先日久しぶりに一人暮らしをしている父の家を掃除に行ったが、とても汚れていたので、また掃除をしに行ってきた。
もちろん、ずっと父の様子も気にかかっていた。
父の家へ行くと、一週間前に掃除をしたので、部屋の中はそれほど汚れていなかったが、やはりトイレが汚かった。
何故か壁にも便が付いていたりして、父の周りもそこはかとなく臭う。
父の寝ている万年床の布団をめくってみると、シーツに便が付いていた。
多分、もらしてしまったのだろう。
・・・という事は!?
すぐに父の所へ行き、着ていた寝巻きを着替えさせた。
父に聞いても、汚してしまったことは分かっていないようだった。
とりあえず洗濯機を回しながら、トイレの掃除に取り掛かる。
でも、今日の父はボケている様子もなく、割と頭がはっきりとしていて、色々な話をしてきた。
親戚の話、父が飼っている小鳥の話、父が応援しているサッカーチームの成績についてなど・・・
ほとんどは父が話し、私はただ相槌を打って聞いていただけだが、話すことが好きな父なので、上機嫌で話し続けていた。
話を聞いてあげることも、また親孝行のひとつ・・・
父の近くに妹がいてくれるとは言え、もうそんなに父に残されている時間はないのかもしれないと思うと、後で後悔しないように、できるだけ父に会いに行かなければという気持ちになっている。
いくらやっても後悔しないということはないのかもしれないけれど。
亡くなった母に対しても、いくつか後悔をしていることがある。
母は余命3ヶ月と宣告を受けるまで、普段と変わらずに元気だった。
母が亡くなる一年前に、私はその合図を受け取っていたのに、自分のことを優先にして母を健康診断に連れて行ってあげなかったから、手遅れになってしまったのだ。
母に「人間ドッグをプレゼントしてあげるね」と言いながら、私がすぐに実行に移さなかったから・・・
その時は、家族の誰かが亡くなるなんて絶対に考えたくなかったし、これは単なる自分の勘違いでしかないと思っていた。
だから、そんな知らせは見なかったことにして、いつものように当たり前に何でも母にやってもらっていた。
その後、亡くなるまでの3ヶ月間の入院生活では、心残りが全くないと言えば嘘になるけど、自分の出来る限りの看病はできた。
でも、母に本当の病名を隠してしまったことは、とても後悔している。
今は病院で本人にきちんと余命を教えるのかもしれないが、当時は家族に「どうしますか?本人に言いますか?」と確認された。
父が「本人には伝えません」と言ったので、母が亡くなるまで「必ず治る」と言って嘘をついた。
どんどん弱っていく身体をもてあましながら、母の心の中は疑心暗鬼で一杯になっていたのではないかと思う。
母が亡くなった後も、私はしばらく後悔にさいなまれていたが、ある出来事があって以来、母は許してくれているという確信を得て、やっと心が楽になった。
しかし、その時以来、何か人にやってあげようと思ったら、すぐに実行に移そうと心に決めた。
それは行動に限らず、言葉かけも同じで、よい言葉はその時すぐに口に出して言ってあげる。
それから夫婦の間で喧嘩をしても、こちらからさっさと謝ってしまう。
ずっと嫌なムードのまま、永遠にお別れになってしまったとしたら、これまた大後悔してしまうだろうから。
そんなわけで・・・
いつやるか?今でしょう
と、テレビで林先生がおっしゃるたびに、一人深くうなずく今日この頃なのです。。。
もちろん、ずっと父の様子も気にかかっていた。
父の家へ行くと、一週間前に掃除をしたので、部屋の中はそれほど汚れていなかったが、やはりトイレが汚かった。
何故か壁にも便が付いていたりして、父の周りもそこはかとなく臭う。
父の寝ている万年床の布団をめくってみると、シーツに便が付いていた。
多分、もらしてしまったのだろう。
・・・という事は!?
すぐに父の所へ行き、着ていた寝巻きを着替えさせた。
父に聞いても、汚してしまったことは分かっていないようだった。
とりあえず洗濯機を回しながら、トイレの掃除に取り掛かる。
でも、今日の父はボケている様子もなく、割と頭がはっきりとしていて、色々な話をしてきた。
親戚の話、父が飼っている小鳥の話、父が応援しているサッカーチームの成績についてなど・・・
ほとんどは父が話し、私はただ相槌を打って聞いていただけだが、話すことが好きな父なので、上機嫌で話し続けていた。
話を聞いてあげることも、また親孝行のひとつ・・・
父の近くに妹がいてくれるとは言え、もうそんなに父に残されている時間はないのかもしれないと思うと、後で後悔しないように、できるだけ父に会いに行かなければという気持ちになっている。
いくらやっても後悔しないということはないのかもしれないけれど。
亡くなった母に対しても、いくつか後悔をしていることがある。
母は余命3ヶ月と宣告を受けるまで、普段と変わらずに元気だった。
母が亡くなる一年前に、私はその合図を受け取っていたのに、自分のことを優先にして母を健康診断に連れて行ってあげなかったから、手遅れになってしまったのだ。
母に「人間ドッグをプレゼントしてあげるね」と言いながら、私がすぐに実行に移さなかったから・・・
その時は、家族の誰かが亡くなるなんて絶対に考えたくなかったし、これは単なる自分の勘違いでしかないと思っていた。
だから、そんな知らせは見なかったことにして、いつものように当たり前に何でも母にやってもらっていた。
その後、亡くなるまでの3ヶ月間の入院生活では、心残りが全くないと言えば嘘になるけど、自分の出来る限りの看病はできた。
でも、母に本当の病名を隠してしまったことは、とても後悔している。
今は病院で本人にきちんと余命を教えるのかもしれないが、当時は家族に「どうしますか?本人に言いますか?」と確認された。
父が「本人には伝えません」と言ったので、母が亡くなるまで「必ず治る」と言って嘘をついた。
どんどん弱っていく身体をもてあましながら、母の心の中は疑心暗鬼で一杯になっていたのではないかと思う。
母が亡くなった後も、私はしばらく後悔にさいなまれていたが、ある出来事があって以来、母は許してくれているという確信を得て、やっと心が楽になった。
しかし、その時以来、何か人にやってあげようと思ったら、すぐに実行に移そうと心に決めた。
それは行動に限らず、言葉かけも同じで、よい言葉はその時すぐに口に出して言ってあげる。
それから夫婦の間で喧嘩をしても、こちらからさっさと謝ってしまう。
ずっと嫌なムードのまま、永遠にお別れになってしまったとしたら、これまた大後悔してしまうだろうから。
そんなわけで・・・
いつやるか?今でしょう
と、テレビで林先生がおっしゃるたびに、一人深くうなずく今日この頃なのです。。。