本日は醍醐寺ゆかりの歴史的建物の見学です。
山田家住宅は醍醐寺に勤めていた坊官(寺侍)の旧宅。
醍醐寺南門前にあります。
坊官とは、格式の高いお寺に勤めた事務方の武士。
お庭はちょうどサツキが終わった頃でしたが、緑が目に優しい。
ここを管理しておられる醍醐の歴史を学ぶ会の方の説明によると、
本来は枯山水、サツキはあとからのもの。
サツキがこんもりした右側が石組みの築山で亀を表す。
踏み石の先にちらっと見える三角の石が亀の頭。
踏み石が水の流れを表しているのかしら?
左の奥には石組みの瀧(水はないけれど)に見立てたものなどもあるのですが樹木に隠れていて見えません。
亀があれば鶴は?とお聞きしたのですが、よくわからないとのこと。
黒松があったけれど、枯れてしまったとの説明で、もしかしたらその松が鶴だったのかもしれませんね。
背景の木々が静かさを維持していますね。
けれど、本来はもう少し木の高さを低くして醍醐の山を借景にする設計だそうです。
こういう庭の管理って、プロに入ってもらうと非常にお金がかかりそうで、個人ではとっても難しそうです。
お座敷に座っていろいろ説明をしていただきました。
お座敷は風が通ってなんだか別世界みたいに涼しいのでビックリです。
日本家屋ってそうなのかなあ。
建物の中に表装された書があちこちに。
撮影OKと言ってもらいました。
私はこれが一番のお気に入り。
誰かの詩歌をこちらのご家族さんが展覧会用に書かれたものだそうです。
読めないけれど、すき。
山田家住宅では1時間くらいおじゃまして、次は下村家住宅。
個人のお宅ですが、ご縁があって見学させていただけることになりました。
下村家は醍醐寺黒門前。
幕末の大田垣蓮月さんが一時期住んでいたこともあるおうち。
大田垣蓮月さんは幕末の志士をかくまったりした歌人。
蓮月さんの短冊。
書が蓮月さんの書。
特徴的な字体です。
絵は別の人の作。男性と女性が踊っています。
富岡鉄斎さんの手紙も表装されていました。
よく見れば、切手と消印?そう言えば、鉄斎さんは明治、大正期を生きた人でした。
山城西加茂村神光院智満大和上殿、とありますね。
富岡鉄斎さんは蓮月さんのお世話をされた方だと聞いています。
Wikipediaによると蓮月さんは神光院茶所にて亡くなったとか。
そのご縁なんでしょうね。
さてさて、こちらは獣害被害のお話もありました。
昔の作りの家なので、自然石に柱を乗せていて床下がずっと見通せるのだけれど、
アライグマやハクビシンが出没して、床下で糞をしたり、庭の苔をめくったり、
があるので、床下の周辺に金網を張ったとか。
鹿が来て大事な花を食べてしまったりとか。
ご近所ではイノシシ用くらいの大きな罠檻を設置しているとか。
え、とビックリしたけれど、山裾の住宅だからあり得ますね。
捕まえたらどうするのか?
外来種だったら処分するけれど、もともといる動物だったら基本は山に放す。
う~ん、また来そうだなあ。
下村家住宅は庄屋のお屋敷?醍醐寺の寺領の農地を束ねる役割の家だったようです。
本来醍醐寺の寺領は南は六地蔵のあたり(巨椋池あたりかしら?)まであったという広大な寺院。
明治の廃仏毀釈の中で、寺領が大幅に狭められ、寺侍や田畑管理の庄屋などは失業。
もともとは境内地にあった屋敷も寺領外になってしまったとか。
歴史に浸った半日でした。
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