ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

彼岸の入り

2019-03-18 15:22:28 | 日記
朝方、久しぶりに父の夢を見た。

父は困ったような顔をして、私に話しかけてきた。

父からたくさん話をしてきたのだが、その中で非常に印象に残っているのは、「死んでみて、今生きている時にしたことをとても後悔している」ということだった。

「自分は我が強すぎた。他人の言葉に耳を傾けることをしなかったことを後悔している」ということを父は話していた。

確かに生前の父は、他人に対して少し見下すような所があり、会話でも一方的に話しまくるという、最も会話したくないタイプの人間ではなかったかと思う。

夢の中で後悔していると言いながら話す父の言葉を聞きながら、私もまた「困ったなぁ」と思っていた。

「今頃そんなことを言われてもなぁ。もう過ぎたことだしなぁ。でもどうにかしないとなぁ」
と思っていた。

生きている時、そんな父が嫌だと思っても、子供として親に忠告するようなことはできなかった。

またできたとしても、それを言うことで父を傷つけてしまうことが嫌だったから、また始まったかと思いながら、一方的に自分の話しかしない父の話を黙って聞いていた。

他人には何でもズバズバと物言う父だったが、内面はとても繊細な人だったから、一応、大好きな父だったので、苦々しく思うことはあっても父を傷つけるよりは黙っている方が気持ち的には楽だった。

生きている時に、ちゃんと言ってあげればよかったのだろうか?

いやいや、やっぱりできなかったなぁ・・・

夢の中で、父が話す後悔しているという事を「うんうん」と聞いている途中で目が覚めた。

まだ夜が明けきらない暗闇の中で、布団に横になったまま、今見た夢の事を思い返すと、父の困ったような顔がやけに鮮明に思い出された。

「そう言えば、今日は彼岸の入りじゃなかっただろうか」とふと思った。

母が亡くなったのも春のお彼岸の最中で、もうすぐ母の命日が来るのだが、それに合わせて、いつもあげているお線香よりも長い長寸のお線香を買っておいたことを思い出した。

そのお線香を早く父にあげたくて、明るくなるのが待ち遠しかった。

今朝の父の夢は、単なる夢でしかないのかもしれない。

しかし、こうして父の事を思い出していると、すぐ近くに父がいるような気がする。

父の場合は、早くに亡くなった母と違って87歳という寿命を全うしたと思っているので、私たち家族にとっては未練も後悔もないのだが、父本人が後悔しているのであればなんとかしてあげたいと思う。

たとえ、これが私の思い過ごしの夢であったとしても、父が困った顔をすることなく笑顔になれるまで供養をしたいと思う。

今日はお彼岸にふさわしい春の陽気。

この陽気で雪解けも一気に進むだろう。

私も亡くなってから後悔をしないように前へ前へ進もう・・・そう思ったお彼岸の入りでした。







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