ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

感謝の場

2015-07-04 16:40:47 | 日記
次女ピーチの住む街へ行く日が近づくにつれ、私の中で身が引き締まるような思いが高まってくる。

それは、ある神社へ参拝をしようと思っているからだと思う。

その神社は、今年ピーチが関東へ行くことになって初めて知った。

一体どのような神社なのかとネットで調べてみたが、社殿の写真を見るたびに畏れ多く、そして深い畏敬の念が湧いてくる。

こちらの神社への参拝は、私の中ではすでに始まっているのかもしれない。

神様の前に出た時に、自分自身に恥かしい気持ちなく、参拝をしたいと思う。

だから、少しでも心身を浄化するような気持ちで、今は感謝の言葉を心の中で繰り返す日々だ。

このような心境で神社へ参拝に行くというのは、自分で神棚を持って、毎日感謝の気持ちで手を合わせるようになってから。

それまでの私は、神社とは自分の願いを叶えてもらうようにお願いしに行く場だと思っていた。

昔、風水を勉強していた時、先生から「自分の吉方の神社に行くと良い」と教えられ、さらに「願い事のあとに自分の住所、氏名を付け加えること」とまで教えられた。

悪いことに神社も個人の祈願を受け付けているので、そこには何の疑問も感じていなかった。

当時は風水を一緒に習っていた方々と、どこの神社で祈願をしてきただとか、ご利益はどうだとか、そんな話をよくしていたが、今思うと穴があったら入りたくなるほど恥かしい。

そして、風水をやめてからも付き合いがあった風水仲間とは、自分の気持ちが変わってくると徐々に縁が切れていった。

それは私がその人たちから離れるというより、相手の方がどんどん離れて行った。

それまで親しくしていたので、なんとなく寂しくも思ったが、これでよかったのだと思う。

なぜなら、お互いに価値観の違いを感じ始めていたから。

相変わらず神社で祈願をして、それが叶った(一時的に)と嬉しそうに話す風水仲間を、私は今までとはなにか違った、とても冷めた感覚で聞くようになっていたので、いつかは離れることになったと思う。

ただ、神社は祈願をする場ではなかったと知ったことは、本当によかった。

あのまま神社に祈願を続けていたら、心の安定や安心を見つけようなんて考えも付かず、今も同じような願望や悩みを抱えていたかもしれない。

人間の欲望はキリがない。

ひとつの悩みが解決しても、不思議なことに、また新たな悩みや願いが生まれるものだ。

そして、いつまでたってもぐるぐると同じような場所を回り続けている。

神棚を祀り、毎日感謝の心で手を合わせる行為が、こんなにも自分自身に変化をもたらしたことは驚きだ。

ところで、もしかしたら今回の旅の目的は、ディズニーシーでもなく、ピーチの部屋の掃除でもなく、この神社への参拝なのではないかと思えるくらい、日を追うごとに期待と緊張感とが高まっている。

心を込めて感謝の参拝をしてこようと思っている・・・が、台風が近づいているとかで、どうなることやら。

天候が荒れないことだけは祈っている。




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