これをもって、ケイエス復活!!!...とさせてもらうね。
今までもぼちぼちなブログだったけど、前回の感謝祭の記事からもう結構日にちが経ってしまったの。
実は11日間ほど日本に帰国しておりました。
別にお忍びで...と言うわけではなかったんだけど、帰国前の仕事が本当にハードでね
やってもやってもキリがないっていうところまでやっていて、
結局上司から『あなた、もう帰りなさい。これは命令です。』って言われるまで仕事しててさ
わが身を机から引き剥がす思いで家に帰ったの。
それが金曜日だったんだけど、荷造りはその夜に適当にスーツケースに放り込んで
土曜日に出発して、日曜日に広島に到着。
これからバケーションが始まるっていうのに私なんか放心状態でね。
だけど迎えに来てくれた両親の元気そうな顔をみたらやっぱり力が湧くの。
最初の1週間ぐらいは仕事の反動か、パソコンをいじることはもちろん、
カメラすら手にせず、ただもう精神的にのんびりしていたくて
母が作ってくれる朝昼晩の食事を楽しんだり、一緒にテレビを見たり(日本の番組は何を見ても面白い)
食料の買い物に行ったりと、今年はハニバニがフリちゃんとお留守番していてくれたせいもあって
かなり家族とゆっくりできたよ。
それがまた私にとっては非日常的だったのよね。
今回の帰国でのハイライトは実に2つあって、
まずその1はなんと言っても約20年ぶりに高校(一人は中学校から)の友人2人に再会したこと。
すごく長い間会っていなかったのに、会うとやっぱり「ああ、なんだ。変わってないじゃん」って思えるほど
昔のままだった。
だけど、やっぱりみんなちゃんとした大人になっていて、それなりに各々がいろんな責任を抱えていて
それでもたくましく生きてる様子を垣間見たら、私の仕事が忙しくてひーひー言ってる自分が小さく思えたわ。
頑張る人を見ると、私までもっと頑張れるような気がしてくる。
っていうかね、人は本当にやる気さえあれば頑張れるものなのだなとひしひし思ったのよ。
そしてハイライトその2は帰国する日にやってきたまさかの
爆弾低気圧。
これには参った。
天気予報で、やばいかもとは思っていたものの、広島市内ってあんまり雪が降らないんだよね。
だからあんまり危機感を感じてなかったんだけど、実際、朝からすごい雪。
うわー!!!嫌な感じ。
...と思ったら案の定、空港へ通じる山陽自動車道が通行止めになってた。
その道を通って車で40分ぐらいのところだけど、一般道だったら数時間かかるの。
困ったことになったと思いながら家を出たら、一般道がもう大混雑していて(朝のラッシュ時とも重なった)
道をいろいろ変えても1キロ進むのに2時間ぐらいかかって、どう考えても出発の時間までに空港にたどり着けない。
こうなったらもうあきらめるしかなくてさ、家に帰ったの。
驚いたのが、あの雪でも飛行機は飛んでたのよ。空港周辺もすごい雪だったはずなのに。
全日空で時間を変更してもらおうとしたけど、その日の変更がもう全くできなくて
翌日に帰国するようにしたの。
雪って私大嫌いだけど、今回のことで正真正銘の雪嫌いになったわよ。
なんて忌々しいのあの白いやつ。
ってか、空港に通じるメイン道路がその山陽自動車道だけっていう不便さ。
広島は改めて課題ができたわね。
空港までの区間が通行止めになっていたから、もちろんリムジンバスも運行が中止になっていてね
この雪で経済的に受けたダメージって相当だったと思うわよ。
結局その日、雪は一日中結構じゃんじゃん降って降って降りまくってた。
北海道は札幌市にいるSoloPinさんのところでさえ雪が降らなかったってのに!
窓からその様子を恨めしげに見ていたんだけど、これはもう不可抗力。
ため息ついても仕方ないので、もう1日母の手料理が楽しめるじゃんと思って、
その夜母が作ってくれた寄せ鍋を、「空港に連れて行けず、悪かったのぅ」とがっかりする父も入れて
3人で美味しく頂いた。
父よ、そんなに落ち込むな。まさかあんなに酷い雪だとは誰も想像していなかったはずよ。
そして木曜日の朝。
空港までの山陽自動車道は依然として通行止め。
本来なら車で40分ほどの空港へ、その朝は3時間かかってやっと到着したの。
どの道を通ってもものすごい渋滞続きでね、主要高速道路が通行止めになるとどんなにダメージがあるか
しみじみわかったわ。
っていうか、広島国際空港、なんであんな辺鄙なところに建てられたのか。
やっと娘を空港まで送り届けたという安堵感に浸る両親を残して私はセキュリティーゲートへ向かおうとしてたのだけど
私はこの瞬間が大嫌い。
両親が急に小さく見えるの。
父母両方を軽くハグして、『また来るよ』と笑う。
父なんて「はい。気をつけて帰るんで」と言うと、そっけなく背を向けて空港出口ドアへ歩き始めるの。
以前、『お父さんは何かそっけない』と言ったら
『だって涙が出そうになるんじゃもん。』って言ってたのを思い出した。
出口付近まで両親がたどり着くまで見ていたら、急に振り返って手を振ってくれる。
今度は私の方が泣きたくなる。
私もセキュリティーゲートへと向かった。
『また来るよ。』
空港へ到着したことと、飛行機が予定通りに羽田に向かうことを確認したらどっと疲れが出た。
もう12月に帰国するのは止めよう...。
昨日とは打って変わって、素晴らしいほどの快晴。
羽田に無事到着して、成田へはリムジンバスで移動したの。初めての試みだったのよ。
リムジンバスには問題なく乗り込めて、バスもものすごく空いていた。
東京という街はとても近代的な場所で、コンクリートの建物がやたら似合う。
ふと気がついたら窓に飛び込んできたこの山。
これってもしかして富士山?
富士山って都心からこんなにも大きく見えるの?
それから何気に撮ったこの建物。
この建物って撮った後で思ったけど、どこかで見たことある。
これってまさかフジテレビ?
近代的やねー。
バスで1時間20分ほどで成田国際空港に到着。
帰りはユナイテッドで帰ったんだけど、さすがにアメリカ人の乗客ばっかりだった。
久しぶりに聞く英語の会話がなんか懐かしかったわ。
私通常は飛行機の中で全く眠れないのに、今回は1,2時間ぐらい爆睡していたようで
目が覚めたら周りの人は何か軽食を食べ終わってた。
それぐらい疲れていたのか私。
DCに無事に到着して、イミグレーションのところで検査官に『お帰りなさい』と言われて
なんか笑みがこぼれた。
ああ、帰ってきたんだと、ものすごい安堵感に包まれた。
待ちくたびれたハニバニと再会し家に戻ったら、まん丸のフリちゃんがドアのところで待っていてくれていて
嬉しそうに床でごろんごろんと転がりまくってた。
私の着ていたジャケットと興味深そうにいつまでもくんくん嗅いでたわ。
その夜、泥の様に眠りに落ちたけど、変な時間に目が覚めた。
時差ぼけ到来ー。
目が覚めて「ここはどこだっけ?」と一瞬思う。夢を見てるようだった。
今も時差ぼけが治らず、妙な時間に目が覚めて覚醒したままになり、
昼近くになって耐えがたい睡魔と戦う日々が続いているが、これも仕事に復帰したらすぐに元に戻りそう。
来年はハニバニも参加する帰国。
今からもう楽しみなんである。
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日本に住んでると気がつかないかも知れないけど
日本って本当に素晴らしい国なんだよ。
わかってくれるかなあ。
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いつもありがとう。