花、着物、時々ハンドメイド

ゆったりスローライフをめざしています
ぷららのblogが閉鎖されたので
2014年3月にお引っ越ししてきました

山科川沿いを上流へ、八幡宮をのぞいて宮道神社、仏光院へ

2020-10-07 19:45:04 | ウオーキングサークル

うろこ雲がとってもきれいで、いかにも秋らしい空。

これは団地の給水塔かな?

歩き出せば汗ばむ感じ、日陰は涼しく、風が爽やかな日となりました。

土手道を上流に向かいます。

途中、色づきはじめた柿の実と葉。

団栗の青い実も見ましたよ。

風で揺れるのでフォーカスがぶれてしまってうまく撮れませんでした。

民家の畑の柿の木にメジロが多数来ていました。

携帯の写真なのでこういう離れたものを撮すのは難しい。

旧小栗栖街道を渡って八幡宮へ。

駐車場があるのを確認。

鳥居の手前であじさいが咲いていました。

いわゆる秋色あじさい、

花びら(がく)が散らずに緑っぽい色に退色したものもあったのですが、

ほんとに咲いてるようなのもありました!

ここから先は携帯の電池切れです。

この鳥居の先、階段上ったところには天神宮。そこからさらに進むと八幡宮。

拝殿の手前、狛犬より手前だったかな、おおきな「矢」が両脇に建ててありました。

八幡様って武運を祈る神様?

 

拝殿手前左手には醍醐天皇灌頂(かんじょう)の水。

説明書きによると、「灌頂」というのは立太子や即位の時に頭に注ぐ水とありました。

長い年月経って、随心院の小野小町の鏡池、泉涌寺の水と同様に、ほとんど水がない状態でした。

 

八幡宮の北側出口は大岩街道。そこをわたると宮道(みやじ)神社。

小さなお宮さんですが醍醐天皇の生母ゆかりの神社のようです。

大岩街道通過時にいつも横目で見ていましたが、児童公園の敷地かと思っていました。

児童公園もありましたが数台止められる駐車場がありました。

由来を見て次はそのすぐとなりの仏光院へ。

 

仏光院は大石順教尼のお寺です。

リンクを張っておきましたが、

明治38年(1905年)、大阪の遊郭で起きた「堀江6人切り」で両腕を失い、

紆余曲折を経て得度し、勧修寺の塔頭(たっちゅう)仏光院で晩年を過ごされた人。

亡くなられたのは昭和43年(1968年)。

以前にもらったご朱印と異なるものがあったのでお願いしました。

 

小野駅のあたりで解散。ランチして帰宅したら8,000歩くらいになりました。