バージニア労働者

アメリカで働くってどんな感じ?アメリカの企業で働く統計アナリストの労働ブログ。アメリカ生活小話や猫も登場。

そして帰路につく

2024年12月31日 | ALL ABOUT JAPAN

私はアメリカに戻る前に羽田に一泊する予定にしていました。


その前の日は、一週間前の母のめまいのこともあり
ちょっとドキドキしていましたが、
母は退院してからとても元気で大丈夫そうでした。


広島出発の日は妹もやって来てくれて、みんなで空港へ行きました。


みんなで車に乗ると、私たちが子供だった頃に
みんなで出かけていたことがフラッシュバックで思い出され、懐かしさでくらくらしました。


空港で遅めのランチをした後、出発の時間がやってきました。


私はいつもの通りドライに立ち去りたかったので
「じゃね。また来るね」と言って
すごいスピードで妹、母そして父にハグをし、
笑いながら保安検査場へ向かいました。


恐る恐る振り返ったら、3人ともが笑顔で手をブンブン振っていました。


やばい。私の方が泣きそう。


私も大きな笑顔を返し、おどけて投げキッスをして手を振りました。
(なんか怪しい人だと思われただろう)


ゲートに向かうギリギリのところで振り返ったら、3人はもういませんでした。


大きなため息が出ました。


そっか、私もう帰るんだね


暫くして妹からラインが届き、そこには


母はもう寂しいねって言ってるけど、父はさっき食べたランチがめっちゃ美味しかったねって言ってる


と書かれてあって、あの二人らしいなって思って笑いました。


機内の中では腑抜けのようにしていましたが、羽田に到着すると激込みしていました。


到着ラッシュ時だったようです。


到着ゲートからその日泊まる第3ターミナルのホテルへ到着するのに1時間もかかりました。


もうセンチメンタルな気分は通り越して、いきなり現実へ引き戻された感じがしました。


ホテルにチェックインして、とりあえずその日の夕食をどうするかなーって思いながら空港内を歩く。





到着ロビーは激込みだったのに、出発ロビーは閑散としていました。


その夜は、久しぶりにたった一人で食べる夕食。


レストランもとても混んでいたし、食べ物を味わうというより胃袋に何か入れなきゃと思い、
ハニバニが大好きなモスバーガーのテイクアウトをして、ホテルの部屋に戻って食べました。





テレビを付けて、ちょっと賑やかにして食べました。


次の日、ワシントンに戻る機内では『アンチヒーロー』という連続ドラマを真剣に観ていたら
あっという間に帰ってきてしまいました。


忙しくない時間帯だったからなのか
入国審査場もあっさり通過して、迎えに来てくれていたハニバニを簡単に見つけることができました。


彼を見た瞬間、さあまたここから今までの生活に戻るんだっていう実感が湧きました。


家へ向かうハイウェイ





日本の道路と違って広いなーって思いました。


私の今年の日本旅行記は、これにて一件落着。


いろいろあった今回の日本旅行記、お付き合いいただいて本当にありがとうございました:)


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「わざとだよ」と言って母は

2024年12月29日 | ALL ABOUT JAPAN

入院した母は、あっという間に回復し、二日間の入院で無事に家に戻ってきました。


妹も加わって、みんなで母を迎えに行きました。


アメリカに戻る日程を一週間延ばしたことだし、
それはそれで私はもうこの与えられた時間を思う存分楽しむしかない!


それでも私はどこへ行くでもなく、
毎日実家にいて、料理・掃除・洗濯・買い物を手伝う毎日を過ごしました。









これは父が作ってくれたある日のランチです








たまにランチの外食もしてみました


退院した母は、私に帰って欲しくなかったから全部わざとしたんだよと言って笑っていました。


どこまでもお茶目な母です:)


両親は、この危機(母の入院)を乗り越えられたのはタイムリーに私がいてくれたからだと言って
私にとても感謝すると同時に、このままずっと実家にいてくれたらねと言うようになりました。


一緒にいる時間が長かった分、
アメリカへ帰って欲しくないという気持ちが一層強くなったようでした。


両親にとって最良であるはずだった今回の長期滞在が
もしかしたら余計に寂しい思いをさせることになったのかも知れない


そう思うと逆に申し訳なかったなと思っていたのに


なんと最後の方は、私がアメリカに戻ることがとても辛くなってしまいました。


うっかりすると、このまま実家に居座ってしまうんじゃないかと思うぐらい、幸せで。


でももちろん私の生活はアメリカにあり、ハニバニもチャーリーも待っています。





ある日また3人でウォーキングに行き
鴨ちゃんたちと戯れながら、ふと見た両親の楽しそうな顔を見て思いました。


やっぱりアメリカで頑張れる
また次も、元気でもどってこよう


そして羽田に向けて、広島を出発する朝を迎えました。





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母の回復と父が作る夕食

2024年12月27日 | ALL ABOUT JAPAN

病院から戻り、次の朝に病院に持っていくものを揃え、
父と私、それぞれがお風呂から上がってやっとお布団に入ることができたのが午前2時過ぎ。


LINEで妹に『泥のように寝てやる』と入れたのに、ほとんど眠れませんでした。


その日の夜起こったことがプレイバックされたり、辛そうな母の顔がチラチラしたり、
もしあれが私が帰った後だったら、父はどうしてたんだろう?とかいろいろ考えて。


でもそうしてるうちに何時間か眠った模様。


朝起きたら父はもう起きてて、朝食の準備してた。


父もほとんど眠れなかったそう。


病院に着くと母は昨夜の母とは別人みたいに元気になっており、私も父もとても安堵しました。


念のためにもう一日の滞在ということで、退院は次の日になりました。


病院食があんまり美味しくないと、贅沢な文句を言えるほど回復していました。


それから私たちは一旦家に戻って掃除や洗濯をし、
ランチを食べてから私はアメリカへ戻るためのチケットの日程の変更の手続きをしました。


もう一週間、両親と一緒にいよう


仕事の心配をしなくても良い、今の現状に感謝しました。


ランチの後また病院へ行きました。退屈そうな母のために本を届けるためです。


午後に行ってみると母は入浴を終えて、さっぱりした顔をしていました。


ひとりでちゃんと入浴できるのなら、もう母は大丈夫だと私も父も安心しました。


家に戻って、父が夕食を作ってくれました。





すぐにLINEで母に父が作ってくれたものを見せてあげると、母はとても嬉しそうでした。


お母さんがいないと、この家はまわらない~


と言っていた父でしたが、父もなかなか出来る人です。


その日の晩ご飯、本当に美味しかったです。


その夜は二人とも早く寝ました。


前の日に眠れなかったのと、母が回復したことでとても安堵し、どっと疲れが押し寄せたので。


その夜は、今度こそ本当に泥のように眠りました。


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今年も救急車に乗る

2024年12月25日 | ALL ABOUT JAPAN

とにかくびっくりしたのです。


その日は朝から普通に過ごしていて、昼から買い物に行ってフードコートで楽しくランチしたのです。





夜も普通に晩ご飯を食べました。





夕食後、いとこのお姉さんが家に寄ってくれて、一緒にデザートを食べておしゃべりして。


彼女が帰った直後でした。母がめまいを訴えたのは。


実は母には良性発作性頭位めまい症という症状がたまに起こります。


耳の中の耳石が動いてめまいが起る症状ですね。


だけどその夜はちょっと症状が重い感じだったし、母は高血圧持ちで、その時血圧を測るととても高く
医者ではない私たちが「大丈夫だろ」と判断するにはリスクがありすぎる気がしました。


一番近くの病院に救急で連れて行ってもいいか電話をして症状を伝えました。


でも、脳のレントゲンが撮れる救急病院ならここではないとあっさり言われました。


もうそれなら迷う時間がもったいなく、救急車を呼ぶことにしました。


救急隊員が来るまでに私は母に頭痛がないか、心拍数が上がっていないか、気持ち悪くないか、
ちゃんと話せるか、腕が動かせるか、顔の半分が下がってないか、眼振はないかなど確かめました。


脳梗塞や脳卒中など、最悪のケースを見定める、素人でもできる見分け方をチェックしていたのです。


以前なんとなくYouTubeで知った無駄な知恵が、無駄ではなかったなと思えた瞬間でした。


救急車はすぐに到着し、私が母と一緒に乗り、父が車で追いかけるということにしました。


母には意識はちゃんとあったので、私も落ち着いていて母の手をさすり続けました。


乗った救急車の中でぼんやり思ったのが、「今年は母と救急車か」ということでした。


去年はハニバニと救急車に乗ったのです。


競争心メラメラで - バージニア労働者

旅行の話を最初から順番にお話しようかと思ったけどさっさとハニバニのことを説明しようと思います。長い話になるので手短に説明します。ハニバニの負った怪我は、ふくらは...

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病院にはあっという間に到着し、すぐに医者にも診てもらえました。


そこの医者も私と同じような質問を母にしていて、
眼振を調べたときに母の目が左右に動いているのを確認しました。


それを見たときすぐに今回も良性発作性頭位めまい症だと思いました。


念のために脳のMRIを撮ってもらい、結果を聞いたところでそれが確実なものになりました。


脳には全く異常はなかったのです。安心しました。


でもめまいの状態が酷かったので、とりあえず入院ということになりました。


医者の話だと、入院は人によっては1日、または1ヶ月の人も。


父と一緒に看護師さんと入院手続きをして、母と手短かに会話をしてから父と私は家に戻りました。


家に戻ると午前一時を過ぎていました。


入院のため必要な、最低限の身の回り品を次の朝持って行けるように準備しました。


それが終わると、二人とも疲れがどっと押し寄せてヨレヨレでした。


あんなに疲れていたのに、しっかり眠ることはできませんでした。





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予想外の出来事

2024年12月24日 | ALL ABOUT JAPAN

帰省中の最大の楽しみ


それは家族と時間を過ごすことはもちろんの事だけど


母が作る手料理を堪能すること。














父も頻繁に台所に立つのですが、父の作るカレーや焼きうどんもとても美味しいのです。








父がリタイアする前の現役だったころは、父はキッチンに立つような人ではありませんでした。


なので、二人が一緒にキッチンで料理してるのを見るのはとても微笑ましい光景でした。





たまに出前を取ったり、食べに行ったりもしました。











そして、私が広島を発つ日が近づいて妹が聞くのです。


もう思い残すことなく家に帰れるね


やりたかった事もして食べたかったものも食べたし
今年も無事に帰省できたから安心して家に帰るよ


そう答えた日本を発つ二日前、母が入院してしまうのでした。


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両親と歩く

2024年12月21日 | ALL ABOUT JAPAN

私は実家に滞在中もウォーキングはしていました。


ウォーキングの友は父。


そしてたまに母も加わって、両親と。





歩くのは近所の土手。


川の水がとても綺麗で、いろんな野鳥を見かけるのがとても楽しかったです。








たまにパンを持って行き、鴨ちゃんたちと戯れるのが日課になっていたりもしました。





私は両親よりも歩くスピードが速いので、いつも先頭を歩きます。


そしてたまに一番後ろを歩くことも。





この両親の背中を見ながら何度も呟きました。


ありがとう


誰に言うでもなく。


両親とこうやってウォーキングを楽しめるなんて
本当に夢のよう。


一緒に起床し朝食を食べ、一緒に掃除してそしてランチを一緒に作って食べる。


昼からこうやってウォーキングして、その後家に帰っておやつして、談話を楽しんでから
今度は一緒にまた夕飯の買い物へ行き、そして一緒に夕飯を作って食べる。


夕飯の後は一緒にバラエティー番組を笑いながら見て、そして同じ時間に眠りにつく。


本当に夢のような時間を一緒に過ごしたのでした。


今年の5月に職は失ってしまったけれど
そのおかげでこんなことができたのだから
この世はなんとなくプラスマイナス、上手く出来てるのかも知れない。


鴨ちゃんたちにパンをあげる
楽しそうな両親の笑顔を見ながら、
この二人が私の両親で本当に良かったと、つくづく思いました。


こんな風景がこの先もずっとずっと続けば良いと、心の底から思いました。



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母の誕生日

2024年12月18日 | ALL ABOUT JAPAN

帰国するのを伸ばして良かった理由の中に、一緒に母の誕生日をお祝いができたことがあります。


いつもだったら11月中旬にこちらへ戻るのでできなかったのです。


母の誕生日は11月の終わりごろなので。


母の誕生日には妹と相談して、おこずかいをあげることにしました。


「何が欲しい?」って聞くと絶対に「何もいらないよ」って言うので。


現金なら自分が好きな時に自分が好きなように使えると思ったのです。


そしてお祝いのケーキなのですが、母は甘いものがあんまり好きではありません。


でもホットケーキなら食べる!と言うので、家にちょうどあったホットケーキを焼きました。


このホットケーキはもともと父がおやつに焼いてやるよ!と言っていたホットケーキでした。


父は料理が上手な人なので、私が焼くホットケーキは父が焼くものより不格好だったかも知れないけど
母は喜んで食べてくれました。


父も美味しそうに食べていました。





母は無事に80歳を迎えました。


今だに母が80歳なんて信じられない。


父もですが、母も実際の年よりもとても若く見えるので、思い出さないと母が80歳なんて思えない。


変な言い方だけど、いつの間にあんなに年を取ってしまったんだろう。


私もこの先、あんなふうに年を重ねていけるんかな。


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スーパーマーケット

2024年12月16日 | ALL ABOUT JAPAN

本当はハニバニと一緒に11月半ばに戻る予定でした。


「今仕事していないんだし、またとない機会だからケイエスだけもっといれば?
家のことはなんとかできるし、チャーリーも任せて!」


というハニバニの粋な計らいで私は予定を変更し、
12月の頭まで日本にいることにしたのでした。


ハニバニとは東京で二日過ごした後に彼はアメリカへ、私は広島へとんぼ返りしました。


広島に戻ってからは、滞在はホテルではなく実家で。


私が実家に戻ってからやりたかったことはただ一つ。


毎日両親と一緒に起床し、一緒に食事したり掃除したり、ウォーキングすること。


一緒にテレビを見たり、買い物に行ったりね。


そういう普段の生活がしたかったのです。


両親からしてみれば、それは随分と退屈なように見えたでしょうが、私にとっては楽しいひと時。


両親と一緒に行くスーパーマーケットは、まるで子供が親に連れて行ってもらう百貨店のよう。


鮮魚売り場なんてジュエリー売り場みたいにキラキラしてましたもん。





こんな新鮮でバラエティーに富んだお魚があの値段ですよ。


この鮮魚売り場だけでもこちらに持って帰れないかなあって思っちゃいました。


お惣菜コーナーにしても種類が充実していて、しかもお値段もお手頃。


本当に羨ましい限りでした:)




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ケイエス、帰国

2024年12月14日 | アメリカ生活

長い日本滞在を終え、ケイエス無事に帰国しました。


一緒に日本滞在をしていたハニバニは、実は私よりもちょっと早めに帰国したのでした。


とりあえず飼い主が帰国して、チャーさん安心。


ハニバニが帰宅してからベッタリだったそう。



見よ、彼女のこのあざとい熱視線!
ハニバニのお腹に乗っかってるところです:)








今回私は仕事の心配がなかったので長めに滞在したのですが、予定していたよりも長めな滞在になりました。


そのお話も追々するとして


これからちょっと日本滞在記は続きます。


日本も良いけどやっぱりアメリカ(自宅)も良いな~、
でもやっぱり日本って最高だよね!という思いでいっぱいです:)


とにかく無事にこちらへ戻れて良かった。


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喫茶店

2024年12月06日 | ALL ABOUT JAPAN

それにしても日本滞在中に驚くのは、日本には素敵なカフェや喫茶店がいっぱいだということ。


最近アメリカでもおしゃれなカフェが増えているけど、日本のカフェには敵わないなーと心の底から思います。


その日本のカフェですが、私は断然喫茶店派です。


XX珈琲店


という名前の喫茶店が好きです。





ハニバニも同じで、喫茶店が好き。


落ち着いた雰囲気や、座るソファーの座り心地が好きなんだそう。





たかがコーヒーを飲みに来ただけなのに
お店の人がお水を親切に持ってきてくれ、
しかもニコニコしながらオーダーをとってくれる


とっても好きなんだそうです。


コメダ珈琲には何度足を運んだことか。。。





広島平和公園周辺の喫茶店には外国人観光客もたくさん入っていて、店員さんとの英語のやり取りが聞けます。


私の英語が下手でごめんなさい


と言いながら、一生懸命外国人観光客の注文を受ける店員さん、素敵だなあって思いました。


喫茶店て、コーヒーやケーキもそうですが、食事だってとっても美味しいですよね。


コンビニと同じく、私がアメリカに持って帰りたい日本の喫茶店。


日本の喫茶店は今日も大賑わいです:)



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