11月4日の北海道新聞に「忘れられた薬害」今も公的支援なくという記事が載っていた。
忘れられた薬害とは、1960年代、70年代に風邪の治療などとして脚や腕の筋肉に大量、かつ多数回にわたって、抗生物質などを注射した子どもが「筋拘縮症」(または筋短縮症)を発症した薬害のことだ。
筋萎縮症とは、太腿の大腿四頭筋や腕の三角筋などが伸縮しなくなる病気で、これが表に出たのは、1973年、山梨県内で脚に異常のある子どもが多数いると報告されたことがきっかけだった。
その後の調べで国内には少なくとも一万人から三万人の患者がいると推定され、日本小児学会は76年、安易な注射を避けるよう求める提言を発表し、発症事例は激減したのだという。
しかし、1970年代後半から全国各地で裁判が起こされ、注射が原因の「大腿四頭筋短縮症」の症例が報告されていることが明らかになったそうだ。
当時、3地裁の一審判決では製薬会社の責任を認めたものの、国の責任は認定されず、製薬会社は裁判を起こした患者とその家族に和解金を支払ったが、国は責任を負わない内容で和解が進んで全訴訟が終了した。
そして、薬害被害者の子どもたちは筋拘縮症の症状の悩みを抱えたまま成長した。
乳児の頃、脚に筋肉注射をうけた人は、幼児期には膝が曲がらず、体育座りや走ることもできず、10歳で筋短縮症と診断され11歳で手術を受け、走ることはできるようになったが、動きにぎこちなさが残り、いじめのターゲットになったのだという。
また高卒後にバスガイドを目指して入ったバス会社では、役員から「体が不自由な人はいらない」という信じがたい言葉を投げられたりもした。
ほかにも小学校1〜2年生の頃、小児科で肩に少なくとも10回以上注射された事を覚えている女性は、10年前に46歳で手術を受けるまで脇を締めることも、両腕を前に伸ばすこともできなかった。
20代で出産した時は、赤ちゃんを抱くことができなかったそうだ。
当時の薬害被害者の子どもたちは、現在50代から60代になっているが、年をとるにつれて脚が上がらず、つまずきやすいなど、症状が悪化しているケースが増えているそうだ。
しかし、先にも書いたが、国は責任を負わない内容で和解したため、筋拘縮症が薬害であると認められたにもかかわらず、現在も公的な医療保障や相談窓口もない。
また自分が筋拘縮症だと知らずに生活している人が多くいると思われるのと同時に、医療機関でも筋拘縮症に関する知識が共有されておらず、適切な治療が受けられないまま不自由な生活をしている人が多数いるはずだということだ。
実は、夫も子どもの頃の注射によって、お尻の注射された部分がへこんでいる。
これは臀筋拘縮症と呼ばれるものだが、幸い夫はそのこと以外に自覚症状はなく普通の生活が送れているのでいいが、年と共にますます体の自由が利かなくなってきた方がいるのが気の毒だ。
夫によると、風邪で病院へ行くとよくお尻に注射をされたそうだが、同じく私も記憶がある。
風邪をひいて病院へ行くと、よく痛い注射(筋肉にうつので痛かった)を打たれたものだった。
たまに注射をしない医師がいると、親は「あの先生はだめだ。注射をしてくれない」と言っていた。
注射を、ありがたがっていた親世代。
小さな子どもには、注射をする、しないという選択はできない。
だから親は安易に注射を打ってはいけない。
現在、薬害筋短縮症の会というのがあるが、会に加わっている患者は、全国で約70人にとどまっているそうで、会では運営に携わってもらえる人の参加を呼びかけている。(薬害筋短縮症の会はネットで調べるとあります)