間質性肺炎を患っている知人が、入院したと連絡をもらった。
間質性肺炎と診断されてから、あっという間に酸素ボンベなしでは暮らせなくなってしまった。
酸素を吸いながら、なんとか簡単な料理を作っていると聞いていたが、それがついにできなくなり、そして寝たきりになってしまった。
とても我慢強くて、苦しくてもそれを周囲に言わない知人が「息が苦しい」と、近くに住む家族に連絡したと言うから、余程だったのではないかと思う。
病院は今も面会ができないため、家族から病状を伝え聞いているだけだが、あまり良くないようだ。
まだ六十代。まだまだ平均寿命には時間があるのに、なんの治療もなくて徐々に苦しさが増していくのを耐えるだけ、ただ死が訪れるのを待つしかないとは、なんて残酷な病気なのだろう。
そして、それを近くで見守るしかできない家族の辛さを思うと、気の毒で仕方がない。
前回体より心という記事を書いたが、こうして知人の病いを聞くと、なんとかして身体が楽になる方法は無いものだろうかと思う。
でも私にできることは祈ることしかない。
知人の苦しみが、少しでも癒されますようにと毎日祈る。
ところで昨年出版されたちょっと古い「暮らしの手帖」という雑誌を読んでいたら、とても心に響く文章が書かれていたので書き写しておこうと思う。
新雪を一歩一歩、踏みしめて歩くように、新しいこの一年を、この日々を、歩んでいこう。
いのちをいただいて、料理を拵え(こしらえ)、たべること。
暖かい寝床で、体を伸ばして眠ること。
大切なあの人と、おしゃべりをして笑い合うこと。
そんな何げない行為の一つひとつが、じつはとてもかけがえのないものだと、胸に落ちるようになった、いまだからこそ。
自分の手の中に「暮らし」を引き寄せて、何が大事で、何が不要か、見極めていこう。
他者の痛みを想像し、できることを考えよう。
この世界がどうあったら心地よいか、そのためには、いったい何を選んでいけばいいか。
考え続けることを、あきらめないでいこう。