うろこ雲がとってもきれいで、いかにも秋らしい空。
これは団地の給水塔かな?
歩き出せば汗ばむ感じ、日陰は涼しく、風が爽やかな日となりました。
土手道を上流に向かいます。
途中、色づきはじめた柿の実と葉。
団栗の青い実も見ましたよ。
風で揺れるのでフォーカスがぶれてしまってうまく撮れませんでした。
民家の畑の柿の木にメジロが多数来ていました。
携帯の写真なのでこういう離れたものを撮すのは難しい。
旧小栗栖街道を渡って八幡宮へ。
駐車場があるのを確認。
鳥居の手前であじさいが咲いていました。
いわゆる秋色あじさい、
花びら(がく)が散らずに緑っぽい色に退色したものもあったのですが、
ほんとに咲いてるようなのもありました!
ここから先は携帯の電池切れです。
この鳥居の先、階段上ったところには天神宮。そこからさらに進むと八幡宮。
拝殿の手前、狛犬より手前だったかな、おおきな「矢」が両脇に建ててありました。
八幡様って武運を祈る神様?
拝殿手前左手には醍醐天皇灌頂(かんじょう)の水。
説明書きによると、「灌頂」というのは立太子や即位の時に頭に注ぐ水とありました。
長い年月経って、随心院の小野小町の鏡池、泉涌寺の水と同様に、ほとんど水がない状態でした。
八幡宮の北側出口は大岩街道。そこをわたると宮道(みやじ)神社。
小さなお宮さんですが醍醐天皇の生母ゆかりの神社のようです。
大岩街道通過時にいつも横目で見ていましたが、児童公園の敷地かと思っていました。
児童公園もありましたが数台止められる駐車場がありました。
由来を見て次はそのすぐとなりの仏光院へ。
仏光院は大石順教尼のお寺です。
リンクを張っておきましたが、
明治38年(1905年)、大阪の遊郭で起きた「堀江6人切り」で両腕を失い、
紆余曲折を経て得度し、勧修寺の塔頭(たっちゅう)仏光院で晩年を過ごされた人。
亡くなられたのは昭和43年(1968年)。
以前にもらったご朱印と異なるものがあったのでお願いしました。
小野駅のあたりで解散。ランチして帰宅したら8,000歩くらいになりました。