も今、頑張って介護をしているのだと思う。
子どもに迷惑をかけたいと思う親はいない。
でも歳を取れば、いくら迷惑をかけないようにしたいと思っていても、必ず多少なりとも誰かのお世話にならなければいけない。
彼女もそれをわかっているから「生きたくない」という言葉になったのだろう。
他にも彼女と同じことを言いながら、親の介護をしている知人が二人いて、二人とも自分の時間がほとんど持てないくらい大変そう。
自分を産み育ててくれた親には、精一杯のことをしたいと思いながらも、現実では介護の過酷さがある。
悲しいなぁと思う。