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霊鑑寺へ

2023-03-29 21:10:28 | 歴史散歩サークル

いいお天気に恵まれたせいか、三条京阪の停留所は観光客で市バスが満員。

あきらめて京阪で丸太町に行ったら、ウソのように簡単にバスに乗れました。

 

白川通の錦林車庫辺りから東に入り坂道を登っていきます。

途中哲学の道を横切ったのですが・・・、

美しい桜とどっさりの観光客。

鹿ヶ谷の尼門跡寺院、霊鑑寺。

まずは階段下で記念写真。

今日は私含めて6人の参加。

谷の御所という別名の由来、今日はっきり確認。

京都市の駒札によると・・・

臨済宗南禅寺派の禅尼寺で、はじめ、南の鹿ヶ谷の渓流沿いに位置したため、

谷御所または鹿ヶ谷比丘尼御所と呼ばれている。

承応三年(1687年)に後水尾上皇が皇女・浄法身院宮宗澄を開祖として創建し、

荒廃していた如意寺の如意輪観音像と霊境を併せて祀ったことから霊鑑寺と名付けられた。

貞享四年(1687年)に、後西天皇の宮殿(今の書院・居間)を賜って現在地に移建された。

その後、代々皇女、皇孫女が住職となり、

明治二十三年(1890年)までは伏見宮の尼僧が門跡として在院した。

現在の本堂は、徳川幕府十一代将軍・徳川家斉の寄進で、

本尊の如意輪観音像の傍らの不動明王像は伝教大師の高弟・智証大師(円珍)の作といわれる。

御奈良・正親町・後水尾・後西天皇の震翰をはじめ、二百点におよび御所人形、

東福門院の十二単、歴代門跡の遺品など、皇室ゆかりの寺宝が多い。

境内には後水尾上皇遺愛の散り椿のほか、多数の名椿が植えられている。

このあたりの地名は鹿ヶ谷**町となっています。

拝観料をお支払いして順路に沿って進みます。

建物の入口、留め石ならぬ留め椿。

青竹を花器として、かわいい椿たち。

これ、覚えがあります。

前回来たのも同じ時期でした。

座敷に大きなお内裏様があったのも共通。

大きな花小さな花、さまざまな椿。

見て下さいな、私の手ぐらいの大きな花、ビックリです。

庭から一部建物の内部も入って三つ折れの御所人形(130㎝のお内裏様)も遠くから見学。

三つ折れというのは関節が動いて座らせたり、立たせたりできるお人形です。

その他、多くの御所人形や皇女達が使っていたお道具類も展示されていました。

建物内部は撮影禁止なので、紹介できないのが残念。

帰りは、哲学の道を若王子神社の所まで歩き、白川通に出て市バスを待ちます。

こんどもいっぱいの人で乗れない。

丸太町まで歩いて西向きのバスに乗り、市役所前で降りて、

遅めのランチは「がんこ二条苑高瀬川」。

2,000円くらいのお食事がこれ。

ちょっとずついろんなものが出て大満足でした。

この季節らしく、茶わん蒸しにもタケノコが入っていましたよ。

バス停でのバス待ちで疲れてしまいましたが、お食事で回復?

木屋町通から地下鉄駅に向かいます。

高瀬川にかかる桜も素敵。

霊鑑寺に椿を見に行ったんだけれど、

あちこちで満開の桜も見ることができて

大満足の一日でした。



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